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「どうしてこちらに……いえ、そんなにお急ぎでどうなさったのですか? リディアーヌ王女殿下」
そう真っ先に口を開いたのは、僅かに驚いたような表情を浮かべたアルノーさんだった。
って、ちょっと待って? リディアーヌ王女殿下、って言った!?
一瞬だけ理解が遅れながらも頭の中で反芻を繰り返して理解し、思わず目を白黒させながらも目の前に現れた二人を見る。
確かに女の子の方は白金の髪に青い眼をしていた。手入れの行き届いた美しいストレートのロングヘアで、その顔立ちはテオとも少し似ている。……確かに彼女こそがこの国――スィエル王国の第一王女であるリディアーヌ王女殿下なのだろう。
じゃあ、一緒に現れた男の子はリディアーヌ王女の侍従なのなのかな。
じっと見つめた先。枯葉色の短髪に灰色の目をした幼さを残す素朴な雰囲気の男の子は、リディアーヌ王女と変わらないくらいの年の頃に見えた。
そんな二人は丸くした目をぱちぱちと瞬かせていて。
「テオ兄様?! どうしてこんなお時間に中庭にいらっしゃるのですか……?」
そう言ったリディアーヌ王女が見詰めるのは彼女が発した言葉通りテオと、それからティートさんとアルノーさんだ。
対して男の子の方はといえば凝視しているのはテオたちではなく――優雅に紅茶を啜るカノンの事だった。……あれ、これつい数時間前にも似たような光景を見たことが……?
「ワケあってな。それを俺の口から話していいだけの余裕はないか……」
「は……っ! ごめんなさい、兄様。わたくし、そろそろ――いえ、兄様も此処から、」
「いや、俺はいい。大体の事は察しが付いてる。……それなら少しの間でも、俺が此処にいた方が良いだろう」
慌てたようなリディアーヌ王女に対し苦い顔で溜息を零すテオの傍らでアルノーさんは訝しげに眉を寄せていたけれど、ティートさんは苦笑を浮かべていた。
そんな彼らの様子をリフを抱えたまま見詰めることしか出来ない私の耳に、どこか間延びしたようなのんびりとした声が届いた。
「もう少しくらいはのんびり出来たら良かったんだけどなあ……どうにもそうしたものを汲んでくれるような心すら持ち合わせていないらしい」
かちゃりと微かな音を立ててソーサーにカップを乗せたカノンが緩やかに立ち上がり、私を手招く。
「リリィ、おいで」
「え、え? 何が起きてるの……?!」
「すぐにわかるから。リリィもリフも、おとなしくしておくんだぞ?」
そのままテラスから離れていくカノンに着いて行くと、立ち尽くしたままのリディアーヌ王女と男の子に振り向いたカノンは二人にも手招きをする。
「そこの二人も、こっちにおいで」
そう声を掛けられても二人はすぐに動くことはなかった。
男の子はただじっとカノンを見詰め、リディアーヌ王女は戸惑ったようにカノンとテオを交互に見るばかりで。
けれどもすぐにテオは小さく微笑み、口を開いた。
「大丈夫だ、リディ。客人を招いたということは、お前も聞いているだろう?」
「お客さま……? ではこの方々が昨日、陛下や兄様が仰っていた……!」
「ああ。だから、そう怖がらなくていい。お前もだぞ、ノエル」
ああ、やっぱりこの男の子がそうなんだ。
付け加えるようにテオが声を掛けた瞬間、男の子――ノエルと呼ばれた彼の姿がブレて滲む。ただラスカからレナと双子だと聞いていたからか、その姿はまだぼやけてはいるもののラスカの時よりも鮮明――レナとそっくりの顔立ちをした、氷蒼色の髪と青い目を持った少年がそこにはいた。
でも今はそのことを口にできる状況でもなければ話しの出来る状況でもない。
何が何だかわからないけれど、とりあえず私はリフと、それにリディアーヌ王女とノエルくんと一緒にカノンについていかなければならないようなのだから。
「……承知しました」
「リリィ、カノン。すまないが、リディとノエルの事を頼む」
「え? う、うん? よくわからないけどわかった」
「といっても、近くに隠れて息を潜めるくらいだ。……どうしようもなければ俺も引き受けるさ」
肩を竦めながら言うカノンに、テオは緩く首を横に振る。
テーブルの上に並べられていたカップとソーサーは馴れた手付きのラスカによって黙々と片付けられ、もうテオのぶんしか並べられていなかった。
「気持ちだけを受け取っておく」
「……そうか」
それだけを言って私達を促して歩き出したカノンを、リフを抱き抱えたまま追い掛ける。
続くようにして耳に届いた二人分の足音に安堵した――矢先のことだった。
「リディ様ー! ノエル君も、どこに行ってしまわれたんですかー!?」
まだ少し遠くから聞こえた声に、思わず肩が跳ねて足が止まる。その声が誰のものであるのかすぐにわかった。
アナスタシア王女のものだ。
だからこそ弾かれたように振り向くと、テオは気にした様子もなく紅茶を啜り、ティートさんがにこやかに手を振っていて。途端、アルノーさん私達とテオを交互に見始めたところで、カノンに呼ばれて少しだけ後ろ髪を引かれながらも歩を進めた。
とはいってもカノンはテラスからも、リディアーヌ王女たちが駆け込んできた道からも死角になった場所で留まったから、残ったテオ達の会話は多少不鮮明ながらも聞き取ることができた。
「テオドール殿下、どういうおつもりですか?」
「何がだ?」
「この声はアナスタシア王女殿下のものでしょう? あの方がリディアーヌ王女殿下とノエルディアを探しているのであれば、会わせて差し上げるべきではないのですか?」
「……何故? 公務でもないんだ。リディとノエルが嫌がっているのなら、避けさせても問題はないだろう?」
「ですが、アナスタシア王女は〈竜巫女〉。その願いは何よりも優先されるべきでしょう?」
「……確かに彼女は〈竜巫女〉なのかもしれない。だが、そうであるからと可愛い妹と侍従に無理強いをするような兄で友にはなりたくはないからな」
不服そうなアルノーさんと、気にも留めないテオのやり取りが聞こえる。
耳を澄ます必要もないほどにはっきりとしたやり取りは、私だけじゃなくてカノンやリディアーヌ王女やノエルくんの耳にも届いている事だろう。
それにしても、アルノーさんは本当にアナスタシア王女に対して揺るがぬ好意を抱いているのね。
いくらテオが第三者を貶めるような発言以外、受け入れるようなところがあるとはいえ、近衛騎士としてはあまりよろしくない進言の数々のように思うけど。
複雑な感情に眉を寄せていると、腕に抱えていたリフが不思議そうに私を見上げて小首を傾げた。その様子を見るとごく自然と表情が緩んでしまう。
大丈夫よ、別に怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないから。
口には出来ないけれどそう思いながら喉を撫でてやると、リフは嬉しそうに目を細めた。……いつもなら喉を鳴らしている筈なのにそれすらしないのは、この状況を理解しているからなんだろう。
「だとしても、」
「――そも、この程度を背いて竜の怒りを買うくらいなら、この国どころか多くの国々へとっくの前に裁きが下されているだろうさ」
「……っ!」
言い返せずにアルノーさんが言葉を飲み込んだような気配がする。姿が見えないから、彼がどんな表情でテオを見ているかはわからないけれど。
でも確かに、テオの言葉は間違っていない。
誰かと会えなかったから、誰かと話せなかったから。そんな理由でさえ竜の怒りに触れるようなら、きっとどこかの国が滅んでいてもおかしくはないだろう。
だってもうそれは、それこそ好き嫌いだけで何かが起きてしまうようなレベルの話なんだから。
だから、アナスタシア王女の真偽に関わらず、それは起きるわけのない、むしろ起きてはならない事態のはずだ。
と、その時だ。
「どなたかそこにいらっしゃるのですか? ……まあ! テオ様! それにティート様にアルノー様も!」
不思議そうだったのが一転して弾んだような声になって、先程までよりずっと鮮明に聞こえてくる。
その理由は言うまでもなくアナスタシア王女がテラスにたどり着いたからで。決して遠くはない距離と生垣を挟んだ場所で、アナスタシア王女が至極嬉しそうに笑っているだろう姿が容易に想像できて、私はリフを抱きしめて目を伏せた。




