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スィエル王国は、フェルメニア王国の近隣国に位置し、比べると小さな国だ。だからといって、弱小国というわけでもない。
フェルメニア王国のように〈神竜〉に守護されている特別な国ではなく、そもそもの始まりは蔓延る魔物を掃討すべく集まった冒険者たちの拠点。そこから緩やかに都市として発展し、住民が増え、国となったのがスィエル王国だ。今では魔物の数も減り、国内は平穏そのもの。統治者たる今の王家も臣下たる貴族たちの多くも集った冒険者だとか、移り住むことを選んだ人たちだとかを祖先としているわけだけど、比較的歴史が浅いとはいえ瓦解することも無く、多少の問題が生じこそすれども反乱などが起きるでもなく立派に治め続けているのだから侮るなかれである。
いま私たちが暮らす森も、そんなスィエル王国の領内に位置する。
領内といっても、森があるのは領土の端だ。端という言葉通り王都は遠く、近くの町から向かうにも平原を越え山を越え、と馬車に揺られて数日は掛かる。ものすごくわかりやすい一言で言えばド田舎だけど、そんなことを言ったら近くの町に暮らす友人に説教されるから止めておく。
けど、遠く離れているのは事実なのだから、この森に来て暮らし始めてからは、心配せずとも貴族とだなんて接することはないだろうと思っていた。が、それはあまりにも楽観的過ぎたらしい。
「……スィエル国の第二王子殿下とは知らず、無礼をお許し下さい」
たっぷりの沈黙の後、私はなんとかそう絞り出した。
紡ぐ声は震えていたけれど、深々と下げた頭と合わせて戸惑い、緊張しているのだと思って欲しい。いや、実際戸惑ってるし緊張してるし、更に言うなら混乱しているんだけどね? 平然としていられるわけがないんだけどね?
と、ぐるぐると混乱する頭で考えていると、頭上からは慌てたような声が掛けられた。
「頭を上げてくれ! そう畏まらなくていい!」
「しかし、貴方様はこの国の王子殿下にあられます。王族である貴方様に礼儀を欠くなど、一介の民に許されることではありません」
「許す! 俺が許すから堅苦しい態度はなしだ! 頼むから! そう畏まられるのってむずむずして好きじゃないんだよ!」
「……王族なのに?」
思わずそう尋ねてしまったのは致し方無いと思う。
だって、王族だよ? 物心ついた頃には誰しもに礼儀作法を必ず求められるような環境にいて、自身にもそうした立ち居振舞いを求められるような立場なんだよ? 好き嫌いとか言ってられないじゃない。それが王族――貴族というものなんだから。
なのにそれを嫌うってどういうことよ。私に対する言動もあまりに砕けすぎてるし。
疑問一杯に眉を寄せながら顔を上げ、見詰めると、テオドール王子は眉をハの字に下げた。
「王族だろうが好きじゃないものは好きじゃないんだ。だいたい、敬われるべきは国王陛下や王妃様であって、俺じゃない。何か成果をあげたでもない、取り立てて優れた才覚があるでもない、第二王子って肩書きがなければどこにでもいるようなただの人間に、堅苦しくする必要なんて何処にもないだろ?」
「……身分は常に付き纏うものです。どれだけ嫌がろうとも、それを真に捨て去らない限りは、貴方様は王家の者なのですよ」
「もちろん生まれついて背負った責務を放棄するつもりはないさ。だが俺が此処に居るのは王の意向じゃない、俺自身の判断だ。なんで、今ここにいる俺は王子じゃないと思ってくれていい」
「……世間ではそういうのを屁理屈と言うのですが?」
「俺がテオドールだって知らなかったんだ。そう難しいことでもないだろう?」
途端、にこりとテオドール王子が笑う。
私この顔知ってる。何を言われても自分の意見を曲げるつもりがないって顔だ、レイン兄がよく浮かべるからよぉ~く知ってる。あれで結構頑固なのだ。
目の前のこの男もそうなのだろう。ならばこのまま平行線の言い合いをしているのはあまりに不毛だ。時間の無駄とも言う。それに私、これでも意識的にはそこそこの歳だしね、リリィはこの頑固者よりも年下なわけだけれど。折れてやるわよこのやろう。
そう考えながら、深く深く溜息をついた。
「……これは貴方の顔と名前が一致しなかった自分自身への罰ってことにしておく」
「助かるよ、リリィ嬢」
「リリィでいいわ。みんなそう呼ぶもの」
「なら、俺のこともテオと呼んでくれ。みんなそう呼ぶ」
「…………」
この王子、変わり者で頑固者なだけじゃなくて図々しいかもしれない。
柔和な笑顔と共にそんなことを要求されてそんなことを思う。が、決して口には出さないし頷きもせず、代わりに問い掛けた。
「それで、なんだってこんな森の中に倒れてたの?」
すると、楽しげに緩められていた表情がスッと引き締められ――いや、歪められる。眉を顰め、僅かに悲哀を宿したかのような顔で、ぽつりと呟く。
「…………人捜しをしている」
「人捜し? こんな場所に?」
「この森にいると聞いたんだ。だから、此処に来た」
「この森に?」
「ああ。辺境の森にいるという、竜を連れ歩き、神たる竜に愛された巫女――〈竜巫女〉を捜しに」
その言葉に、瞬きを数回。
向けられた期待が見え隠れする紫水晶の眼を見詰め返しながら、私が口にする言葉はひとつ。
「〈竜巫女〉って……なに?」
「は……?」
そんな言葉、生まれて始めて聞いたし、そもそもそんな風に呼ばれるべき人間、この森にはいないんだけど?
――〈竜巫女〉。
それは、竜を従えることのできる特別な娘。生まれながらに〈神竜〉から寵愛を授かり、それ故に大いなる存在であり竜を束ねる〈竜王〉たちの力をも借りることのできる、唯一の存在。
時に神の代行者として冷酷無慈悲な審判をくだす〈竜巫女〉だが、一方で真摯な願いに応え、叶えることもあるという。
その存在は多くの権力者に求められ、けれども誰の手に渡ることもなく、それどころか本当に存在するかもわからない。
「世界中で知らないという人間はいないような伝承に描かれる存在だよ。リリィにも小さな頃に絵本をあげた気がするんだけど……覚えてない?」
呆けた顔をしたテオドール王子――もといテオからは、本当に知らないのかという再三の確認しか得られず、お昼ご飯の用意をしていたレイン兄に〈竜巫女〉について尋ねたのはついさっき。
その正体についてレイン兄はすぐに教えてくれた。けど、困ったような微笑と共に、そんなことを逆に問われてしまった。
「……覚えてない。というか、本を読むより体を動かす方が好きだから、たぶん読んでもいない」
「なら本棚の何処かに置かれたままかな。まあ、知らなくても問題はないんだけれどね。リリィはリリィらしく生きれば良いんだから、俺としてはそれもそれで良し」
「なるほど、こうして知らずに育ってしまったのか」
「悪かったわね、無知で!」
やけに感心した様子で呟いたテオに、思わず叫ぶように言い返すと、レイン兄が楽しそうに頬を緩めて、私の頭を軽く叩くように撫でた。
そうされると急激に心の内にあった尖ったものが消えていくのがわかった。うちの養い親さんは言葉なくともこうして落ち着かせてくるのよね。全幅の信頼をおいてるからこそなのかもしれないけれど。
それでも恨みがましくテオとレイン兄を交互に見るけれど、そんな私をあっさりとスルーしてレイン兄は出来上がった料理の盛り付けられた皿を配膳していく。
並べられるのはテオが腰掛けるテーブルの前。そうして手際よく準備されていくお昼ご飯を前に、テオは申し訳なさそうに眉を下げていた。
部屋から連れてリビングに来た私とテオではあるが、料理の手伝いの申し出は、テオだけがレイン兄にやんわりと断られてしまったのだ。理由としては、目立った外傷はなくとも行き倒れていたのだから安静にしておくべきだ、とのこと。実際のところ、そんなに手がほしいわけではないしね。
曰く、昔から家事全般を自分でこなしてきたらしいレイン兄は、それらが趣味にまでなってきていて、中でも料理に関しては手際も良ければ味も良いという完璧ぶりだから、下手な手出しは要らないのだ。むしろ邪魔になるくらいで、手伝いをする私だってせいぜい食器の準備とか、そういう程度しかしてはいない。
かといって私も料理ができないわけじゃない。前世でもそれなりには自炊できてたのだから、やればできるってことは主張しておく。ただ、作る度にレイン兄たちからはなんとも言い難い表情を向けられるけど。不味くはないというか充分美味しく食べられるんだから良いじゃない。見た目なんて二の次でいいでしょ。それを大雑把すぎるだなんだとうるさい友人は神経質すぎると思う。
「それにしても、〈竜巫女〉を捜してこんな場所にまで来るなんて……それほど国は困窮しているのか? そうした話は聞いたことはないけれど、情報の規制の影響?」
そうテオに話し掛けるレイン兄の口調は砕けている。テオが名乗ったときに、私へと同じように求めたからであり、レイン兄もまた敬語であることを求めなかったためだ。
余談ではあるけれど、レイン兄はどうやら彼がスィエル王国の第二王子だと一目見たときから気付いてたらしい。
テオの顔は見たことはないけど、スィエル国王族の始祖の特徴がはっきり出てるからすぐにわかったそうで、だからこそ私に構わないのかと尋ねたみたいなんだけど……そんなの言ってくれなきゃわからないに決まってるでしょうに。責めるように半目で睨むと、レイン兄はすぐに謝ってくれたから許したけど。別にそこまで怒ってはいなかったし。
投げ掛けられた言葉に、レイン兄へと視線を向けたテオは途端に渋い顔になりながら口を開いた。
「いや、情報の規制はされてはいない。というよりも、いまはまだ困窮というほどではなくてな、その必要もないんだ。だが遅かれ早かれそうなるだろう……そしてそのときには王命を受けてこの地に遣いが訪れる」
「だから先んじて来た、と? 言い分はわからないでもないけど、王命により捜す方が正解だったんじゃないかな? 仮に見付けたとしても、強制力がない。しらを切られればそれまでだし、断られたら元も子もない。更に言うならばキミ自身も危ない」
「いいや。だから俺であり、王命じゃないんだよ」
自嘲混じりの言葉に驚いたのは私だけじゃなくて、間近で見ることとなったレイン兄は目をしばたかせ、そんな私達に気付いてテオはほんの少しだけ眉を下げる。
「…………やっぱり、詳しい話はシルも交えて聞くべきみたいだな」
真剣な面持ちでレイン兄が呟いた。
私もレイン兄も、まだテオから彼が〈竜巫女〉を捜す理由は聞いていない。それは聞く気がないというよりも、今は不在にしているもう一人の養い親と、兄代わりの青年と共に聞くためだ。二度聞くのは手間であるし、レイン兄から話すだけではすべての疑問に答えられないから。ついでに昼食をみんなでとることは自然な流れでそうなっていた決まり事だから、ということも添えておく。
そして件のもう一人の養い親は、レイン兄が呟いてからさほど時間がたたない内に帰ってきた。
「ただいまー」
と、玄関が開くと共に響く声。
透き通っていて、柔らかく暖かなその声音を聞くと、どうにも心が弾む。半ば反射的に玄関に向かうと、そこには一人の女性が立っていた。
「おかえり、シル姉」
「ただいま、リリィ」
呼び掛けると、嬉しそうに頬を緩めるその女性は、シェルフォード・アル・スノウディ。
レイン兄が父親なら、この人は母親――お母さんだ。
髪の色は銀。テオのしっかりとした銀色とは違う、雪のように白く煌めくような白銀の髪は二の腕程度まで伸ばされ、覗く瞳は淡く澄んだ蒼。美女とも美少女とも言えるような美貌を持った、とても綺麗な女の人。果たしてそんな綺麗な人を、母と慕いはすれど呼べるだろうかと聞かれれば否で、やっぱりというか、シル姉と呼ばせてもらっている。
実際の年齢は教えてもらってないけれど、レイン兄よりほんの年上と聞いたことはあるから、同様に長い時は生きているとは思う。でも見た目の年齢はといえばレイン兄よりも下、二十歳前後といった若い風貌だ。決して上質な生地の衣服を着ているわけではないのに、どことなく品の良さを感じるのは、レイン兄によれば結構な身分だかららしいけれど、貴族ではないとの話だから私にはよくわからない。別に詮索したいとも思わないけど。
シル姉は紙袋を抱えている。その中身は決して重そうではないけれど、運ぼうと手を伸ばすと、ありがとう、と応じて差し出してくれた。
「おかえり、シル。……と、あれ、グレンは? 一緒にいたんだろ?」
「ただいま、レイン。その事もあって尋ねたいのだけれど、リリィの見付けた彼は目を覚ましてる?」
リビングからひょこりと顔を覗かせたレイン兄がシル姉に問い掛けると、シル姉は首を傾げながら問い返す。
テオを運び入れたとき、シル姉ももちろんこの家にいた。けど、その後テオの服を手早く洗濯してすぐに買い物に出掛けてしまっていたのだ。目的地は近くの町。お供はグレン兄――私の兄代わりの青年だ。
グレン兄はシル姉をほっぽって何処かに行ってしまうような人間じゃない。むしろふらふらと横道に逸れていくのはシル姉の方だからこそのお供なんだけど、いったい何があってシル姉はテオに尋ねたいことがあるんだろう?
そう考える私同様、不思議そうにしながらもレイン兄は口を開いた。
「起きてるよ、リビングにいる。シルのおかげ」
「どちらかといえばレインのお陰じゃないかな? それはそれとして、起きてるなら丁度良かった」
シル姉は言って、リビングへと向かう。そのままこちらを覗くレイン兄の横を抜ける彼女は足早だ。
慌てて荷物を抱えたまま追い掛けると、リビングでは状況が全く読み込めていなかったらしく、どうしようかと立ち上がりかけていたテオと、シル姉が向き合っていた。
「はじめまして、スィエル王国の王子殿下。わたしはシェルフォード、シェルフォード・アル・スノウディ。シルとお呼びください」
テオをまっすぐに見据えて、シル姉は軽く会釈をして見せる。
というか、シル姉もテオがスィエル王国の王子だって気付いてたの? 嘘でしょ? まさか気付いてなかったのって私だけとかじゃないよね? ええぇぇ。
新たな事実に驚き震える私を尻目に、シル姉の所作に困惑しきりながらも、テオはなんとか口を開いた。
「俺はテオドール。お察しの通りスィエルの第二王子だが、いまは気軽にテオと呼んでほしい」
「承知いたしました、テオ様」
「いや、堅苦しい態度もいらないんだが……」
「あー、ごめんテオ。その願いはおそらく聞き入れられないと思う。シルのそれ、昔からの癖だから」
不服げなテオに、苦笑いを浮かべたレイン兄がそう教えるように言う。間に立つ形となっているシル姉はきょとんとしているのは、おそらく何のことを言われているのかピンと来ていないからだろう。
丁寧すぎるまで丁寧な立ち居振舞いに言動に、敬称もしっかりと。これら全てがシル姉の癖だ。身分というより環境のせいみたいなんだよとはレイン兄の言葉で、聞けばレイン兄も昔は敬語で、様と敬称をつけられて呼ばれていた時があったらしい。敬称こそすぐに改めさせたものの、敬語を改めるには日を要したそうだ。骨の髄にまで染み込んでいるのかもしれない、とも聞いたけど、シル姉の癖については前世の知識を踏まえても本当によくわからないことばかりだ。
しばらくすると、シル姉もようやく口調に問題があったのだと気付いたようで、あ、と声を上げてすまなそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。こればかりはお許しいただきたく……善処は致しますので」
と、言いながらも改まってはいないのだけれど、まだ幼かった私に対しても最初はそうだったのだから、会って間もないテオには我慢してもらうしかない。というか、そう簡単に砕けた口調を引き出されても困る。
テオもさらに紡がれたその言葉で筋金入りとわかったのだろう。不服そうな色は消え、代わりに眉を下げて気にしないでくれ、と口許を緩めた。
「それで、シル嬢」
「シルで構いませんよ」
「ならシル。俺に用が?」
玄関での話が聞こえていたから、と付け足したテオに、シル姉が頷き、口を開いた直後。
「――何処だ此処は!? しかも動けん! くそっ、おのれ魔女とその手下め! 殿下のこともこうして捕らえたのだなっ!? なんと卑劣な!!」
「あーもー起きた途端うっせえなコイツッ! リフ! どっかから布持ってこい!」
「ぐえっ! 貴様! 人を足蹴にするとはいい度胸ではな、ぎゃふん!」
「芋虫みたいに這ってまでこっちくんな! てか、武器取り上げられて簀巻きにされてもめげねぇとかなんなんだよお前っ!?」
何やらギャイギャイとしたやり取りが外から聞こえる。
人数は二人。そのうち一人はグレン兄のものだ。レイン兄ともシル姉にも似つかぬ荒い口調だけども。けどグレン兄とは違う、もう一人の声は知らない人のものだ。
誰だろ? と、自然と外へと向けていた顔をリビングの方に正すと、テオが項垂れていた。そのことに気付いたのは私だけではなく、レイン兄とシル姉もだ。
「いま外でグレン――うちの子が言い争っている相手についてお尋ねしたかったのですが……その様子ではご存知の方のようですね」
眉を下げたシル姉から柔らかな声音で尋ねられたテオは、項垂れたまま片手で顔を覆ってこくりと頷く。
どうやらテオの知ってる人がシル姉とグレン兄と遭遇し、簀巻きにされるという事態になっていたらしい。
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