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リディアーヌ王女と過ごす時間は、控えめなノック音の後に扉越しにメイドと思しき女性の声により時間を告げられて終わりを告げた。
当初王女殿下ご自身がおっしゃっていた通りなのだから、忙しい中、時間を作ってもらえただけありがたい話である。
ただ問題があったとするならば、すっかりリディアーヌ王女の膝の上でくつろいでいたリフが、離れがたいのかキュイキュイと鳴いた事くらいだろうか。
「テオ共々、竜に好かれやすい気質らしいな」
いくらリフはまだ仔竜といったって、誰彼構わずこんなにも懐くわけじゃないもの。テオにしてもリディアーヌ王女にしても、カノンの言葉通り本当に好かれやすい気質なんだろう。
かくしてお部屋を後にすることにばった私達なわけだけど、半ば駄々をこねるようだったリフを宥めて立ち上がったところでリディアーヌ王女は不意にノエルくんを呼んだ。
「皆様をお部屋まで送り届けてくれる?」
と、当たり前のように言ったリディアーヌ王女に、私はぎょっとして口を開いた。
「お気遣い無く! 距離があるわけでも危険があるわけでもないのですし」
「確かにそうではありますが、念のため。それに、ノエルはわたくし付きの従者ではありますけれど、常に傍に控えさせているわけではありませんもの」
侍女しか連れて行けない時もありますから、とにこりと微笑むリディアーヌ王女に返す言葉が見当たらず、ノエルくんを見ると、彼は不機嫌そうとも取れる無愛想な顔付きのままに口を開いた。
「ラスカがついているのなら十分だと思うのですが」
「それはそうね、と言いたいところだけれど……ノエルがご案内してくれるなら、とても助かるわ」
そう答えたラスカの言葉に含みを感じたのは、おそらくノエルくんも同じだったのだろう。
何とも形容し難い表情でラスカさんをじっと見ていたかと思うと、ややあってからわかった、と観念したように目を閉じた受諾した。
それからふう、と息を吐くと私とカノンへと向き直り、
「それでは私が皆様方をお部屋まで送り届けさせていただきます」
はっきりと言ったノエルくん見ながら思ったのは、拒否権とかはない決定事項なんだろうな、という事だけなのは言うまでもない。
ティーセットを乗せた台車を手に先に部屋を後にしたラスカを見送ってから、私とリフとカノンもノエルくんに先導されるようにして部屋を後にした。
私を気遣ってかゆったりとした歩調で廊下を歩くノエルくんの背を、慌てることなく追っていると、
「……ありがとうございました」
唐突に、静かに、ノエルくんは誰にともなく感謝の言葉を口にした。はて、彼のこの言葉には一体どんな意味が込められているのか。
「え、えぇーっと……感謝されるようなことをした覚えは……」
首を傾げながら尋ねると、ノエルくんは肩越しに私を見て、それから前方に向き直ると、
「皆様と過ごされた時間はリディアーヌ王女殿下にとって、心から気の休まる時間だったでしょうから」
ぽつぽつと静かに言葉を重ねるノエルくんの表情ははっきりとは伺えない。
けれども僅かに見える横顔やその声は、リディアーヌ王女を慮る色に満ちていて。
「……決して言葉になさることはありませんが、〈黒鱗病〉を患われてしまったことも、その呪いを掛けたであろう人間が王城に詰める者達の中にいる可能性が高いことも、王女殿下が常に気を張り詰めさせるには十分な理由です。ですが、あなた方の前ではそれは不要です。その事が私にとって何より嬉しく、感謝すべきことであると感じたので」
にこりともしない。振り向きもしない。盗み見ることさえしようとしない。
おまけに何処か無愛想でぶっきらぼうな言動ではあるけれど、それでも彼は双子のきょうだいだというレナとよく似ているように感じた。




