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第5童 怪物

男は眠気眼だった。

夜中に尿意から目が覚め、フラフラと家を出て厠へと向かう。


男の暮らす村は僻地にある人口50人足らずの寒村だ。

辺りにはポツポツと茅葺き屋根の木屋が建ち、その殆どが村に数カ所用意されている共同の厠を利用している。


これは糞尿を効率よく集める為だった。

何故集めるのか?

理由は二つある。


一つは下水が無い事、そしてもう一つは肥料に使われる為だ。

ど田舎の村に下水設備などあるはずも無く。

一軒一軒に厠が用意されていたのでは肥料として処理する際、収集の為に余計な手間がかかってしまう。

それらの手間を省く為、村では共同の厠が利用されているのだ。


男が村外れにある厠で用を足していると、バキバキと木を砕く鈍い音が聞こえてきた。男は慌てて厠から飛び出し、音のした方へと視線を向ける。


「あ……あぁ……」


その目に映ったのは、月明かりの中に立つ巨大な黒い影。

その影が巨大な何かを振り上げる。

月明かりを照り返すソレが巨大な斧である事に気付いた時にはもう、男の運命は終わりを迎えていた。


「グモォォォォ!!」


化け物が雄叫びをあげた。

その咆哮は、小さな村に滅びを告げる終末の鐘となって村全体に響き渡る。

そしてこの日、僻地にある小さな村は壊滅した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「しっかし、なんもねーなー」


高田勇人は彷徨い歩いていた。

その場に留まり、10年も単独でのサバイバルなどあり得ない。

そこで彼は、人という存在を求めて当てもなく歩き続けていた。


ここは異世界。

人間が存在するという保証などなかった。

仮にいたとしても、広い世界をあてもなく歩き回って出会えるかもわからない。


それでも彼は彷徨い歩く。

何故なら、人は一人では生きられないからだ。


「また飛ぶしかねーか。でもなぁ……」


賢者である彼にとっては、飛行魔法など容易い事だ。

だが飛行魔法には大きな欠点があった。

それは上空を高速で飛ぶと、尋常ではない程の冷気に体温を奪われてしまうのだ。


「風邪引きそうだし、止めとくか」


上空を飛ぶから寒いのだ。低空飛行ならばそれ程問題はなかった。

だが頭の悪い彼がそれに気づくのは、残念ながらまだまだ先の事となる。


「お!森か!?」


遠くに茂る青々とした木々に気付き、彼は声をあげた。

これまで続いてきた草原が途切れ、視線の先に広がる森に彼は小躍りする。


高田勇人は特段森が好きと言うわけではない。

なら何故喜んだのか?

それは食料の問題に直面していたからだ。

これまで進んできた草原には殆ど生き物ーー正確には動物が見当たらなかった。


初日に鳥を狩って以降、この3日間で口にした食べ物はネズミの様な小さな動物が数匹程度。とてもでは無いが満足のいく食事とは言い難い。

その為、彼は今も空腹を我慢して歩いていた。


獲物が見受けられなかった草原と違い、森は生命の宝庫だ。

これでまともな食事にありつけるかもしれない。

そう考えると、自然と彼の足は早足になる。


だが後50メートルと言った所で、彼は足を止める。

バキバキと木が倒れる音が森から聞こえて来たからだ。

その音は、確実に彼の方へと近づいてきている。


「なんだぁ?」


どんどんその音は大きくなっていき、森の茂みが次々傾いて行くのが見えた。


「ぽにょペニョー!!」


森と草原の境界線となる茂みが揺れて、突如女の子が飛び出してきた。

12、3歳位だろうか。

髪をおさげにした赤毛の女の子が、意味不明な言葉を喚きながら勇人の元へと走ってくる。


バキリと森の方から一際大きな音が響く。

少女に気を取られていた勇人は音に気づき、再び焦点を森側に戻した。

そして目を見開く。


木々をなぎ倒し、現れた巨大な異形に。


森から現れたのは牛の化け物。

人の様な体に牛の頭と下肢を持ち、その体躯は優に3メートル近くにも及ぶ巨体の化け物だった。


「ミノ…タウロス……」


突如現れた神話上の化け物に、高田勇人の思考は止まる。

異世界である以上、元の世界の常識は通用しない。

そう覚悟はしていたが、目の前の巨大な化け物はそんな彼の想像を遥かに超えていた。


「ぽにょペニョー!」


そんな彼を正気に戻したのは少女の悲痛な叫び声だった。

勇人の元に辿り着いた少女は涙を流しながら彼の服を握り締め、必死の形相で「ぽにょペニョ」と叫び続けた。


「いやあの、何言ってるのか分からないんだけど?」


そんなやり取りをしている間にも、巨大な牛の化け物はドスドスと大きな足音を立てて此方へと向かって来る。


「エアフライ!」


このままだと不味いと判断した勇人は、少女を抱えて飛行魔法で飛び上がった。


「うっわ、メッチャ見てるよ」


上空に避難した勇人達を、ミノタウロスが真下から睨みつけてくる。

その殺気の篭った視線に勇人は思わず身震いする。


さっさと諦めて何処かへ行って貰いたい。

そんな事を勇人が考えていると、足元でウロウロしていたミノタウロスが突然体を大きく捻りだす。


そしてその手に持った自身の身の丈程もあるであろう巨大な斧を――勇人達に向かって投げつけた。


「うわあぁぁ!?」


咄嗟に回避した勇人の真横を巨大な戦斧が通り過ぎて行く。

その余りの迫力に、勇人は恐怖で顔を歪めた。

もし彼に男性器が残っていたなら、間違いなくお漏らししていた事だろう。


空高く放り投げられた斧はやがて重力に従い落下し、轟音と共に大地を叩き割る。


「やば。こりゃ飛んで逃げるしかねぇ」


このまま上空に留まったのでは、間違いなく投擲の的にされ続ける。

斧を拾い上げるミノタウロスの姿を見て、勇人は飛んで逃げる事を決断した。


「ちょっと寒いけど、我慢してくれよ」


腕の中の少女にそう呟くと、勇人は森に向かって飛行する。

余り速度を出すと凍えてしまうので、出来るだけ押さえて飛ぶが――


「追って来てやがる……」


勇人は思わず叫ぶ。

此方を追って森に飛び込んだミノタウロスの姿は鬱蒼と茂る森の木々によって遮られ、視認する事は出来ない。だが追って来ているのだけははっきりと分かった。


ミノタウロスはその巨体故、邪魔な木々を薙ぎ倒しながら進んでいるからだ。

そのため森の破壊状況の推移で、姿は見えなくともその位置は正確に把握できた。


「でもなんでこっちの位置がわかるんだ?」


だがミノタウロスからは森の木々が邪魔して此方の姿は確認できないはず。

にも関わらず、進行方向を細かく切り替えている勇人達の後をミノタウロスは正確に追跡して来ていた。


「糞牛がっ」


勇人は思わず悪態を叫ぶ。

このままでは振り切れそうになかった。

この状態で彼に取れる手立ては二つ。

凍えるのを覚悟で速度を上げて振り切るか、魔法で迎撃するかだ。


前者は低体温症の危険があり、空中で意識を失えば墜落死もあり得た。

後者も魔法に耐えられた場合かなり危険だと言える。

魔法を連発できればいいが、残念ながそれはまだ試してはいないので分からない。


「しょうがない、魔法で迎撃するか」


勇人は結局魔法で迎撃する事を選ぶ。

彼の脳裏に浮かぶ手加減なしの凄まじいまでのウォーターの威力。

流石の巨体と言えど、あの威力には耐えられないと判断したからだ。


「それにウォーターは攻撃魔法じゃない」


只の水を出すだけの魔法であの威力だ。

本格的な攻撃魔法ならば確実に仕留められる筈。

勇人は頭の中の図書館から考えうる最強の魔法の情報を引き出し、ギリギリまで高度を下げてから森へと降り立った。


「ちょっと後ろに下がってて――」


抱き抱えていた少女を降ろそうとして、彼女が意識を失っている事にその時初めて気付く。見れば少女の体は細かい傷や痣があり、全身泥に塗れていた。


「頑張ったんだな」


勇人は少女をゆっくりと木の根元に寝かせ、バキバキと大きな音を立てる方へと一歩前へでる。


その顔に浮かぶのは怒り。

彼は腹を立てていた。

いたいけな少女をこんなにまで追い詰めた、ミノタウロスという化け物に。


薄暗い森の中、あんな化け物に追い回される。

それが少女にとってどれ程の恐怖だったろうか。


「くそが!!」


「グモォォ!!」


まるでカーテンを引くかのような軽いてつきで邪魔な木を押し倒し、ミノタウロスが雄叫びをあげながら姿を現わした。

化け物は迷わず勇人へと突進する。


「グモォォじゃねぇよ!」


間合いに入った途端、ミノタウロスが手にした巨大な斧を振り上げた。

だが勇人は微動だにせず、その手を素早く牛の化け物へと翳す。


「吹き飛べ!死の破壊(デスカタストロフ)


勇人の視界を黒く禍々しい光が覆い尽くした。

光は全てを飲み込みながら広がり続け、触れるもの全てを崩壊させ原子の塵へと書き換えて行く。


「えぇ……まじか……」


魔法の光が消え去り、その破壊の後を目にした勇人は思わず声を漏らす。

そこにはまるで森など最初から無かったかの様に、平地が目の前に広がっていたからだ。彼の瞳に彼方の地平線が映り込む。


勇人はしばし自分の右手を茫然と眺め。

それから一言呟く。


「ま、あれだ。考えたら負けだな」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



カレンド王国の東に広がり、広大な面積を誇るタラントの森。

その森から今日、面積の半分が失われた。

その異変の調査は国を挙げて大々的に行われたが、結局大した成果が挙がる事なく原因不明のまま調査は打ち切られる事になる。


謎のタラント森消失事件は王国三大ミステリーとして後世長きに渡り研究される事となるが、その謎を解き明かす事は誰にも出来なかったと言う。

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