第三十一話 ヘレン様と私
「……はい、結構です。大分上達しましたね」
あくる日、半ば拉致されるようにイザベル先生に連れられた訓練場には、またもヘレン様がいらっしゃった。
それに、三貴神のケリー様とセラフィーナ様も共に。
そのまま、四人がかりで私の実技の訓練を見てもらったのだ。
訓練中、イザベル先生の神力は感じられなかったけれども、ケリー様とセラフィーナ様のそれを感じることはできた。
おかげで、少しだけ神力のコントロールができるようになった気がする。
「ヘレン様は、甘すぎです。彼女はまだ神力を感じて体に巡らせるようになっただけではないですか」
ケリー様の厳しい言葉も尤もだ。
こんなの、授業以前の、初歩の初歩なのだから。
「とはいえ、大きな一歩です。いずれ扱いに慣れれば、彼女は大きな力を発揮できるでしょう」
「そうでしょうか? 春の式典までは、日がないのですよ。学園内でも彼女の実力の評価は低い……このままでは、フィルメロ教内で認められることも難しいかと」
認められなくても良い、と前なら声に出していただろう。
けれども、今はそれを口にはしない。
内心、未だに聖女になることに対しての抵抗はある。
……というより、なりたくない。
けれども、それを口に出してヘレン様の厚意を無碍にすることはできなかった。
私が反応しないことを不審に思ったのか、ほぼ同時にヘレン様とイザベル先生が私をじっと見つめる。
私はその視線に気がつかなかったことにして、視線をケリー様とセラフィーナ様に向けていた。
「まあまあ……こればかりは、焦っても仕方のないことだよ。とにかく、やれるだけやるしかない」
「セラフィーナ様の仰る通りです。ケリー様、セラフィーナ様、そしてイザベル先生。お忙しいでしょうが、引き続きご協力をお願い致しますわ。クレアさん、本日もお疲れ様でした」
「……こちらこそ、ありがとうございました」
訓練が終わると、私はすぐに寮に戻った。
凄い人たちに囲まれていたせいか、それとも訓練に集中していたからか……その日は疲れてすぐに眠ってしまっていた。
翌朝、起きて部屋から出ると、寮の中で妙に注目を浴びていた。
寝癖でも付いているのかなと慌てて髪を撫でるものの、おかしなところはなさそうだ。
嫌な目線と、囁き声。
……何を言われているかは分からないものの、それが良くないことだということだけは分かる。
私は逃げるように部屋に戻ると、溜息を吐いた。
一体、何があったのか。
分からないけれども、いつまでも部屋に閉じこもったままではいられない。
荷物を取ると、もう一度だけ深く息を吸って吐いてから部屋を出た。
……やっぱり、見られている。
視線を感じながら歩いて行くと、途中ドンと背中に衝撃を感じた。
「クレア!」
「アビー……」
接触してきたのがアビーだったことに、ホッと安心する。
「ちょっと、クレア。噂になっているよ……。貴女が昨日、三貴神の方々と演習場にいたってこと」
まさか昨日のことが誰かに見られていて、おまけにそれで噂になってしまったなんて。
思わず、深く息を吐いた。
「……その反応。噂は本当ってところかな?」
アビーの鋭い追及に、私は首を縦に振った。
私の反応に、今度はアビーの方が溜息を吐く。
「……気をつけなよ。もう十分理解していると思うけど、三貴神様の人気は高いから。今まで三貴神の方々の間には誰も入り込めなかったのに、どうしてあの子だけ、って感じになっているんだよ」
「そっか……。やっぱり、三貴神の方々ってスゴイんだね」
「そりゃそうだよー。全神官の上に立つ方々だもん。まあ、私からしたら、この状況でその感想を言えるクレアの方が凄いと思うけど」
アビーの感想に乾いた笑みを浮かべつつ、共に教室棟に向かった。
その間も酷い言葉を小声で投げかけられては、笑われてばかりだった。
横に『気にしなくて良いよ』と言ってくれるアビーがいなければ、早々に心が折れたであろう程に嫌な空気。
教室の扉を焦れば、キャメロンさんを筆頭に冷たい視線を向けられる。
……やっぱり、帰った方が良かったかも。
そう後悔しながら、席に着く。
幸いにも先生がすぐに来てくれて、授業が始まった。
それから休み時間の度に誰かに呼び出されそうになったけれども、全てアビーがそれを阻止してくれた。
「……本当にありがとう、アビー」
「気にしなくて良いよ。私たち、友だちなんだからさ」
「うん……」
冷えた心が、アビーの言葉で少しだけ温まった心地がした。
こうして友だちが側にいてくれるのは、ヘレン様が気遣って下さったおかげでもあるのかと思うと、自然と今この場にいないレベッカにも感謝の気持ちが沸く。
「……そういえば、レベッカはどこにいるんだろう?」
アビーの言葉に、我に返った。
「んー……あ、ホラあそこにいるよ。レベッカ!」
チラチラと見回せば、少し離れたれところにレベッカはいた。
レベッカは私の呼び声に気がついて顔を向けてくれたけれども、すぐに視線を外してしまう。
「……レベッカ?」
近づいて声をかけても、それすら無視して彼女は離れて行ってしまった。
その反応に、固まる。
今日も散々嫌なことを言われたけれども、レベッカの反応が一番堪えた。
まさか、レベッカまであんな反応をするなんて……。
「……レベッカ! 一体どうしちゃったの!? クレアにあんな態度を取るなんて」
アビーが背を向けるレベッカに問いかける。
「レベッカ!」
けれどもレベッカは、アビーのその問いかけにすら無視して行ってしまった。
「……ごめん、クレア」
完全にレベッカの背が見えなくなったところで、アビーがポツリ呟く。
「クレアとレベッカの間の問題だったのかもしれないけど、どうしても静観できなくて」
「ううん……私、動揺して固まっちゃってたから。アビーの行動のおかげで、目が覚めたよ」
「それなら良かったけど。……あの様子じゃあ、もしかしたら暫くは頑な態度のままかもしれないけれども。クレアがレベッカの友だちでい続けたいなら、諦めずにぶつかり続けるしかないよ」
アビーの言うことは尤もだ。
どうして突然あんな態度になったのかは分からないけれど、仕方ないと放置してしまえば、それで私たちの関係は終わりだ。
何より、訳もわからないままこんなギクシャクとした関係であり続けるのは嫌だった。
「うん……ありがとう」
「……クレアさん、ちょっと良いかしら?」
私がアビーにお礼を言ったタイミングで、イザベル先生に呼び出された。
「はい、先生。どうしたのですか?」
「ここで話すのもなんだから、ちょっと付いてきてちょうだい」
真剣な表情に、おそらく三貴神絡みのことだろうということはすぐに察した。
「分かりました。……アビー、ちょっとごめんね」
「良いって。それより、今日は特に気をつけて帰るんだよー」
「うん、分かってる」
アビーに別れを告げると、私はそのまま数歩先を行く先生を追いかける。
その間も嫌な視線は感じたものの、先生と一緒のおかげで、直接的な嫌味は言われなかった。
部屋に着くと、そこには昨日と同じ顔ぶれ。
「クレアさん、申し訳ありませんでした。まさか、あのように噂となってしまうとは……」
「ヘレン様が気に病むことではございません。皆さまとこうして接触を繰り返していれば、いずれはこうなっていたでしょうから」
それは、本心だった。
むしろ、今更ながら彼女たちの人気の高さを改めて実感した程度のことだ。
「良かったのではなくて? 遅かれ早かれ、クレアさんは聖女として皆の前に立たなければならないのですもの。三貴神と共にいることも増えるでしょうし」
「いえ。まだ、クレアさんが聖女に就任したことは秘密にしなければなりません。できれば……」
不意に、ヘレン様の言葉が止まる。
しかし、その不自然な間を誰も指摘することがないまま、ヘレン様は言葉を続けた。
「何でもありません。とにかく、クレアさん。暫くはアビーさん……でしたか? 御友人となるべく共にいてください。もし難しいようであれば、イザベル先生についていただきますので」
「ヘレン様、それはちょっと甘やかし過ぎでは……」
「これは決定事項です。イザベル先生、よろしいですね?」
ケリー様の苦言を、ぴしゃりと跳ね除けてイザベル先生に確認する。
先生は任されたと言わんばかりに頷いた。
「何かございましたら、必ずイザベル先生を通して私にもお知らせください」
真剣なヘレン様の様子に、私は戸惑いつつも頷いた。




