帰還と始まってしまった物語
「完成い! いえーい!」
「わー!」
ついに完成した時空間トンネルを前に、墨也と桜が拍手していた。これを通ることによって彼らは元の世界に戻ることが出来るのだ。
「忘れ物の!」
「ありません!」
「痕跡き!」
「あ、ありません!」
何か忘れた物がないかチェックする墨也に、桜は元気よく返事したのだが、痕跡と言われると、燃やされたあれやこれやを思い出して赤面する。
「よし! じゃあ帰るか!」
「はい!」
「突入う!」
「突入!」
ようやくこの陰気な世界とおさらばできると、若干ハイになってる墨也と桜が、ついに時空の狭間に一歩踏み出した。
「ここは……」
ほんの一歩空間の歪みに立ち入っただけなのに、桜の周りは一変していた。そこは妖界に行く前の場所、もっと言えば桜が天狗に敗れた廃ビルの中だった。
「悪い。一番手短に戻れる場所がここだったんだ。しかしまあ、来年にはぶっ倒してる。だろ?」
「はい!」
「その意気その意気き」
天狗の開けた時空の裂け目を墨也が利用した結果、例の廃ビルに戻って来たのだが、桜は怯えることなく気合を入れ直している。
「寮だったな。そこまで送ろう」
「あ、あの」
「ほれ行くぞ」
「あ、ありがとうございます!」
桜が住む寮まで送ると言った墨也に、彼女は妖界から帰って来たのに、これ以上迷惑を掛けてもいいものかと言い淀むが、それを墨也は遮って促した。
廃ビルを出て夜の街を墨也と桜が歩き始める。
「日を確認しとかないとな。すいませんド忘れしちゃって。今日って4日で合ってますか?」
「え? ええっと、そうです4日です」
「すいませんありがとうございました」
墨也が通行人に今日の日付を確認した。
妖界と現実世界は時間の流れが違う為、彼が思っていた通り、妖界で過ごしたこの数日間は、現実世界では一日も経っていなかった。
「よかったな。先輩も心配せずに済む」
「はい!」
桜の唯一の気がかりであった、愛する赤奈に心配をかけているのではないかという思いも杞憂で終わった。
「ここか?」
「はいそうです!」
心配事がなくなり心も軽くなった桜の足取りもまた軽く、あっという間に彼女が住んでいる魔気無異学園の女子寮に到着した。
「そんじゃな。気合入れ過ぎるなよ」
つまりそれは、桜と墨也が別れる時という事だ。
「本当に! 本当にありがとうございました!」
「おーうう」
細かい事は言わず、ただ真摯にお礼を言って頭を下げる桜に、墨也もまたシンプルに太い笑みを浮かべて応える。
(今度お礼を言いに行くんだもの。これでお別れじゃない)
桜はまだまだ彼と会う機会はいくらでもあると思いながら、去っていく墨也をじっと見続けていた。
もう少しだけ考えるべきだった。
心配をかけないでほっとしたのならば。
ここは女子寮。
魔気無異学園の生徒。
もっと言えば。
(あの男は誰? 誰なの桜?)
桜が愛する赤奈も住んでいる場所なのだ。
偶然桜と墨也が別れるところを、寮の窓から赤奈がじっと見ていた。
(桜に聞く? いえでも、面倒な女だと思われたら……)
随分親し気にやり取りしていた愛する人と、見知らぬ男の関係が気になって仕方のない赤奈だったが、それを聞いて悋気な女だと思われたらどうしようと二の足を踏んでしまう。
(なにもない。そうよ。桜が明るいから親しげに見えただけ。でもどうして女子寮まで一緒に来たの? ここまで一緒に来る用事ってなに?)
必死に考えを打ち消そうとする赤奈だったが、ぐるぐると嫌な想像ばかり頭を巡る。
pipipipi
(っ!? 桜からだ!)
思考に耽っていた赤奈のポケットから携帯電話の着信音が響き、それを彼女が手に取ると、桜からの着信だったため慌てて通話ボタンを押す。
『赤奈先輩!』
「ど、どうしたの桜?」
『いえ用事とかはないんですけど、赤奈先輩の声が聞きたくて!』
「そ、そう」
(よかったいつもの桜だ。そうよね。もう、男との距離感は間違えないでって言ってるのに)
電話越しに聞こえる桜のいつもの声に、赤奈はほっとしながら心の中で息を吐く。時折こうやって、ただ単に赤奈の声が聞きたいからと、桜から電話が掛かって来る事があったのだ。
「これから私の部屋に来る?」
そういったときは赤奈が部屋に招いて、桜が直接やって来るのがお約束となっていた。
しかしである。
『え、えっと、今日はこれからちょっと忙しくて……』
「そ、そう……」
(どういうこと……?)
その予定調和は桜によって崩された。
悲しきすれ違いであった。
(い、色々洗濯して念入りにお風呂に入ってたら、大分遅くなっちゃうよね……)
桜はこの数日間一度も入浴せず、着ていた服も汚れていたため、今から愛する人に会いに行くには、色々準備が足りなかったのだ。そのため彼女は、赤奈と会いたい欲求をぐっと抑えて辛抱していた。
(ま、まさか、いえでもそんなことは……)
しかし、赤奈からすれば愛する桜が見ず知らずの男と先程までいたのに、自分の所には来ないとなると、色々と考えてしまう。
『そ、それじゃあ赤奈先輩おやすみなさい!』
「え、ええ。おやすみなさい……」
そこで切られた携帯電話を、赤奈は暫く揺れた瞳で見続けるのであった。
◆
「こ、こんなに汗で汚れてたの!? す、墨也さんの顔見れないよおおおお!」
一方桜は、自分が着ていた服の汗汚れに顔を蒼褪めながら、今までこれを着て墨也と接していたのかと悲鳴を上げていた。
嗚呼すれ違い。