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あやしいひと達のテッペン横丁  作者: 唄うたい
3/5

塩おむすび

 

 テッペン横丁に迷い込んだ日から2ヶ月が経った。

 私は冬至さんとの約束通り、居酒屋 大江山の常連を続けている。


 金銭面と体力面を鑑み、行くのは決まって毎週金曜日。

 仕事終わりの0時(テッペン)を過ぎた頃。


 いつ行っても冬至さんは温かく迎え入れてくれるし、虎ノ門さんのように突然現れるあやしい常連さんとのお喋りは楽しい。


 上京して念願の和菓子屋を経営しているという小豆洗(あずきあら)いのおじさん。

 先月5人目のお子さんが産まれて、育児疲れを大江山の絶品ご飯で癒すのが楽しみだという姑獲鳥(うぶめ)のお母さん。

 一時期は全国で引っ張りだこだったけど、今はブームが落ち着いてきて、やっと一息つきに大江山へ来られたというアマビエさんなどが、特に印象深い。


 どのひとの話も新鮮で、でも妙に人間くさい。あやしいひと達だっていうことを忘れさせるくらい真剣に現代を生きてる皆の姿に、畏怖なんてものはすっかり無くて、普通の人間と何も変わらなかった。


 楽しいお喋りと、美味しいお酒と料理を堪能する。


 私にとっては週の最後を締めくくり、新しい一週間を迎えるための、特別で大切な時間だった。



 ***



「…美郷(みさと)、しばらく見ない間にまたやつれた?」


 凛花にハッキリそう言われてしまい、私は素直に傷ついた。実際「がーん」と口に出してしまうほどだ。


 ある日曜日。

 私は約8ヶ月ぶりに、大学時代からの友人である凛花とランチに来ていた。

 凛花がSNSで見つけたという表参道のカフェ。クラブハウスサンドとミルクティーが絶品だと聞いて、私は二つ返事で了承した。


 いつも土日は家で泥のように寝るんだけど、美味しいご飯のためなら。そして、こんな私に定期的に声を掛けてくれる凛花のためなら。


「…え、ちゃんと隠せてなかった?

 ショック…。」


 カバー力もお値段もそこそこ高いファンデなのに…。

 会社の人達ならこれで誤魔化せているんだけど、凛花には分かってしまうみたい。


「分かるよ…。前会った時より顔痩せてるし、クマもカバーしきれてないよ?

 美郷、1年目の時も忙しい忙しい言ってたけど、今も相変わらず?」


「…んー。正直、今の方が忙しいかな。」


 なぜか気まずい思いになって視線を逸らすと、すぐに凛花から「なにそれ!?」という小さな叫び声が飛んで来た。


「大手でもあるまいし、2年目なんてまだ重要な仕事任せる時期じゃないでしょ?

 例の教育係の先輩はどうしたの?」


「…あ。

 あの先輩はもう付いてなくて。

 課も変わったから、今は上司や他の先輩に色々教えてもらってるよ。

 皆忙しいから、私には早く一人前になってほしいと思うんだ!」


 馬車馬のごとく使われる時はままあるけど、皆さん根は良い人達だ。

 社会人ってきっとこういうもの。多少荒波に揉まれた方が、仕事終わりに飲むお酒が美味しくなるものだ。


「…美郷、本当にそれだけ?

 その上司や先輩達から、嫌なこと言われたりされたりしてない?」


 でも、凛花は不安そうな目をやめなかった。

 内心ドキリとしながらも、私は反射的に「ナイナイ!」と笑って見せる。


「私メンタルとお酒だけは強いの知ってるでしょ?

 むしろ飲み会でイジってもらってるよ!

 喋るのも好きだし、営業職って私に合ってるのかも。」


 小さい頃から人と話すのが好きで、“人のためになる仕事をする”のが将来の夢だった。

 大学時代、多くの人に情報を伝えられる広告業界に興味を持って、就活を経て、今はその仕事に携われている。


「…確かに忙しくて大変な時もあるけど、でも企画が通った時とか、お客さんにお礼の電話貰った時はすごく嬉しいの!

 会社の人達は経験豊富だし、学べることがたくさんあるんだよ!」


 私の夢は叶ったはず。

 だから今、とても充実している…はずなのだ。


「凛花が心配するようなことは何も無いよ。

 私はポジティブが取り柄だから、ちょっとやそっとじゃ負けないの。」



 私の答えを聞いた凛花は何かを言いたそうに口を開き、かと思えば、唇を引き結んでムグムグ動かす。


「……私は、美郷自身が今の自分を好きなら、それでいいと思うけどさ。

 …でも、一度よく考えてみてほしいかな。」


「…え?り、凛花?

 なんでちょっと悲しそうなの?」


「ううん、別に。一人の友達の独り言として、聞き捨ててくれていいよ。」


 会話が一区切りついたころ、カフェ自慢のクラブハウスサンドのセットが運ばれてきた。

 広辞苑くらいの厚さがありそうなボリューム満点のサンドイッチに、たちまち二人で大盛り上がり。


 本格的な七面鳥のお肉はジューシーなのに、甘さ控えめのミルクティーが不思議と合ってしまう。


 美味しいランチをお供に、凛花と大学時代の話に花を咲かせながらも、私は頭の片隅で拭い去れない疑問を育てていた。



 ーーー私、今の仕事してる自分のこと、好きなのかな…?



 ***



 翌週の金曜日。


「……はぁぁ……。」


 時刻は深夜1時。

 私は未だに会社のデスクに向かい、明日の社内プレゼン用の企画書作成に追われていた。

 せっかくの金曜日が、ついさっき土曜日に変わってしまった。


 なぜわざわざ土曜にプレゼンをするかというと、週明けのお客様への提案の前に、一度社内で擦り合わせをしておこうというリーダーの意向だ。


 中小の広告代理店は過酷。

 1年のほとんどが繁忙期なのは勿論、その営業職となると特に、癖の強いお客さんと、疲労でピリピリしやすい弊社員との板挟みになるから、精神の消耗が激しい。


 2年目だというのに未だに仕事を思うように回せない。今日だって、校了間際になって大幅な修正を求めて来たお客さんを、私は止められなかった。


 そのせいで制作部の人には22時過ぎまで残ってもらったし、私のプレゼン資料を作る時間も、23時になってやっと確保することができた。



「…疲れたひとの、心を癒す…。」


 何本目かも分からないエナジードリンクを飲みながら、キャッチコピーを打ち込んで、ふと手が止まる。

 頭の中に溢れていた文章の洪水がピタッと止まる。


 企画の内容は我ながら、とても希望に満ちている。

 新規オープンのプライベートサウナ施設。そこには、日頃のストレスに晒された人を癒すためのサービスや設備が用意されている。


 “頑張るのは一旦お休み。”

 “体と心をリセットしよう。”


 優しさに満ちている言葉の数々。

 でも、これを書いている私は…いつから…



 フリーズした私の頭に、凛花のあの言葉が自然と浮かんできた。


『私は、美郷自身が今の自分を好きなら、それでいいと思うけどさ。

 …でも、一度よく考えてみてほしいかな。』


 それから次に浮かんだのは、


『月見さんの居場所は、ちゃんとある?』


 いつかの冬至さんの言葉だった。



「…………。

 …あぁ、お酒飲みたいなぁ……。」


 深夜のシンと静まり返ったオフィスに、私の呟きが溶けていく。

 いつまでもフリーズしてはいられない。

 やや強めにほっぺをつねって、再び頭の中を構成で埋め尽くした。



 ***



 土曜日の夜。

 あと5分で日付が変わるから、もうほとんど日曜日。


 私の足は社内プレゼンを終えた後、真っ直ぐ家に……は帰らなかった。

 その足は歩き慣れた繁華街を少し進み、脇の路地裏に入り込む。


 白提灯とネオンが照らす「テッペン横丁」の文字を見上げて、私は大きな溜め息を吐いていた。


「………はあぁ………。」


 体が重い。脚と頭が痛い。フラフラのくたくただ。

 エナジードリンクでお腹一杯で、食欲も酒欲もちっとも湧かない。

 それならなぜ、このあやしい飲み屋街へやって来たのかって…



「ーーー月見さん、大丈夫?」


 すぐ後ろから、低めの声に訊ねられた。

 ぼんやりとした目で後ろを見ると、そこには、一週間ぶりの冬至さんが立っていた。


 10kgの米袋を小脇に抱えて平然としている。頭に巻いた手拭いもいつものままだ。


「…顔色、あんま良くないな。

 何か食わしてやるよ、入りな。」


 心配そうに言いながら、冬至さんはその大きな手の平を、私のおでこにそっと乗せた。

 思わずヒャッと声が出てしまう。


 でも、冬至さんの手は湯たんぽみたいに温かくて、恥ずかしさと同じくらいの安心感を得ることができた。


「…あ、いえ、食欲無くて…。

 すみません、今日はお客さんじゃないんです……。」


「え?」


 冬至さんは困ってることだろう。

 食べる気も飲む気も無いなら、なぜ来たの?って思ってることだろう。


 …そんなの、理由は分かりきってる。

 提灯とネオンが行く手を惑わせるこのテッペン横丁で、ただ一人冬至さんだけが、疲れ切った私の味方でいてくれる。


 日々の憂鬱も鬱憤も、沈みきった気持ちも、この鬼のお兄さんのそばにいると不思議と安らぐ。


 この感覚は、きっと…ーーー。




 冬至さんは詳しい理由を訊ねなかった。

 代わりに、私を大江山の中へと導いて、


「奥の座敷空けるから、月見さん使いな。」


「えっ!?」


 カウンターに米袋を置くなり、店奥に見えていた四畳半の座敷に、お布団を敷き始めたのである。

 まさかそんな展開になるとは思ってなくて、私は恥ずかしさと申し訳なさで、一人慌てふためく。


「いや!あの!…大丈夫です!

 すみません、すぐに帰るので…!」


「おいで、月見さん。」


 でも、冬至さんはいつもの落ち着いた様子だ。酔っ払いを介助する時のような手際の良さで、ふかふかのお布団に私を沈めていく。


「こんなフラフラな女の子を一人帰すほうが心配。食い物の匂いがして落ち着かないかもだけど、我慢してな。」


「…あのっ、冬至さん、そんな…!

 そこまでご迷惑かけるわけには…!」


「これ、来客用の浴衣ね。使って。

 化粧落としある?」


「…あ、う、…通勤バッグの中に…。」


「はいよ。」


 大好きな冬至さんにお布団に寝かせてもらってる…。私まさか夢でも見てるのかしら…。


「…と、冬至さん、なんでここまで…良くしてくれるんですか…?

 私、ただのお客なのに。…今はお客ですらないのに…。」


 冬至さんにとっては、人間のお客さんは珍しいかもしれない。でもそれ以上の何かが、私達の間にあったわけじゃない。


 私にとっては、冬至さんは特別な存在で…大好きだけど。

 冬至さんにとっては私なんて、大勢の常連客のうちの一人に過ぎないんじゃないか。



「月見さんの気持ちの良い食いっぷりと飲みっぷりに、すっかり惚れ込んじまったのかもな。」



「…ウェッ!?」


 またも予想外の台詞が飛び出した。

 このひとは何度私の心臓を跳ねさせれば気が済むのだろう。


「それに、いつも0時に来てくれる君のことが、ただ心配なんだよ。

 昼を生きるはずの人間が、すっかり夜の住人になってる。まるで本当のあやしいひと達みたいにな。

 …それが心配なんだ。」


 優しくて穏やかで、でも悲しそうな瞳。

 その瞳に、見覚えがあった。


 ーーーあの時、凛花も私にそんな目を向けてた…。


「…私のこと、心配なんですか…?」


「うん、心配。目が離せない。」


 冬至さんの大きな手が、私の頭を撫でる。

 私は枕に頭を預けて、掛け布団を口元まで引き上げて、ただじっと彼の顔を見つめていた。


 心配させて申し訳ない?

 心配してもらって嬉しい?

 そんな感情よりも遥かに先に、私は、“誰かが自分に関心を寄せている”という事実に、ただただ驚いていた。


 だって就職以来、私はむしろ、誰かに尽くす立場でなければならないと思っていたから。

 それが社会人だから。それが、私が選んだ仕事だから。役目だから。


 ーーー進藤(しんどう)先輩がそう教えてくれたから。



「…冬至さん。

 私、冬至さんに会えるなら、夜の住人になるのも悪くないなーって思ってました…。」


「そう。」


「…でも、冬至さんにそんな顔させるのは、なんだか嫌です…。」


 この時、私は初めて、自分がこれまで信じ続けてきたことが正しいことだったのか、分からなくなったのだ。


「………今日はもう休みな。

 嫌なことを忘れる手段は酒だけじゃない。

 よく寝て、よく食うのも大事なんだよ。」


 冬至さんの大きな手が、再び私の頭を撫でる。

 まるで不思議な力が宿っているよう。仕事疲れで泥のように意識を失う夜とは違って、誰かに見守られながら眠りにつく。そんな絶対の安心感が、その手にはあるのだ。


 ーーーこれが全部夢だったら、嫌だな…。


 ずっとこの時間が続いてほしいのに、疲れ切った私の体は休息を欲している。

 冬至さんの温もりを感じながら、私は深い深い眠りに落ちていった。



 ***



 …次に目が覚めた時、そこはお出汁の香る空間ではなかった。


 カーテンが締め切られ、何週間も掃除をしてない埃っぽい部屋。

 その重苦しい臭いは、視界のきかない状態でも“自分の家”だと分かってしまう。


 いつの間に帰ってきたんだろう。

 大江山のふかふかのお布団の感触が恋しい。


 触るもの、感じるものすべてが現実そのもので、私は最悪の可能性を思いつく。


 ーーー全部、夢だった…?


 テッペン横丁も、大江山も、あやしいひと達も…冬至さんも、全部全部、酩酊した私の酔い夢だったんじゃないか?


 そう考えると、ひどく恐ろしくなった。

 すっかり酒気が抜けている。明瞭な頭は、嫌な想像を芋蔓式に連れて来る。



 ーーーお酒は大好き。飲むと頭がフワフワして、嫌なことを全て忘れられるから。


 ーーーシラフは嫌。強いはずの私の心が、どんどん脆く弱くなっていくから。



 飲んだら忘れられる。


 “若いから何もできない”という、上司や先輩からの軽視も。

 テッペンを超えて捌いても終わらない仕事の山も、責任も。

 “これが永遠に続いたらどうしよう”という、漠然とした不安も。


 全部、全部。

 酔えば、頭がフワフワになれば、忘れることができたのに。


 ーーーヤダ、こんなよわっちいの、私じゃない……。


 何事にも一生懸命頑張れば、きっと周りが評価してくれる。

 いつも笑顔を絶やさなければ、いつか周りが信頼してくれる。


 それを教えてくれた進藤先輩は、心因性の病気で8ヶ月前に会社を辞めた。


「…ヤダ……。」


 私は認めたくなかったのだ。

 尊敬していた先輩のやり方が間違っていたと思いたくなかった。そのやり方を信じて今日まで続けてきた自分自身を、否定したくなかった。

 それ以外にどう生きればいいか、今の私には分からなかったんだ。


 こんな、体を丸めて泣きじゃくる姿、とても冬至さんには見せられない。

 …いいや、もしかすると“冬至さん”すら、酔った私の夢だったのかもしれない。



 ーーーもしそうだったら、私はこれから、どう生きればいいの…?



 顔をぐしゃぐしゃにして、無意識にリビングのローテーブルを見た。

 カーテンの隙間から差し込む光が、ローテーブルをスポットライトのように照らしている。

 持ち帰った仕事の資料が散乱している、その上に、見覚えのないお皿があった。


「………え……?」


 就職祝いに買ってもらった白いプレート。

 そこにシンプルなおむすびが二つ、ラップされている。


 海苔も混ぜ込みの具もない真っ白なおむすびなのは、この家に具となる食材が一切無いからだろう。冷凍食品以外、ここしばらく買ってなかったから。


 そのお皿のそばに、小さなメモが置かれている。

 私は布団から転がり出て、そのメモに追い縋った。


 ノートの切れ端に書かれた無骨な筆跡。

 それを誰が書いたかなんて、誰がこのおむすびを握ったかなんて、


 “お疲れ様、月見さん。

 起きたらこれ食べて、ゆっくり休みな。”


 あの人以外にいるはずないんだ。


「………っ、…っ!」


 胸がひどく苦しくなった。嗚咽が止まらない。

 悲しいからじゃない。

 夢じゃなかったという安心感。

 こんな私のことを気にしてくれる人がいるという、喜び。



 ーーー冬至さんに、伝えたい。


 ーーー私、あなたのことが…。



 そして、そんな冬至さんのことが、寝ても覚めても考えてしまうくらいに、好きだと気づいたから。


 浴衣の袖で涙を拭い、私はおむすびを手に取る。

 とても人様に見せられないようなひどい泣き顔で、私は無心で塩おむすびを頬張る。


 塩もお米も、スーパーで買った産地も分からない安物なのに、今まで食べたどんな料理よりも甘くて優しくて、温かい味がした。


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