第1話:ブログ、始めました
【8月2日(木)】
上京してきた当初は、ミンミンゼミの鳴き声の多さに驚いた。
僕の地元はアブラゼミだらけで、ミンミンゼミというのは高い山の上の、高い木の上にしか住んでいないものと思っていたのに。そこらの街路樹や公園の植木からも休むことなく聞こえてくる恋慕の声に、初めは興味深く耳を傾けたものだ。
それにしても、大学生になって初めての長期休暇の、しかも初日にこんなものを書き始めるなんて、僕はどうかしているのかもしれない。
つい先日、語学のクラスが終わった後、もーちゃんがこっそりと打ち明けてきた。
「俺、ブログ始めたんだぜ」
普段からおちゃらけていて、黙って十秒と座っていられないもーちゃんがそんなものを始めるだなんて、最初は冗談かと思った。だが彼が見せたスマホの画面には、確かに有名なブログサービスのロゴとともに、『もーちゃんの日常』という如何にもありきたりな題名が踊っていた。
「今頃ブログかよ」
「今こそブログだろ」
「今こそって、ブログが流行ったのなんて何年前だよ。このSNS全盛時代にそんなもん始めるとは、ちょっと時流が読めてないんじゃないのか」
「馬鹿だな、敦。例えば昔のお札って、何でかすげえ値段で取引されてるだろ?」
「ん?ああ、それがどうした」
「そういう感じだよ」
どういう感じだよ。
意味わかんないよ、もーちゃん。
その時はそう思ったのに、気づけば僕の頭の中は「ブログ」という片仮名で溢れんばかりになっていて、結果的に今こうして、キーボードに向かって四苦八苦しながら文字を書いている。
人間って、分からないものだ。その場の感情に流されて、後になって考えてみてまた流されて、そうこうしている内に目的も良く分からないままに、いつの間にか物事を始めてしまっているものなのだ。
でも、もーちゃんの前ではさもブログが「時代遅れ」であるかのような言い方をしていたくせに、今更開き直るのも何だかばつが悪い。だから僕は、このブログを自らの内に秘めておくことにした。
とりあえず、毎日の出来事をこうしてワープロソフトに書き込んでいって、心の中の蟠りが取れたら、皆に公開することに決めた。
いつかやってくる、「公開」の日まで――この「ブログ」に書いた出来事は、僕だけの秘密だ。