全能という名の恐怖
かれこれ狂言を1時間ぐらい見ている。
わからない。
内容が入ってこない。
型がさっぱり理解出来ない。
何なんだろう。
狂言の面白みは笑いにあるという。
いっそのことサイレントで見た方が良いのか。
歌手のAdoは狂言が好きという話を聞いた。
どういう気持ちで「うっせぇわ」をリリースしたのかがふと気になった。
狂言に似ているものに能というものがあるが、狂言と能の違いは台詞の有無にあるとGoogle先生は回答を出してる。
何かを訴えたくて「うっせぇわ」をリリースしたんだとしたら、台詞で物事を訴える狂言からすれば、真逆のことなんじゃないかと感じた。
どっちかと言えば、能の方が謡いや音楽で物事を訴える分、何か違和感を覚えた。
考え過ぎか。
話が逸れてしまった。
よく話を逸らしてしまうのはよくない癖だ。
人は皆違いがあって皆良いという。
だから物事にも差異が生まれる。
ここで不思議なことは、全能という言葉だ。
全てを理解出来るということは、ある意味怖いことだと感じてしまう。
等しく全ての物事を理解出来るということなど。
考えただけで…。
退屈じゃないのだろうか。
物事に差異を感じないのだ。
究極的な平等主義と言っても過言ではない。
神には娯楽という概念すらないのか。
これ以上話を拡げることが無理そうなので、話をプツ切り。冷静になって投稿やめる前に投稿逃げ