第91話 校長室
「お母様が学校にいらしてる!?」
リリイは自分の母親が学校に来ていることにたいそう驚いていて、僕が今まで聞いた中で一番大きな声を出した。場所が講義を受けるための教室だったため、皆がこちらを見た。まだ講義が始まる前なので、大きな声を出したところで怒られはしないけれど。リリイの隣に座った僕は、教科書を広げながらリリイに尋ねた。
「リリイ、お母さんが来るって聞いてなかったの?」
「ええ……それにしてもこんな急に学校にいらっしゃるなんて、一体お母様、どうなさったのかしら。お母様も街中なんて嫌いなはずだし、まして校長先生と話なんて……」
リリイは曇った表情を浮かべながら首をかしげた。たしかに、わざわざ元彼である校長先生の元にやって来てまで話したいことってなんだろう。
そういえば、僕の父さんも唐突に校長先生と面談していたっけ。やはり、特殊魔道士の親だと思うことあるのだろうか。だけど、リリイのお母さんも『蘇生魔道士』だし、この学校の卒業生だから、特殊魔道士の事情はわかっているはず……これ以上は考えても僕には検討もつかなかった。
「お母様、なにか仰っていた?」
「いや、特には……挨拶ぐらいで、たいした話はしていないよ」
「そう……」
校長先生とリリイのお母さんの別れの真相を聞いたとはさすがに言えず、話した内容はごまかさざるを得なかった。
国語の先生が教室に入ってきて、講義が始まる。リリイは、得意の国語の授業だというのにまるで集中していなかった。完全に心ここにあらずで、そわそわしている。今にもふらりと教室を出ていきそうだ。
講義が終わると、リリイは教室を飛び出すように出ていった。僕もリリイを追いかけるように教室を出た。
僕とリリイが校長室のある廊下につくと、ちょうどリリイのお母さんが校長室から出てくるところだった。
「お母様!」
リリイはお母さんを叫ぶように呼び、駆け寄っていく。
「リリイ、そんなに慌てなくても」
「だけど、お母様がわざわざ学校にいらっしゃるなんて、何事ですか」
「リリイ、そんな心配することじゃないよ。それよりリリイ、お母さん王都に久しぶりに来たからさ、ちょっと観光するわ。リリイもいらっしゃい」
「え、ええ」
リリイのお母さんはリリイの髪を撫でながら言った。「心配することじゃないよ」と言っていたが、リリイのお母さんの表情は間違いなく暗かった。やはりなにか事情があるようだ。娘のリリイから見ても、リリイのお母さんの今回の行動はかなり不可思議なのだろう。リリイのお母さんは、僕もその場にいることに気づいて、僕に話しかけた。
「キルルくん、せっかく来てくれたのに悪いけど、親子二人で過ごしていいかしら?」
「は、はい、どうぞ、遠慮なく」
「キルル、また後でね」
リリイも僕に向き直って言った後、お母さんに連れられ、学校を出ていった。
「キルルくん」
背後から声が聞こえたので振り返ると、綺麗な白づくめの男の人が立っていた。ピエロじゃない、素顔の校長先生だった。
「キルルくんは、校長先生とお話しましょう。さ、こっちに」
校長先生は手招きして僕を校長室に入れた。
僕はさっき、校長先生と旧即死魔道士の色恋沙汰を聞いてしまったので、少し警戒しながら校長室に入った。
初めて入る校長室は、子供部屋のようにカラフルだった。壁は真っ赤で、本棚や棚も黄色や緑色だ。その本棚に並ぶ本の背表紙も、また色とりどりであったが、それぞれの色が喧嘩せず絶妙な配置になっていた。色鮮やかな部屋に浮き上がるように、真っ白な校長先生が立っていた。今まで、校長先生の素顔を見たときは服はピエロのままだったが、今日の校長先生は、服もピエロじゃなく、私服らしかった。足元まである白いロングコートを着ている。下に履いているズボンと靴は黒だった。
校長先生が開口一番に話したのは僕も気にしているあのことだった。
「リザ、言っちゃったらしいじゃないですか。私が『旧即死魔道士』と浮気したって」
「リザ」は、リリイのお母さんの名前だそうだ。
「まったくもー。このことはキルルくんが18歳になるまでは知られたくなかったのになあ。バラしちゃうなんて、リザ、よっぽど怒ってたんですねえ」
校長先生は、昔を思い出すように斜め上の方を見ながら言った。相変わらず、癖のないタイプの恐ろしく整った顔立ちだ。そこに、僕の好みに寄せているらしい水色の目、そして白銀の長い髪が一つに縛られ片側に垂れ下がっていた。
「あの、どうしてそんなことに……」
「気になりますよね。だけど、この先を聞くと言うことは、あれですよ。『即死魔道士』が辿る末路まで話さないといけなくなる。キルルくんは今レベル60でしたっけ。今話すのは微妙な気がしますが、聞きます? ショックを受ける可能性もありますよ」
校長先生は、僕を心配しているような口ぶりだったが、顔は笑っていた。どこか面白そうだ。僕はこれから聞く話の内容より、今対面している校長先生の方を恐れていた。校長先生は多分今「先生」として話していない。「染色魔道士シキ」として話していると感じたからだ。
「聞きます……いずれレベルは上がりますし」
「そう。先生と『旧即死魔道士』はね、恋敵でもありましたが、友達でもありました。『旧即死魔道士』は、根っからの不良でね。私も色恋が入るとかなり不良の部類だったので、不良同士、気が合う部分があったんです。とはいえ、『旧即死魔道士』を不良呼ばわりできたのはレベル80まででした。レベル80を超えたとき、あいつは不良どころではなくなってしまった。平気で人を殺しまわる『殺人鬼』となりました。前も話しましたが、私も殺されました」
「先生が『旧即死魔道士』が色恋沙汰になったのはいつ頃なんですか?」
「あいつがレベル100になってからですね。学校生活残り半年というときかな? あいつは各方面から恐れられ、どんどん孤独になっていました。自業自得でしたが。蘇生魔道士のリザも完全に『旧即死魔道士』を嫌ってしまいました。最後まで、友達として残ったのが私でした。だからあいつは手を出してきたんです私に。私はそのときリザと付き合ってましたが、来るもの拒まずな性分なので、浮気になりました」
「校長先生は、どうして『旧即死魔道士』と最後まで友達だったんですか」
僕がそう尋ねると、先生は僕を見つめて言った。
「先生は、あいつの悪いところが好きでした。私も『常識ない』と各方面から言われましたが、あいつはそれを軽々超えられる。一緒にいると、どこか安心したんです。……キルルくんは、レベル100になるころ、どんな感じになっているんでしょうね。先生は個人的にはわくわくします」
「わ、わくわくって……」
「キルルくん、君いつまでいい子のふりしてるんですか?」
いきなり、空気が凍った。今まで、校長先生と「旧即死魔道士」の狂った世界の話のはずが、いつの間にか僕の話になっている。先生は僕にどんどん近づいてきた。思わず後ずさりした僕は、本棚に背中をぶつけた。先生はさらに近寄ってくる。もう目の前に先生の綺麗な顔があった。
「君がいつ本性見せてくれるのかと、先生は思っています」
「本性って……」
僕、そんなに自分を偽っているだろうか。たしかに見せないでおこうという一面があるのも事実だが、先生に見せているこの姿が嘘なわけじゃないのに。
「キルルくんは、『旧即死魔道士』よりヤバい子なんじゃないかって、先生は思ってますが?」
「え?」
「君、自分が殺した動物やモンスターを、リリイさんの『蘇生魔法』で生き返してもらったことありますか?」
「え? いいえ……」
なぜいきなりリリイの蘇生魔法の話になったのかわからず、僕はいぶかしげに返事をした。
「『旧即死魔道士』は、軽はずみに殺すやつでしたが、『やりすぎたな』と感じたらリザに頼んで生き返していました。私が今生きているのもそういうことです。しかし、君は、今まで殺したものをご丁寧に保存している。『蘇生魔法』が存在しているのに、生き返す気なんて微塵もないんですよねえ。君に命を狙われたら終わりですね」
僕は、思わず先生を見つめた。
「ふふ、怖い顔。よくその顔を隠してましたね」
先生は笑いながら言った。
「僕、怖い顔してますか?」
「ものすごく睨んでますよ」
先生は怖いと言いながらも表情からはまだまだ余裕を感じた。
「せ、先生のその髪とか目の色、僕の好みに合わせてるってリリイのお母さんが言ってたんですが、そうなんですか?」
僕は思わず話を反らした。
「はい、だけどこれは誰に対してもやっています。もうこれは、『染色魔道士の性』ですね。ついやってしまうんです」
「『旧即死魔道士』が先生に手を出したのって、結局、先生が『旧即死魔道士』の好みに合わせてたからなんじゃ……」
「はい、その通りですよ。いけませんか?」
「いけなくは、ないですけど……」
「なんなら、体験します?」
「え?」
校長先生は、いきなり僕の頭を掴んだ。
「ひゃっ!」
一瞬、目の前が真っ白になった。
「ふむ、キルルくん、思いの外似合いますねえ。白色」
「へ?」
先生は、コートのポケットから小さな鏡を取り出した。
鏡の中には、リリイと同じような、白髪の僕がいた。
「僕、白くなってる!?」
僕が着ていた黒色の服もすべて、白くなっていた。
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