第三十五話 私と神さま
『ごめんなさい……』
聞き慣れた声に、私は目を開く。
そこには、見覚えのある麗しい女性。
「……何故、貴女は謝るの?」
そうだ……この声は、前世の最期に聞いたもの。
私が言うべき筈だった言葉を繰り返し囁く彼女に、思わず私は問いかける。
『神たる私が、其方と其方の血族を守ることができなかったからです』
彼女は、悔いるような表情を浮かべていた。
神さまも存外人間のように感情を顕にするのだと、ぼんやりと頭の片隅で思う。
『事の次第は、私を宿した初めの神官が異界に渡ったことが始まりです。私の神官は邪神を封じた後に表の役職から全て退き、其方が産まれた村に結界を張り、そこで密かに暮らしていました。ですが、あの村は時折異界に通じる穴のようなものが生じることがありました。その穴に初代神官は引き摺り込まれ、異界に渡ってしまったのです』
彼女から語られる思わぬ過去の話に、私は驚きを隠せない。
『この世界に戻れなかった初代神官は、そこで神の社を建立して根を張りました。子を産み育て、そうして代々神力を子孫へと受け継ぎました』
私の生まれ育った神社にそんな謂れがあるとは思いもしなかった。
けれど、それと同時に納得する部分もある。
ずっと、不思議だった。
世界が違うのに、何故前世で叩き込まれた巫女の作法とこの世界の神官のそれが似通っているのだろうか、と。
『この世界に残った初代神官の血縁の子孫よりも、其方の魂は私の力に馴染みます。それ故に其方の力を恐れた邪神より、其方は命を狙われたのです。たとえこの世界の神であろうとも、異界への干渉は難しい……その上、邪神は封じられていたので、本来であれば異界の其方を害することなどできぬ筈でした。ですが封印の力が薄まり、徐々に力を取り戻した邪神は異界に住む其方を害することに己の力を注ぎ込んだのです』
「……じゃあ、あの事故は……私のせいだったということ?」
彼女の言葉が真実だとしたら……あの日あの時、私がともに車に乗っていたせいで、お父さんもお母さんも事故に遭ってしまったのだから。
『否……決して其方のせいではありません。全ては、私たちの力を削ごうと画策した邪神によるもの。そして、其方と其方の血族を守ることができなかった私の責任です』
「でも……っ!」
言葉に詰まって、代わりに涙が溢れ出た。
『……ごめんなさい』
彼女は再びポツリと謝罪の言葉を紡ぐ。
その言葉は、白いこの空間に虚しく響いた。
「……フレイア様。貴女の力で異界に戻ることは……過去に戻ることはできますか?」
『それは、それだけは神たる私にも叶いません。理に反することをすれば、世界に多大なる影響を及ぼします。時や世界の境界線を故意に歪めてしまえば、多くの人の定めを歪めてしまいます。そうして矛盾が重なれば、やがて世界は崩壊の道を辿るでしょう』
「……そうですか」
頭の中では、ぐるぐると前世の最期の場面が浮かんでいた。
私が、背負うべき罪。
悔いても悔やみきれない、言葉の数々。
けれど、どれだけ望もうとも失われた命は戻らない。
あの日あの時に帰ることは、神の力を以てしてもできないのだ。
「今の世界には戻れますか?」
『ええ。其方が望めば、すぐにでも。現実の世界では、時は経っていませんよ』
付け足された言葉に、安堵の息を漏らす。
衝撃的な事実に時が過ぎることを忘れていたけれど、外の世界は今大変なことになっているのだ。
一分も一秒も無駄にはできない。
「ならば、戻ります。……もう、失いたくありませんから」
失う苦しみを、知っているから。
もう二度と、あの喪失感を味わいたくない。
大切な人を大切にすることができる……それは確かに、幸せなことだ。
大切な人が、生きてそこに存在しているのだから。
けれども、もうそれだけでは足りない。
大切な人だからこそ、自らの力が及ばずとも失わないように力を尽くすべきなのだ。
もう、後悔しないように。
フレイア様の神官として力を使えば、家族の側に帰ることはできないかもしれない。
だからと言ってここで怖気付いて何もしなければ、レベッカに何かあった時……後悔してもしきれないだろう。
だから私は、持てる力を尽くすのだ。
瞬間、再び強烈な白い光に身を包まれた。
「ありがとう」
私は、思わず彼女の方を向いてお礼を言っていた。
その言葉に、彼女は目を細めて笑った。
「……行ってきます」




