第三十六話 私と神官の力
次に目を開くと、あの緊迫した現実に戻ってきていた。
私は、そっと胸に手を当てる。
私の意識は確かにここにあるのに、別の存在が私の身に宿っているようだった。
呼吸をする度に、強力な神力の奔流が感じられた。
……大丈夫。
今の私なら、レベッカを助けることができる。
『恐ることなかれ。神に導かれし子らよ』
自分の意思とは関係なく勝手に口が開き、言葉を紡いていく。
その口から漏れる声は、私のそれではない。
先ほどまでいたあの不思議な空間で対峙していた、あの女性のそれだった。
恐慌状態に陥っていた人たちは、それを聞いて落ち着きを取り戻す。
ただの一言で人々に安堵感を与えるような、不思議な説得力がその声にはあった。
「フレイア様が……クレアさんに完全に憑依している……!」
ヘレン様の驚愕したような声色が、静かにその場に響いていた。
その言葉に場が騒めく中、私は一歩一歩瘴気に近づいて行く。
心なしか、先ほどまで辺り一面を埋めつくさんと触手を広げていた瘴気が、どこか怯えたように縮こまっているようだ。
「……『陽の浄化』」
そっと崩れかけた結界に手を当てて呟くと、その瞬間に強烈な光が結界の中に発生した。
それはあっという間に広がり、結界内に広がる瘴気を更に囲む。
光に瘴気が触れる度、触れたところから瘴気が弾け消えていった。
パンッ……!
やがて、何かが割れる音と共に、瘴気と結界が完全に消え去っていた。
そして、それと同時に私の中に確かにあった別の存在がいなくなる。
「レベッカ!」
私は倒れ込みそうになっていた彼女に駆け寄って、その身を支えた。
何か瘴気の影響を受けていないか気になるけれど、レベッカの姿形には何ら不審な点はなかった。
じっと様子を伺っていると、彼女はそっと小さく目を開いた、
「レベッカ、大丈夫……?」
私は、ゆっくりと彼女に問いかける。
「クレア……私……」
レベッカは辺りに視線を漂わせながら、怯えるように身を縮こまらせていた。
「瘴気は無事、祓えたよ。どこか体に違和感はない?」
「え、ええ……。むしろ瘴気に捕まる前よりも、体が軽い感じがするわ」
彼女の回答に、私はホッと安堵の息を漏らす。
「そっか……。レベッカが無事で、本当に良かった……!」
彼女は一瞬涙を流すように、ぐしゃりと顔を歪めていた。
「どうして……?私、クレアにあんな酷いことを言ったのに……」
「私の中では、やっぱりレベッカは大切な友だちなんだよ。たとえレベッカが私の事をどう思っていたとしても、それで私たちが積み重ねた時がなくなる訳じゃないから」
私が辛い時、レベッカは側にいてくれた。
私が悲しい時、レベッカは助けてくれた。
たとえレベッカに何か別の思惑があってそう接してくれたのだとしても、私が彼女の存在に助けられたことに変わりはない。
「だから、レベッカの言葉を信じられるよ。……ねえ、レベッカ。私もレベッカのことが大好きだよ。だから……これからも、一緒にいて欲しい」
レベッカの“大好き”の言葉に対する答え。
私のその言葉に、彼女の瞳から堰を切ったように涙がポタポタと溢れ出ていた。
「ありがとう、クレア……。叶うことなら、もっとクレアと共に過ごしたかった」
そう言いながら、彼女は弱々しく微笑んだ。
「レベッカ、どうして……」
どうして、もう叶わないと諦めているような言い方なの?
「……レベッカさん。ちょっと私たちと共に来てくれますか?」
彼女に真意を尋ねようとしたけれども、彼女を確保しに来た先生たちによってレベッカは連れられて行ってしまった。
後に残ったのは、私がフレイア様の神官だと知って戸惑い驚愕する周囲の声だけだった。




