第三十二話 レベッカと私①
それから何度もレベッカと話をしようとしたけれども、いつもレベッカが逃げてしまって話すことができないでいた。
アビーもついてきてくれていたが、レベッカはそのアビーごと無視を続けている。
学園は相変わらず嫌な雰囲気が漂っていて、アビーだけでも一緒にいてくれることはとても有り難いことなのだが……正直、アビーまで巻き込んでしまって申し訳ない。
「……ごめんね、アビー。アビーまで嫌な気持ちにさせちゃって」
遠くでヒソヒソと嫌味を囁かれる中で、アビーにそっと謝る。
「クレアが気にすることないでしょ。正直、よってたかって嫌味を言う方がどうかと思うけどな!」
後半は周りに言い聞かせるように、アビーは声を大にして言った。
彼女のその言動に、周りはビクリと反応していた。
「あー、ちょっとだけスッキリした!」
彼女の爽やかな笑みに、釣られて私も笑う。
そのまま私たちは教室を出て、次の授業のために実技演習場に向かって歩き出した。
「あれ? あれって……レベッカじゃない?」
ふと、少し先を歩くレベッカが目に入る。
どこかフラフラとした足取りで、顔色も悪い。
「レベッカ!」
今度こそ逃がさないようにと、走り出す。
レベッカは逃げ出さずに、立ち止まったままだ。
これ幸いにとレベッカに近づくと、彼女は俯く。
「レベッカ! 私、ちゃんとレベッカと話したいの。……って、レベッカ? 随分と顔色が悪いみたいだけど、どうしたの!?」
「……ごめん、クレア。具合が悪いから、少し離れて」
その瞬間、レベッカは気分が悪いのかうっとえずくような仕草を見せた。
「……レベッカ?」
「離して。お願いだから……!」
「こんな状態のレベッカを放ってはおけないでしょう!」
私の叫びに、レベッカはそっと顔を上げた。
今にも泣きだしそうなその顔に、言葉が詰まる。
どうしたのと口を開きかけたその瞬間。
「ごめんね、クレア……」
そんな謝罪の言葉が彼女の口から漏れたその瞬間、ブワリと嫌な気配が彼女を中心に辺りに拡がった。
「え……!?」
一瞬、私の中の時間が止まる。
……何、これ?
「クレア!」
私の時を強引に引き戻すような、鋭いアビーの叫び声が響き渡る。
瞬間、手を引っ張られてその場から離された。
「アビー……?」
「急いで! 少しでもここから離れないと!」
「ど、どうしたの? アビー。レベッカが……」
「それどころじゃないの! レベッカから少しでも離れないと!」
私は手を引っ張るアビーの力に逆らい、立ち止まる。
そしてそのままレベッカの方に振り返ると、思いもしなかった光景に呆然としてしまった。
おどろおどろしい、黒い靄が辺り一帯に立ち込めている。
まるで何かを求めて手を広げるように、それは刻一刻と空間を侵食していた。
ひやりと、靄が近づいた瞬間冷や汗をかく。
「アビー、あれは何……?」
「……瘴気」
「……瘴気? あれが……っ!」
瘴気。
それは神力と相対するもの。
邪神から漏れ出るそれによって、世界各地で魔物が発生している……つまり、魔物の源だ。
「どうして、瘴気が学園に……?」
学園には、結界が張られている。
だから、瘴気が学園内に現れることはない筈なのに。
「……分からない。分からないけど、こんな高濃度の瘴気が発生するなんて……!」
「レベッカ! あんな瘴気の中にいたら、レベッカが……!」
「ダメ! 不用意に近づいたら、クレアも危ない!」
瘴気に向かって走り出そうとしたら、アビーに止められる。
「でも、アビー……!」
そうこうしている間に、いつの間にか数人の先生と多くの生徒たちが辺りにいた。
「大丈夫ですか、クレアさん! アビーさん!」
「私たちは大丈夫です。……ですが、あの中にレベッカが」
「何ですって!? ルメラン先生、これ以上瘴気が広がらないように我々で結界を張りましょう。イザベル先生は我々が結界を張った後に浄化の術をお願いします」
「はい、分かりました」
「イザベル先生……その、浄化の術を使ってレベッカは大丈夫なんですか?」
「……正直、分からないわ。瘴気が彼女の精神を侵食していたら、彼女もただでは済まないかもしれない」
私の問いかけに、初めは言いづらそうにしていたけれども、ハッキリと残酷な言葉を言い切った。
「そんな……! 先生、何か別の方法は……っ」
「ないわ。助力や憑依という手もあるけれど、私やここにいる先生の神は物理的な術を得意としているの。彼女ごと物理攻撃をしてしまうより、まだ浄化の術の方が彼女を救える可能性がある」
「でも、それじゃあレベッカが……」
「落ち着いて、クレアさん。授業でもやったけど、瘴気は人の精神にも作用する。過剰な瘴気に精神を侵食された果てに成り果てるのは……」
先生の言葉に、私はまたもや呆然とするしかない。
「……人型の魔物」
ポツリと囁く程度の声量だったけれども、騒がしいこの場に酷く響いた。
「そう。そして人型の魔物になってしまうと、もう人に戻ることはできない。己の欲望の赴くままに周囲を破壊してしまう。レベッカさんに、そんな存在になって欲しくないでしょう?」
そうこうしている間に、二人の先生が結界を張るべく神力を行使する。
けれども、瘴気に弾かれるようにして術は完成しなかった。
「ダメです! 瘴気が強すぎて、我々の結界では……っ!」
「先生、私たちが!」
緊迫した空気の中、ヘレン様とケリー様、それからセラフィーナ様が現れた。
二人の登場に、この場にいた面々に僅かながら安堵の空気が広がった気がする。
「イザベル先生、大変です……っ! 瘴気によって、学園の結界が破壊されました! 魔物が、学園外より押し寄せてきています!」
けれども、次の瞬間現れた別の先生の報告によって再び緊迫した空気が場を覆い尽くした。
「何ですって!」
イザベル先生も、珍しく声を荒らげていた。
「急ぎ、結界を張り直さなければなりませんね。私とセラフィーナ様、それから……」
ケリー様の言葉が止まる。
学園中を覆うあの大規模な結界を張ったのは、初代三貴神。
それを、歴代の三貴神がメンテナンスしている。
当然、今回結界を張り直すのであれば今代の三貴神の出番だ。
けれども、フレイア様の宣託を受けた私は未熟もいいところ。
かと言って、フレイア様の助力なしに結界なんて張れる訳でもない。
そのせいで、ケリー様の言葉は止まってしまったのだろう。




