第二十九話 私の葛藤
「さて、クレアさん。今日からよろしくお願い致します」
突然複数の先生に囲まれたかと思ったら、あれよあれよという間に演習場に連れ込まれた。
そして、その演習場の中にいたのは、ヘレン様その人。
「……随分と、強引ではないですか?」
「ええ、そうですね。ですが、こうでもしないと貴女は来てくれないでしょう?」
「それは、そうですが……」
「申し訳ないのですが、もう時間がありません。私が幼少より培いましたもの全てを、次の春の式典までに貴女に伝えましょう」
「そんなもの、必要ありません! 私は、フレイア様の神官になる気はないのですから!」
「貴女が望むと望まざると、いずれこの事実は漏れてしまう。その時、貴女を守る鎧は一つでも多くなければならないのです。どうか、お願いです。……クレアさん、私の教えを受けては下さいませんか?」
ヘレン様が、頭を下げた。
目の前のその光景に頭が付いていけなくて、一瞬固まってしまった。
こんなことをして、ヘレン様に得なことなど何があるというのだろう。
それなのに、こんなにも真摯に願われてしまえば……断るに断れない。
ヘレン様の姿を見て心を動かされないほど、冷徹な人間ではないつもりだ。
「……フレイア様の神官になることを了承した訳ではございませんが、それでも宜しければ」
「ええ、今はまだ……それで良いです。それでは、始めましょうか」
* * *
そうして始まったのは、作法の授業だった。
確かに細々とした部分は授業で習ったものと異なるが、こちらのほうがむしろ体に馴染むようにやり易い。
その違和感に内心首を傾げつつも、私はヘレン様の手本を見て淡々と指示通りの動きをする。
「想定以上に、飲み込みが早いわ。先生の仰っていた通り、高い水準の作法を身につけていらっしゃるようですね。どこかで習ったのですか?」
「入学する前のことを仰っているのであれば……そんな余裕は、ありませんでした」
「……そうですか。ともかく、思ったよりも聖女にふさわしい作法を身に着ける時間が確保できそうです」
「ですから、ヘレン様。私は聖女になる気など、ありません! そんなに聖女が必要ならば、貴女がなれば良いではないですか……っ」
勢いに任せて出た言葉だった。
すぐに、血の気が引く。
二度と感情に流されるまま言葉を紡ぐことはしないと、あれだけ自らに誓った筈だったのに……!
けれども、もう遅い。
零れ落ちた言葉を取り返すことなど、できやしないのだから。
「……貴女の言う通り、私が聖女になれたらどんなに良かったでしょう。ずっと聖女となることを期待され、そう有るようにと育てられてきたのですから。皆の期待を裏切るような真似をして、私が心を痛めていないとでもお思いですか?」
冷たい目だった。
それは、クラスメイトから向けられる蔑みや嘲りとは違う……静かな怒りが感じられた。
「あ……」
「……なんて、詮のないことを申しましたね。良いのです。私は納得して、この道を選ぶことを自ら決めたのですから」
ヘレン様は、諦めたように笑った。
けれどもその瞳には、強い覚悟が宿っている。
「ただ一つの道しかなくとも、その道をどのように進むかは自分次第。クレアさんが何故頑なに聖女となることを拒否するのかは知りませんが――案外、自分の気づかぬところで自らを縛り付けてしまっているものですよ」
それからすぐに、ヘレン様に解放されて演習場の出口に向かった。
ふと、遠目にレベッカを見つける。
……あれは、レベッカとフェリシテ先生?
いつかも見た組み合わせだ。
聖地巡礼は終わったというのに、まだ実技の訓練をしているのだろうか?
そういえば、聖地巡礼が終わってからレベッカとちゃんと話してなかったな……。
自分のことにいっぱいいっぱいだったから。
声をかけたかったけれど、何やら深刻な話をしているようだったので、私はそのまま通り過ぎていった。




