第三十話 私の知らない事情
「レベッカ!」
寮に戻ったところで、私はレベッカに声をかけた。
振り返ったレベッカの顔色を見て、一瞬、ドキリと心臓が鳴る。
それほどに、レベッカの顔色が悪かった気がしたのだ。
「あら、クレア。どうしたの?」
けれども、次の瞬間浮かべた笑みに、私の見間違いだったのかなと思い直す。
「聖地巡礼が終わってからバタバタしちゃって、ゆっくりレベッカと話せてなかったなあって」
「ああ、そうね。ごめんなさい。私もなかなか時間が合わなくって」
「何かあったの?」
「ううん。ただ、ちょっと実技の修練をしたくて」
「レベッカは、本当に頑張り屋さんだなあ」
「ありがとう。クレアの方こそ、聖地巡礼から忙しそうだったけど……大丈夫?」
「あははは……。まあ、私も色々あって。さ、寮食に行こっか。今日の夕ご飯は何かなあ?」
……私は、聞けなかった。
「どんな神様に宣託をされたの?」と。
あんなにレベッカが気にしていたことだったから、彼女のことを心配しているのであれば聞くべきだった筈なのに。
それでも聞けなかったのは、聞き返されるのが怖かったからだ。
『クレアはどんな神様に宣託されたの?』と。
だから私は結局、強引に話を変えてしまったのだ。
* * *
その翌日、全ての授業が終わった後にイザベル先生に呼び出された。
正直、また先生に連れられて強制的にヘレン様とマンツーマンでの授業があるのかと心配していたのだけど……。
ヘレン様に合わせる顔がない今、彼女と二人きりということは避けたかった。
「さて。あんなことがあったけれど、聖地巡礼も終わったことだし、約束通り訓練の続きをしようと思って」
「それは……」
「……やっぱり、もう嫌になったかしら?」
その問いかけに、一瞬、言葉が詰まる。
「……っ。続けます……」
本音を言えば、嫌だ。
嫌なのだ、けれども。
止めるという選択肢を取ることは、できなかった。
「ええ、そうね。その方が良いでしょう。聖地巡礼の前から話した通り、貴女は神力が大きいせいでコントロールが効いていない可能性があるわ。まずは神力のコントロールをするために、貴女に向けて私が術を行使するので、それを体感してみましょう」
それから、丁度聖地巡礼で捻った足の治療を受けた。
イザベル先生の神力が触れた瞬間、ポゥッとその部分が温かくなった気がする。
けれども神力がどうというのは、正直全く分からない。
結果、その後自身でも術を行使してみたけれども、上手くいかずに終わった。
……やっぱり、私がフレイア様に宣託されたのは何かの間違いだったんじゃないかと、訓練での散々な結果に肩を落としつつ寮に戻る。
その途中、ふと身につけていた髪飾りがないことに気がついた。
演習場に落としてきてしまったかな?
私は、来た道を戻る。
けれども演習場では見つからず、もしかしてイザベル先生が拾って持っているかもしれないと、今度は先生の私室に向かった。
遅い時間だからか、校舎には生徒の姿は見当たらない。
いつも以上に静かな廊下を進み、先生の部屋まで辿り着いた。
約束をしていないから、もしかしたらいないかもしれないなあ……なんて思いつつノックをしようとした、その時だった。
室内から話し声が聞こえてきて、掲げた手を止める。
……やっぱり、明日にしよう。
そう思って帰ろうとしたところで、部屋の中から聞こえてきた聞き覚えのある声に思わず足を止めた。
「イザベル先生。調査の方はいかがですか?」
「ヘレン様……報告の通り、芳しくない状況です。小さな支部を潰すことには成功しておりますが、未だ本体は情報すら掴むことができておりません。こちらの人手不足も否めませんが、やはり相手方の情報管理が厳重ということが大きいでしょう」
「……人手不足、ですか。私が正式にソレイユ家を継いでいましたら、フィルメロ教により働きかけることもできたでしょうに。力が足りず、先生には苦労をかけます」
「いいえ。ヘレン様には良くしていただいておりますわ。正直、貴女様のサポートがなければ、私は未だ孤立無援の状態で調査をしていたでしょうから」
会話の流れからして、邪神を崇める組織の話をしていることは分かった。
それにしても、イザベル先生とヘレン様がこんな風に繋がっていたなんて。
「むしろ、私の方こそ感謝しておりますのよ。先生が自ら組織の存在に辿り着いて、独自に調査を進めていると知った時には、本当に驚きましたもの。先生がこちら側に協力してくださるようになったお陰で、調査が大分進むようになったのですから」
「ヘレン様の聖女への忠誠こそ、私は驚きましたよ。まさかいずれ現れる聖女のために、ご自身が聖女となることを否定せずに囮となった上で、裏ではこうして組織を調べていたのですから」
先生の言葉に、息を呑む。
確かに、ずっと引っかかっていた。
どうしてヘレン様は、既に別の神に宣託されていることを隠していたのだろうって。
ソレイユ家の重圧があったから言えなかったのだろうかと推測をしていたけれども。
「宣託を受けた時に、神から伝えられていたのです。邪神復活を目論む輩がいること、そして彼らが聖女であるフレイア様の神官の命を狙っていること。そして……私が聖女の矛となり、盾となるようにと。その覚悟を決め、幼い頃から信頼のおける人物たちを動かしていただけのことです」
「だけ、とは言わないと思いますけど」
「そうでしょうか。イザベル先生にそのようなお褒めの言葉をいただけるなんて、何だかむず痒く感じますわ」
「謙遜が過ぎます。あの子には本当のことを言えばよろしかったでしょうに。ヘレン様がそうしてあの子を守ろうと様々な手を打たれていることを。あの子に私を経由して組織の存在を知らしめるようにさせたことも、実技の訓練を私と共に受けられるようにとフィルメロ教からの調査依頼を控えるよう調整いただいたことも。全て、あの子の為だと」
「先生、それは過大評価です。前にも言いました通り、私はクレアさんが聖女として選ばれることに確信が持てずにいましたから」
「それは、確証がなかったから。でも、ほぼヘレン様の中では決まりだったのではなくて? むしろ確信がないということを“言い訳”に、あの子に聖女であることを突きつけることを遅らせた。そうやって、あえてあの子の自由にさせていた……。着実にあの子の力となれるよう、あの子を守れるようにと自らは動きつつ。そうではなくて?」
「……先生に隠し事はできないですね」
ふふふ、とヘレン様の笑い声が聞こえてきた。
「あら、やっぱり肯定なさるの?」
「大凡、先生の予想通りとだけ言っておきましょうか」
「何故、そうしたのかだけ伺っても良いかしら。安全上、大々的に彼女が聖女候補であるということを知らしめることができなくとも、それこそ秘密裏に接触することはできたはず。そうすれば、慌てて彼女に春の式典のために詰め込み授業なんてしなくて良かったのではないかしら」
「その点は、悩みました。けれども、どうしても決断ができなかったのです。私たちと接触したことが漏れてしまえば、学園内での彼女の立場が悪くなってしまいますから。それだけ、御三家の名は大きい」
「そう、ですね」
「それに……あの時点で、大きなプレッシャーを彼女に与えたくなかったのです。ただでさえ、学園という特殊な環境にいきなり身を置かされたのです。それも、大切なご家族と離されて。彼女は聖女であるが故に、これから様々な不自由な思いをするでしょう。だから、せめて何の利害関係のない純粋な友と呼べる人と共に学園生活を送って欲しかった。たとえそれが、仮初めの自由だとしても……なんて、独善的な考え方かもしれませんが」
ポロポロと、涙が溢れた。
胸の中は、後悔でいっぱいだ。
……何で、私はヘレン様にあんなことを言ってしまったのだろう。
ヘレン様は、こんなにも私のことを慮ってくださっていたのに。
「私は決して、貴女のその思いを独善的とは思いません。誰もが聖女を……いえ、聖女の“力”を求める中、聖女であるその人物の“心”を慮る人はどれだけいるでしょうか。あの子にとってこれから先、ヘレン様の存在はとても心強いものになるでしょう」
「……そうだと良いのですが」
そこまで聞いて、私はその場から去った。
もう、十分だ。
どれだけ自分の視野が狭くて、ヘレン様に酷いことを言ってしまったのか理解するには。
そのまま走って、私は寮の自室に戻っていった。




