第二十一話 私と三貴神
「夜更けにこんな場所を歩いている気配を感じたから、脱走者かなと思って見に来ちゃったんだ」
「……どうして、見てもいないのに場所と気配を感じ取れたのですか? ここ、寮から遠いですよね?」
「私に憑依する神は、大地の神様。大地と繋がっていれば、人だろうが何だろうがその存在には気がつく。それに一応、夜に外で動く者がいたら知らせて貰うよう神様にお願いしていたんだ」
「脱走者を、見逃さない為に……ですか?」
「そこは不審者が現れないか見張るため、と普通は思わないかい?」
「ご自身で先ほど仰られていたじゃないですか。『脱走者かなと思った』と。それに、この学園では不審者よりも脱走者の確保の方が重要でしょう?」
私の問いかけにセラフィーナ様はすぐには答えなかった。
目を細め、口元は楽しそうに弧を描いている。
「何だか前に会った時とは、随分雰囲気が違うね。一気に、十も二十も年を経たみたいだ。……まあ、良い。参考までに、どうしてそう思ったのか教えて貰えないかな?」
「この王国にとっても、フィルメロ教にとっても、神官はそれだけ重要なものだと分かっているだけですよ」
特殊な力を持った、神官。
取り扱い方によっては、専業者を百人雇うよりも一人の神官を使う方が遥かに早く、かつ着実に成果を出せるほどに便利な力だ。
何より、対魔物においては、神官がいるのといないのとでは雲泥の差がある。
そんな訳で、神力を持つ人間を多く輩出するルロアド王国は他国への発言権を強めてきたらしい。
そしてフィルメロ教も、その背景は同じだ。
多くの神官を育て上げ世に出してきたからこそ、国を越えて力を得ている。
その力の源泉である神官の素質を持った者を、誰が手放そうとするだろうか。
誰もが欲しがり、誰もが求める力の持ち主を。
そう考えれば、自ずと脱走者を見張る機能を強化していてもおかしくはない。
「まあ実際のところ、脱走しようなんて考える人はほぼいないよ。外は警備を厳重にしているから、私は内側を警備しているっていうだけ」
「皆、進んで神官になりたいと?」
「そりゃそうだよ。なりたくたって、なれる仕事じゃない。私は、将来この力を使って人を守る神官になれることを誇りに思っているよ。それは、きっと他の皆も同じさ」
「……人を守ることを誇りに、ですか?」
理解はできる。
けれども、共感はできなかった。
「君は、違うの?」
「ええ、違います。私は、顔を見たこともない誰かを守ろうなんて思ったことは一度もありませんから」
私は笑って、即座にセラフィーナ様の問いかけを否定する。
強制的に連れてこられて、そんな崇高な目標を抱けるほど、私はできた人間ではない。
「力がある人は、誰かを守らなければならないのですか? ならば、私はこんな力なんていらなかった。私はただ、大切な人の側に在りたいだけなのに」
「理解できないな。せっかく神に選ばれ、力を持って生まれてこられたのに」
「大丈夫です。私も、貴女の言っていることが理解できませんから」
生まれ変われたことは、感謝している。
やり直すチャンスを得たと、思ったから。
だからこそ、物語によくあるような“特別な力を持って転生”なんて必要なかった。
ただ平穏に、大切な人と日々を過ごしたかっただけ。
それがどれほど貴いことか、私はもう……知ってしまったから。
「力があるからといって、自分の望みよりも他者のために在らなければならないというのであれば、私にとってそれは――呪いでしかありません」
「……そこまで、か」
セラフィーナ様は溜息を吐いた後、笑みを浮かべた。
「そんなに、君にとってその人たちは大切なの?」
「ええ、とても。大切にできることが、どれだけ幸せなことか」
「……そう、か。少しだけ、羨ましくなったよ。私はそんな大切な人、外にはいないから」
悲しそうに笑ってそう言う彼女の言葉の真意が分からなくて、私は首を傾げる。
「知っての通り、テラ家はずっと大地の神の神官を輩出してきた。当然、神力がある者はすぐにこの学園に送られる。私はね、物心ついた時からここにいるんだ。だから、外の世界のことは殆ど覚えていない。だからこそ、お役目に固執するという面もあるのかもしれないと……少し、君の言葉に思わされてしまったよ。大切な人、か」
「本当にこの世界は――いいえ、この国とフィルメロ教はどうなっているのでしょうか。私はそれに腹が立って仕方ないのです」
誰もが持つ筈の、自身の未来を選択する権利がない。
“力がある”。その理由だけで、自由を奪われて押し込められて。
そうして押し込めた側は押し込めた者たちに守られ、甘い汁を吸う。
その理不尽さに、私は怒りがこみ上げていた。
けれども、セラフィーナ様はヘラリと笑って言葉を続ける。
「いいよ、君が怒らなくても。確かに、私は最初から選ぶ道はなかったけれども、納得している。私は自らこの道を進むと決めたんだから」
「……セラフィーナ様。私、やっぱり貴女のことを理解できないみたいです」
「ははは、そうかい。私も、君に対してそう思うよ。まあ今までいた環境が違うんだから、仕方ないことなんじゃないかな?」
「……ええ、そうですね」
「で、話を戻すけど。私としては君が寮に戻ってくれるとありがたいな。さっきの君の話を聞いたら、なおさら君は放っていくとここから出て行ってしまいそうだからね」
「……逃げ出しませんよ」
私の言葉が意外だったのか、セラフィーナ様は大きく目を見開いていた。
「どうせ結界がある以上、ここから出ることは叶わない。それに、出たところで……家族に迷惑をかけるだけですから」
全力で神官見習いを囲おうとするルロアド王国やフィルメロ教のことを思えば、のこのこ家族の元に帰ったところで、すぐに捕らえられるに決まっている。
もしくは、神官の力を求める他国か……。
前者ならば家族に危害は加えられないだろうけれども、後者であれば私を手に入れるために家族に手を出さないとも限らない。
「大切な人たちに迷惑をかけるのであれば、本末転倒。ならば私は、大人しく籠の中にいるしかない……」
本当は、理解していた。
ここを出たところで、この力がある限り私は自由になれない。
そう理解していたけれども……それでもそんな懸念を考えずに、全ての制約を放り出して逃げ出して……そして、どこか遠くに行ってしまいたいと思う。
けれど、私もまたセラフィーナ様と同じように、選ぶ道はないのだ。
……神官という道しか、残されていないのだ。
「それを聞いて、安心したよ。さあ、戻ろうか」
「はい」
セラフィーナ様に連れられて、私はそのまま寮に戻った。




