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あやしいひと達のテッペン横丁  作者: 唄うたい
4/5

〆の月見うどん

 

 翌週金曜日。


 待ちに待った華金の夜。浮き足立つ私を止めたのは、課長の鶴の一声だった。


「月見、22時から営業2課の飲み会やるぞ。

 お前も仕事切り上げて来い!」


 直属の上司である松岡課長の言葉に、私は愕然とした。


 職場の飲み会。気の進まない飲み会に駆り出されるのは、なんと今週2回目。


 若手はお酌要員兼、上司先輩方のご機嫌取り要員だ。

 注げと言われれば注ぐ。飲めと言われれば飲む。

 常に笑顔で「ありがとうございます」「ご馳走様です」と言うのが定型だ。

 まるで昭和の体育会系。でもこの令和の時代にも、そんな古い形態は実在してしまっている。



 駅近の繁華街の中にあるチェーンの肉バルで、私含め営業10名での飲み会が始まった。

 私は、若手の中では一番お酒が飲めるから、いつも松岡課長の隣に座らされるのがお約束だった。


「月見はもっと周りを見習って、自分の頭で考えたほうがいいな!」


 早くも呂律を怪しくさせながら、課長はいつものお説教を言い出した。

 私はニコニコしながら、それを聞く。


「先輩方には本当お世話になりっぱなしです!

 自分で考えられるよう努力してるつもりなんですけど、まだまだですね、あはは。」


「ハッハ、最近の若者は打たれ弱いから、こっちも気を遣うんだぞ。

 んーまぁ、先週土曜の社内プレゼン、あれはまあ良かったな。」


 社内プレゼンという単語に、私の心臓が嫌な鼓動を始める。


「え!?あれ個人的にも力作だったんです!

 課長のご意見お聞かせいただけますか!?」


 でもそんなことは表面には出さず、お酒の力を借りて笑顔を作った。



「あれ、辞めた進藤(しんどう)の企画をブラッシュアップしたんだろ?

 文体とか構成とか、まんまだもんなぁ。

 だから、よく出来てたよ!」



「え?」


 なんでここで、私の新卒の頃の指導担当である、進藤先輩の名前が出てくるんだ。


「…イ、イヤイヤ!

 確かに進藤先輩のことは尊敬してましたし、考え方の影響は受けたかもしれないですけど、きちんとイチから作ったんですよ!」


「とぼけても無駄だぞ、月見。

 お前だいぶ進藤に可愛がられてたからなぁ。お蔵入りになった企画なんかも貰ってたんだろ?」


「は、初耳です…。」


「仲良かったよなぁ。当時営業部の中じゃ、あの二人はデキてるって噂だったくらいだ!」


「そんな、ナイですよ…。」


 心臓が再びドクンと跳ねた。

 課長の悪ふざけに同調し、他の先輩達が加勢する。皆一様に、既に酒に飲まれている。


「いや、月見、あれは無理ないって!

 進藤イケメンだったし、優しかったしな!

 いくら妻子持ちでも、好きになる気持ち分かる!」


 先輩に背中を叩かれながら、頭の中でひたすら「違う、違う」と連呼する。

 でも、表面上の私はずっと笑ったままなのだ。


「イヤ、ハハ…ひどいなぁ、私残業して頑張って企画考えたんですよ。それがたまたま似ちゃって。」


「大丈夫、大丈夫!

 どうせお客もそこまで気づかない!」

「内輪だけの秘密にしといてやるから!

 反省して次から頑張ればいいんだ!」

「お前だけじゃないぞーしんどいのは!」


 誰も私の話を聞いてないんだ。私を見てくれない。

 皆が見てるのは「社会人2年目の若手女子社員」だ。


「月見、全然減ってないじゃないか!

 もっと飲め!そんで来週からバリバリ頼むぞ!進藤センパイはもういないんだからな!」


 課長が瓶ビールを掴み、私のグラスに注ぎ足す。元々半分も減っていなかったグラスからは、当然ビールが溢れてしまう。


 その光景を見た周りからは、


「あーホラ!早く受け止めろ!」

「課長にお酌させちゃダメだろー!」

「今更飲めないフリとかいいから、ホラいけ!」


 酒に飲まれた、タチの悪い野次が飛ぶ。


「……あは……。」


 でも、私一人は違った。

 だって、私は全然酔えてない。

 料理も、お酒も美味しいと思えない。場のお喋りも何一つ楽しくない。


 グラスから溢れたビールは、そっくりそのまま私の心を表しているよう。


 ーーーあ、もうダメだ。


 私は笑えなくなった。

 唇が震えて、視界がぼやけて、頭の芯が痛いような熱いような感覚に陥る。

 上司や先輩方が見ている目の前で、23歳の私はとうとう我慢出来ず、泣き出してしまったのだ。


「………ぅあっ……。」




 …しかしその場にいた誰一人、私の涙には気づかなかった。


 なぜなら、私にビールを注いでいた松岡課長の頭に、誰かが“大ジョッキのビールをぶっかけた”からだ。


「え。」


 一瞬で静まり返る店内。

 ビールのシャワーで髪の毛をペッタンコにした課長が、訳も分からず振り返る。



「他の客の迷惑だ。頭冷やしな。」



 酒田 冬至さんが、そこにいた。


 空になった大ジョッキを逆さまに握り締めたまま、今までで一番恐ろしい目付きで、課長や先輩達を睨んでいたのだ。


「月見さんはお前らの酒の余興じゃねぇんだよ。」


 こんなに怒ってる冬至さん、初めて見た。


 状況が飲み込めなかった課長の脳内処理がやっと追いついてくると、課長は酒とは違う意味で顔を真っ赤にして怒鳴った。


「オイ月見!!

 このゴロツキはお前の知り合いか!!

 何してる、早く警察呼べ!!」


「…えっ?」


 今度は私の処理が追いつかなくなる番だ。


 ゴロツキ?

 今この人、冬至さんのことを言ったの?

 ゴロツキって確か、やくざ者とか、犯罪者とかいう意味だったよね。


 感情よりも頭よりも先に体が動くってこういうことか。

 私は、既にビールまみれの課長の顔に、手にしていたなみなみのビールをぶっかけていたのだ。

 いわゆる、追いビールというやつ。


 行動の次は、言葉が溢れ出る。


「…そうやって…あんた達、先輩のことも壊したんでしょう。」


 私がこれまで、お酒の力と笑顔の仮面で封じ込めてきた本音は、


「…私のことも、オモチャみたいに何度も何度も傷つけて…、」


 一度紐が解けたら、もう止まらない。



「私の大好きな人のことまで傷付けないで!!

 …この、モラハラ野郎!!」




 課長の怒号を上回る怒鳴り声が、あんなに賑やかだった店内をシンと鎮めてしまった。

 私が反発するとは夢にも思っていなかったんだろう。課長も先輩達もポカンとしている。


 ーーーどうしよう。


 言ってしまった。やってしまった。

 何がまずいって、今までこういう修羅場をとことん避けてきたはずの私が今一番、言いたいことを言った解放感に包まれているんだ。


 ーーー言えた。言っちゃった。


 放心する私の手を、すかさず冬至さんが引いた。


「よく言った。おいで、月見さん。」


「………あっ、はい……。」


 居酒屋から逃げるように退散する私達のことを誰も追いかけて来なかったのは、


 去り際、私に見えないように、冬至さんが角を剥き出しにして睨みを効かせたからだということは、後々本人に教えてもらって知ることになる。



 ***



 繁華街のすぐ真裏に、テッペン横丁がある。

 22時スタートの飲み会から、既に2時間も経っていたようだ。


 赤提灯を掲げる大江山の中に案内してもらい、私はいつものカウンター席に座る。

 いつの間にか、この席を「いつもの」と呼んでいる自分が誇らしく思えた。


「ハイ。」


 目の前に置かれたのは、いつものお通しとビール…ではなく、湯呑みの中で緩やかな湯気を纏う緑茶だった。


「…ありがとうございます。」


 嬉しい。今は珍しく、お酒を飲む気分になれないから。

 汁物を除けば、長らくお酒と水以外の飲み物を飲んでなかった。久々に口にした緑茶は渋みが全然無くて安心する。

 ほうっと溜め息を漏らし、ようやく私の緊張もほぐれてきた。


「…あの、冬至さん…。

 どうして私があのお店にいるって分かったんですか…?」


 冬至さんはカウンターの向こうで何かを準備している。何かを擦り下ろす音に無意識に期待してしまう。


「君の泣き声が聞こえないほど、俺は鈍感じゃねぇよ。」


「っ。」


 私の全意識が、冬至さんただ一人に向いた。


「出過ぎた真似だったらごめんな。」


「…あ、いえ。ううん…。

 ありがとうございます…。」


 お茶の温かさと、冬至さんの気遣いの温かさが身に沁みる。

 またじんわりと目頭が熱くなってきたのを、前髪を直すフリして誤魔化した。


「………冬至さんが来てくれなかったら、どうなってたか分かりません、から。

 …何より、冬至さんに会えたことが、とっても嬉しいです。」


 夢なんかじゃなかった。それが分かっただけで。

 涙の代わりに、私は心のままに笑顔を見せる。


「…良かった。今この席に座ってお茶飲んでる君の方が、ずっと自然体に見える。」


 冬至さんの前なら、私は取り繕わなくていい。

 お酒がほとんど回ってなくても、こうしてちゃんと笑えてるもの。


「宴会の途中で連れ出しちゃったから、飯あんま食べてないだろ?何か食べる?」


「えっ、あ、じゃあ…。

 何かお腹に優しいものを…。」


 肉バルの料理はどれもお酒に合う濃いめの味付けだった。入社すぐの頃、進藤先輩に連れて行ってもらった時は、確かに美味しかった。

 …今は、その濃い味付けのいずれも覚えていないけど。


 程なくして、冬至さんは小ぶりな丼を提供してくれた。

 ほわほわ立つ湯気。中身を覗き込んで、私はアッと叫ぶ。



「月見うどんだ!」



 真っ白ふわふわなとろろの中央に、卵の黄身が気持ち良さそうに乗っかっている。

 まさか、もしかしなくとも、これって、


「そ。“月見さん”だから、月見うどん。」


「わあぁ…っ、素敵…!」


 小粋な演出に、胸がドキドキする。

 そうだ。次に冬至さんに会ったら私、どうしても伝えたいことがあったんだ。


「冬至さんっ、あの……!」


 勢いで喉まで出かかった言葉も、冬至さんの緩やかな吊り目と、「ん?」と小首を傾げる可愛らしい仕草の前では、すっかり勢いを失ってしまう。


 せっかく真っ直ぐ向けた視線は、ゆるゆると丼の中へ落ちていった。


「………い、いただきます。」


「うん。たくさん食べな。」


 黄身を潰さないよう注意しながら、まずはうどんを啜る。

 鰹出汁のきいたおつゆを纏った温かなうどん。喉越しの良さは、まるで飲み物みたい。

 香川県民は噛まずに飲み込むというけど、香川県のあやしいひとも、やっぱり同じなのかしら。


「…ふふ、嬉しいです。

 (しめ)を食べ損ねたので…。」


「そいつは良かった。」


 肉バルだから、〆のラーメンとか雑炊って雰囲気ではなかったけど。

 だからなおさら、金曜日の夜を冬至さんお手製の月見うどんで〆られることが嬉しかった。



「俺は、俺の飯食べて笑ってくれる月見さんの方が好きだな。」



 冬至さんの呟くような台詞に、私は思わず()せてしまった。


「疲れたお客を癒したくて始めた居酒屋だけど、今では俺のほうが、月見さんの美味そうにしてる顔に癒されてるんだ。知ってた?」


「えっ!?

 …や、そんな、お世辞お上手ですね…!」


 好き、だなんて。

 癒される、だなんて。

 今までも充分優しくしてくれたけど、今そんな優しいことを言われたら、浮かれてしまう。


「お世辞なんかじゃねぇよ。

 君のことを笑いの種にするような奴らと、君のことを大切に思ってる奴、どっちの言うことを信じたい?」


「……っ。」


 もしかして冬至さんも私のことを好きなんじゃないか。

 …そんな大それた勘違いをしてしまう。



「……冬至さんを信じたい…です……。

 私、冬至さんが、好きなんです…。」



「うん、よく言えた。」


 カウンターテーブルを挟んで、冬至さんはその大きな体を少しだけ乗り出す。

 つられるように上を見上げた私のおでこに、彼の手拭い越しの小さな双角がつんと触れた。


「ん。」


 同時に冬至さんの温かい唇が、私の唇に触れる。


 それは軽く触れるだけの、ほんの短いキスだったけれど、


「…これも、ご褒美ですか…?」


「いいや。美郷(みさと)さんが好きだから。」


 私にとっては夢のようで、幸せすぎて、…いっそ死んでもいいと思えてしまうほどだった。



 程よく温くなったうどんを啜りながら、ぽつりぽつりと言葉を交わした。


「…さっきの飲み会での私、すごい痛い奴でしたよね。」


「カッコ良かったよ。」


「……もう会社行っても、前みたいな人間関係には戻れないですよね…。」


「そうかもしれないな。

 でも、それでいいんじゃない?」



「……冬至さん。

 来週から私、ここに来なくなったら嫌ですか?」



 心は既に決まっていた。

 少なくとも、今勤めている会社が、私らしくいられる居場所だとは思えなかった。


 冬至さんや友達に心配をかけてまで、自分を偽り続けるのはやめよう。

 これまで信じ続けてきたことをリセットするのが、こんなに勇気が要るなんて思わなかった。


 辞めるも続けるも、未来の自分を選べるのは、今の自分だけだ。


 夜の住人をやめて、昼の世界に戻ることも、今の自分しか決められない。



「美郷さんが俺を(おぼ)えていてくれるなら、それで充分だよ。

 人間の畏怖なんて要らない。君がいつまでも俺の飯を想ってさえいてくれれば。」



 だから、大好きな冬至さんと、大好きな大江山と、思い出のテッペン横丁から離れるという道も、私に与えられた選択肢のひとつなんだ。


「…夢から、覚める時間ですね…。」


 ぼやける視界の中で、私は箸で、とろろに浮かぶ黄身を割った。


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