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「以前のリュシアン兄様は、テオドール兄様やジェラルド兄様の背をずっと追いかけていたんです」
リディアーヌ王女は静かにそう切り出した。
それに対して首を傾げて口を開いたのはカノンだ。
「けど今はそうじゃない?」
「今でもリュシアン兄様は、テオ兄様たちの事を敬愛しているとは思います。だからこそ、オレリア様の言葉は苦く、アナスタシア様の言葉は甘く心地好いのだろうとも思いますし」
眉根を下げたままの王女殿下の言うオレリア様という方は、きっとラスカの言っていたリュシアン王子の婚約者である令嬢なのだろう。
ラスカはリュシアン王子は実質的な王太子と言っていたのだから、間違いなく王太子妃としての教育を施されていながらも、リュシアン王子にないがしろにされている令嬢。
いずれ国母として国王を支える為にも多くの人々の見本として厳格に正しくあろうとするオレリア様は、リュシアン王子にとって息が詰まるような言葉も掛けたことがあるかもしれない。
まあ、こればかりは想像でしかないし、だからといって冷たくあしらっても良いとは思わないけど。
「わたくしは兄様たちの姿を、いちばんうしろからずっと眺めてきました。だからこそ、リュシアン兄様が努力していた事も知っていますし、そんなリュシアン兄様の憧れであろうとテオドール兄様とジェラルド兄様が前を歩き続けてくださっている事を知っています。ですが……」
しゅん、と落ち込んだ様子で視線を落としたリディアーヌ王女が何を言おうとしていたのかなんて、分からないはずもない。
アナスタシア王女が、姉さんがそれを歪めたのだ。
耳心地の良い言葉をリュシアン王子に重ね、今の振る舞いをさせるに至らせた。
姉さんが何を目的にしているかはわからないけど、それは少なくともテオやリディアーヌ王子、それにオレリア様の事も傷つけ悲しませるような事であるには違いない。
「なんて、お客様に聞かせるようなお話ではないですわね」
と、リディアーヌ王女は笑顔を作って言って、
「リュシアン兄様の事を許して欲しいとは言いません。理由はどうあれ、兄様が心無い言葉を言い、決して良いとは言えない振る舞いをしたのには違いありませんから。ただ……皆様にはわたくしの口からも謝罪をしておきたかったのです」
リフちゃんもごめんなさいね、とリディアーヌ王女は膝上のリフをそっと撫でるのを見ていると、私は何も言えなくなる。
だって本来謝るべきは私の方なのだ。
アナスタシア王女の妹――アクアリアである私こそ、身内として謝らなきゃいけない。
それは当たり前のこと。
前世の記憶がある私だからそう思うのだとしても、姉さんに非があるのは明らかなのだから。
でも謝ることは出来ない。
今の私はリリィ・クーリエ。
レインディル・クーリエを養父とする、ただの一般人。
フェルメニア王国の第一王女アナスタシア・レム・フェルメニアとは赤の他人なのだから。
……それが、とても歯痒い。
「……どうせ謝罪を聞くなら、本人の口からが良いですけどね」
唇を噛むこと事しかできない私を横目に、ややあってからカノンが言うと、リディアーヌ王女はくすくすと小さな笑みを零した。
「確かに、それはそうですわね。……機会があると良いのですが」
「流石にあるとは思いますけどね。俺達が王城にいる以上、決して顔を合わせないだなんてことはないでしょうし……望めばいつだって場は設けれられるでしょう」
言いながらカノンは優雅に紅茶を飲んでいるけれど、その言葉の裏には、場が設けられるとは思えないけど、という極めて冷たい反応が隠されているのがわかって、私は思わずカノンを呆れたように見遣ってしまった。
カノンの中でリュシアン王子への評価が本当に低いなあ。
そんな事を考えながら思わず溜息まで吐き掛けた私と、こちらのことなど全く気にもしないカノンを交互に見詰め、きょとんとした表情を浮かべていたリディアーヌ王女が、不意に吹き出すように笑った。
「カノンは、少しだけジェラルド兄様と似ていますね」
以前ジェド兄様も似たような事をおっしゃっていました、という言葉に、カノンが興味深そうにリディアーヌ王女をじっと見る。
私はといえばその言葉とカノンの反応に、少しの波乱の気配を感じ取ったのであった。
テオやラスカの口ぶりから薄々感じてたものはあるけど、カノンとジェラルド王子を会わせたらよくない化学反応が起きそうな気がするなあ。




