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あやしいひと達のテッペン横丁  作者: 唄うたい
1/5

出汁香る大江山

 

「赤提灯だ。」


 ふと目に止まった赤色に、私は足をも止めていた。


 何度も何度も歩き慣れた、会社から駅までの退勤路。その途中の路地裏の奥に、あんなレトロな提灯なんてあったかな?


 赤提灯と言えば居酒屋の証。

 会社の飲み会を除いて、ここ半年くらいは個人的に居酒屋に行ってなかった。

 会社の飲み会はいつも突発的で、こちらの都合なんてお構い無し。上司の顔色とグラスの空き具合を確認するのに忙しくて、お酒と料理を楽しんでる暇が無いから、正直あんまり気が進まない。


 腕時計を見ると、深夜0時丁度。

 まだ辛うじて終電があるから、このまま家に帰って冷凍パスタを食べて、軽く晩酌でもして…。そう思ってた矢先の赤提灯。


「ん…。」


 私は喉をごくりと動かす。

 今日は木曜日。明日も仕事がある。せっかくお店に入るなら、ちゃんとゆっくり堪能できる日を確保して…。



 ーーーでも、それっていつだろう?



 …なんだ。最初から答えは決まってたんだ。


 家まではタクシーを使えばいい。乗り換え無しで3駅の近い距離だ。

 私はパンプスの爪先を、駅方向から逸れた赤提灯の方へ向けた。



 一歩一歩近づいて行けば、さっきは気づかなかった匂いを感じる。

 優しいお出汁の香り。おでんみたいな、ホッとする香り。これを嗅いでしまっては、もう後戻りできない。


 人一人がやっと通れそうな路地裏を抜け、その光景に驚かされる。


「わっ!」


 赤提灯はひとつじゃない。狭い路地の左右に、ずらりと居酒屋やバーが並んでいる。

 駅前繁華街の真裏に、こんなエモい飲み屋街があるなんて知らなかった。


 飲み屋街の入り口を飾るのは、店名を掲げたいくつもの白提灯と、古い電飾が彩る「テッペン横丁」の名。

 深夜0時になんてお誂え向きな名前だろう。若輩者ながら大酒飲みな私は、胸のドキドキを抑えられない。


「あっ。」


 ふと、横丁の入り口に構える居酒屋が目に止まった。最初に私が赤提灯を見つけたお店だ。

 古い木造の二階建て。濃紺の暖簾には迫力ある白字で「大江山(おおえやま)」と書かれている。京都の?


 メニューは出ていないし「営業中」の看板も無い。でも、磨りガラスの向こうは淡い電球色の明かりが灯ってる。

 お出汁の香りは…やっぱり。このお店から漂っていた。


 一見さんお断りじゃありませんように。

 私はペコペコのお腹とカラカラの喉を引っ提げて、テッペン横丁初の居酒屋「大江山」に吸い込まれていった。



 店内に一歩足を踏み入れると、芳醇なお出汁の香りに包まれた。


「…こんにちはぁ。」


 L字型の木のカウンターテーブルにはスツールが4脚。奥の方には四畳半くらいのお座敷も見える。

 築年数がだいぶ経っていそうなその内観は、田舎のおばあちゃん家に来たような安心感があった。


 居酒屋ならではのメニューの張り紙とか、お酒のポスターなんかは無い。それがさらに、見知った家感を演出していた。お客さんは一人もいない。



「ーーーいらっしゃい。」


「!」


 カウンター奥の調理スペースから声が。

 見ると、店主らしきお兄さんがこっちを見ていた。


 古めなお店に対して、歳は若そう。30歳手前くらいか。頭に手拭いを巻いて、吊り目が少し恐い印象だ。


「一人?」


 店主さんに訊ねられ、私はビクッとする。

 声ではなく、首を2回縦に振って答えた。


「ここ座って。」


 店主さんが示したのは、カウンターの真ん中の席。初めてのお店にちょっと緊張しながら、私は案内された席に座った。


「何にする?」


「え!?えと…?」


 座るなり店主さんに訊かれ、私は慌てて周りを見る。でもメニューは見当たらない。

 店主さんはおしぼりを手渡しながら教えてくれた。


「何でもあるよ。食べたい物言ってみ。」


「な、何でも…?」


 おしぼりを受け取ると、じんわりと温かさが手の平に伝わった。


 半年前に友達と飲みに行った時も、こんな感じの、ちょっと古めで味のあるお店に入ったっけ。オシャレなバーも良いけど、こういう実家のような安心感も乙なものだ。


「と、とりあえず生、ください。

 …ゴマサバってありますか?」


「お姉さん渋いね。」


 店主さんは私のオーダーを聞くと、首を縦に振る。


「あるよ。ちょっと待ってな。」


 すぐさま細長い調理場の中を滑るように動いて、冷蔵庫を開ける音や、食器やグラスを取り出す微かな音を立てる。

 今日は私一人だから、料理が提供されるまでの間は手持ち無沙汰だ。だから、目の前で動き回る店主さんの姿をぼんやり眺めることにした。


 とっても体が大きい。身長190cm近くありそう。頭に巻いた手拭いと、濃紺の前掛け姿はいかにも居酒屋の店主って感じだ。

 顔はカッコいい…けど、キリッとした吊り目は黙ってると威圧感を含んでて、正直ちょっと怖い…。


「ハイ。」


 眺め始めて少し経って、お通しの小鉢と、グラスに注がれた生ビールが目の前に置かれた。


「ありがとうござ……あっ!」


 小鉢の中を見て、私はすごく小さく声を上げる。


「ふろふき大根!」


 味が染みて良い感じのくたくた具合の大根が、食べやすい大きさにカットされて、柚子の皮と柚子味噌もちょこんと添えられている。お店の外で嗅いだ香りの正体だ。


「…いっ、いただきます!」


 変な顔になってなかったかな。

 私は無理矢理平静を装って、カットされた大根をひとつ口に運ぶ。


「!」


 よく煮込まれた大根は、舌の力だけでホロリと崩れた。出汁の優しい味を、柚子の風味がほどよく引き締めてくれる。

 私の胃袋が求めてたのは、これかもしれない。


 一心に咀嚼していると、だんだん喉が渇いてくる。私は冷えたグラスを握り、疲れた体にこれでもかとビールを流し込んだ。

 案の定!すっごく合う!お醤油お酒みりんで煮たものが、アルコールに合わないはずがないんだ。


「…ぷあっ!」


 思わず大きめの息が漏れ、慌てて口を塞ぐ。案の定、店主さんが不思議そうにこちらを見た。

 恥ずかしい…。食い意地張ってると思われたかな。


 かと思えば、店主さんは吊り目をちょっと柔らかくして、穏やかな声で言った。


美味(うま)い?」


 そんな優しい顔をするなんて予想外で、私の体の芯が急激に熱くなっていく。これは恐らく、一気飲みのせいだ。


「…は、はい!とっても!お酒に合います。」


 店主さんは満足そうに口角を上げ、次のお皿を提供してくれる。今度は2皿だ。


「ハイ、ゴマサバ。あと、これも美味いよ。」


 胡麻の香ばしい香りが漂う一皿と、もうひとつ。小皿の中で湯気を立たせる牛モツ煮込みだ。


「わぁっ!!

 …あれ?頼んでない…です?」


 感激の一瞬から、一気に頭が冷静になっていく。ゴマサバはともかく、モツ煮は明らかにお通しのサイズじゃない。


 しかし店主さんは口角を上げたまま、空になったグラスを即座に新しいビールと交換してくれる。


「博多好きなの?」


「え?…あ、はい!出張で行ってから。」


 私のゴマサバチョイスからバレてしまった。

 半年前、営業部の先輩との出張先が博多だった。商談後の居酒屋巡りは、何度思い出しても幸せな記憶だ。


「ならサービスするから食べてよ。

 んで、感想ちょうだい。」


「え…。」


 カウンターテーブルの上で湯気と芳香を放つモツ煮。傍には冷えたなみなみのビールと、つやつやしたゴマサバの皿。


 せっかくのお料理を冷ますなんて勿体無い。私は店主さんのご厚意を受け取り、熱いうちにモツを口へ運んだ。


「!!」


 とろけ具合は大根と良い勝負。ただしこっちは濃いめのおつゆが良い感じに喉を渇かしてくれる。店主さんが見ている前でもお構いなしに、私は2杯目のビールを喉に流し込む。


 再度お箸を握り、香り高いゴマサバを摘んでまた口へ…。

 あぁ、この味。グルメ小旅行で飲み屋街をハシゴして食べ比べたどれよりも、脂が乗ってて美味しい。


 この無限ループが永遠に続いてほしい。



「………ぷふっ。」



 吹き出す声が聞こえて、私はハッと我に返った。

 見れば、カウンター向こうで店主さんが小さく震えてる。後ろを向いて笑いを堪えてる様子。


 ーーーえ?私の顔見て笑い出した…?


 さっきまでの天国から一気に地上に突き落とされ、せっかく回ってきたほろ酔いも急激に冷めていく。


「……あの、なんですか?」


 初対面の人に突っかかることが、怖くないわけじゃなかった。ましてこんな大きなお兄さんに。

 でも何もしてないのに笑われたら、誰だって嫌だ。私は凄む。


「…ぷ、くく…。

 ご、ごめん、そういうんじゃないから。」


「…はい…?」


 店主さんは驚くほど長い時間、笑いのツボを引きずっていた。

 だんだん呆れた顔に変わっていく私に、店主さんは涙目になった目元を擦りながら言う。

 その無防備な顔に、不覚にも私はドキリとした。


「お姉さん、一口食べるたんびにどんどん顔がニマニマしてくから、なんか釣られちまって。」


「エッ!?」


 確かに物凄く美味しくてお酒にもバッチリ合うけど、…笑われるほど幸せダダ漏れ顔してたのか。


 ーーー恥ずかしい!そりゃ変な奴って思われて当然…!


「…だ、だって!」


 ビール2杯をチャージした私は、ほどよく酔いが回り始めている。

 だから、いつもなら口にできないことも、お酒の勢いで言うことができる。


「こ、こんなに美味しいご飯食べたの久しぶりで…!仕方ない!です!」


 すべては、美味しいご飯とお酒の魔力。

 我ながらなんて意味不明な解説。


 店主さんは涙目から一転、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、私のことを見た。


 …そして、もう可笑しさで笑ったりしなかった。

 代わりに、吊り目を緩やかにした優しい笑顔で、



「そんなに美味(うま)かった?」



 ふろふき大根みたいに温かくてホッとするその声は、私のお腹にじんわりと染み込んでいった。


 不思議だ。

 営業職たるもの、初対面の人との会話に気負うことは滅多にない。

 でも、目の前の店主さんの笑顔を見てしまっては、低くて優しい声を聞いてしまっては、上手く声が出なくなってしまう。ついでに、頭の芯もじんわり熱くなっていく。


「……あ、は、はいっ!

 …とっても!お酒に、あいます…!」


「そいつは良かった。

 初めて見る顔だね。テッペン横丁初めて?」


 そして、3杯目のビールを出してくれる。

 居酒屋の醍醐味はそこの店主さんとのお喋り。程よくお酒が回った私は、なんだかとっても上機嫌だった。


「はい!会社が近くにあって。

 今までこんな飲み屋街があるなんて知りませんでした。味があって、良い雰囲気ですね。」


「え?…今まで気付かなかったの?」


 店主さんの声は、ちょっと意外そうなニュアンスだ。


「お姉さん、今の会社勤めて何年?」


「え?新卒で入って…今、2年目です。」


「へぇ、若いのに、大変だねぇ。」


 店主さんはなぜだか妙にしみじみして、それ以上話しかけることなく、調理場の奥の方へと移ってしまった。

 その後ろ姿をぼんやり目で追っていた私は、無性にドキドキする胸の辺りをギュッと掴む。


「……あのっ、」


 気付けば私は、店主さんを呼び止めていた。

 追加で食べたい物があったわけでも、ビールを空にしたわけでもない。


「ん?注文?」


 体が大きくて一見怖そうだけど、優しく笑いかけてくれる店主さんの顔を、もっと見ていたかったから。


「……わ、私!

 月見(つきみ) 美郷(みさと)っていいます!」


「え。」


「…お、お酒と…!

 美味しいごはんが大好きです…!」


 気付けば私は、そう弱く叫んでいた。顔を茹で蛸並みに真っ赤にして。

 店主さんはまたも驚いた顔を見せたけど、



酒田(さかた) 冬至(とうじ)

 居酒屋 大江山の店主。

 俺も、酒と美味い飯が好きだよ。」


 そう言って彼…冬至さんは、おもむろに頭に巻いていた手拭いを脱いだ。

 礼儀作法的なものかと思った。客先に着いたら上着を脱ぐ、挨拶をする時は帽子を脱ぐ、みたいな。


「…月見さんは“珍しいお客”だから、今夜はビール1杯とゴマサバのお代だけでいいよ。

 その代わり、お願い聞いてくれる?」


 でも、どうやら違ったらしい。

 冬至さんの額には、見慣れない小さな“ふたつの突起”が付いていた。


 南部鉄器みたいな黒く硬そうな突起は、獣の角のように天を向いていて、穏やかに見えた冬至さんの笑顔をたちまち悪戯っぽい艶笑へと演出した。



 “鬼”である。

 そういうアクセサリーが流行っているとかじゃなければ、今目の前にいる酒田 冬至さんは、鬼そのものの姿をしていた。


 当然、鬼を見るのは生まれて初めてだ。

 こういう時、普通はどうするんだろう。一目散に逃げるのが正しいのかしら。でもそれってお店の人に失礼じゃないかしら?

 すっかりほろ酔いに支配された私の頭は、妙に冷静だった。


「テッペン横丁では、大江山(ウチ)の常連になってよ。

 酒も飯も、君の胃袋を掴む自信あるから。どう?」


 冬至さんの低くて穏やかな声が、私のお腹に響く。

 何か不思議な魔力でもあるのかと疑いたくなるほど、私はその声から意識を逸らせなかった。


「……あ……。」


 ほろ酔いと、日頃の残業疲れをパンパンに溜め込んだ頭で、私は思考する。


 ーーー鬼だから、なんだっていうんだ。


 私はお客としてここへ来て、美味しい食事を堪能した。このひとは鬼の姿をしているけど、今は私に美味しい物を提供してくれる“居酒屋の店主さん”以外の何者でもない。



「…わかりました…。」



 胃袋はとっくに掴まれている。

 ついでに、心も鷲掴みにされている。


 この日私は大江山と、冬至さんの常連になると決めたのだ。


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