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ラスカさんによってテーブルの上にてきぱきと瞬く間に並べられた料理を前に、礼といつものいただきますの言葉を経て少し。
「ティートとは子供の頃からの付き合いなんだ」
穏やかな声音でそう切り出したのはテオだった。
私は食事の手を止め、小さく首を傾げる。
「子供の頃、って……それじゃあ、ティートさんって貴族?」
「ああ。こんなのでも子爵家の令息だ。もっとも、出会った頃から騎士になるんだと言って憚らずにいた変わり者だけどな」
それならやっぱり私なんかに丁寧に対応するべき身分のひとではないのでは?
テオの肯定にすぐにそう考えたけど、テオの傍らに控えるように立つティートさんはにっこりと笑って、
「子爵令息といっても、俺は長男ではなく次男だし。家のことは親兄弟がやってるから俺は一介の騎士に等しいし、気にしなくても良いよ」
「き、気にしなくても良いって言われましても……」
それで、うん、わかった、なんて言えないでしょ流石に。少なくとも私は言えないわ。これ以上は砕けた態度になっていいとは思えない。……テオに対してだって本来は許されないんだからね、それはちゃんとわかってるんだからね。
眉を情けなく下げながら困っていると、ともすれば呑気にリフを抱えたカノンが口を開いた。
「リリィ、意地っ張りは良くないぞ?」
「意地は張ってないけど……」
「何事も必要以上に頑なになる必要はないってこと。もちろん、砕けた口調にしない方が楽だっていうのなら、それで良いとも思うけどね」
「……カノンに正論言われるなんて」
「俺も一応リリィたちのお兄ちゃんなので」
それは知ってますとも。
何せカノンははじめましてからずっと顔を合わせる度に過保護にはならない距離で面倒を見てくれたし、それを忘れたことなんてないのだから。……普段は意地の悪い事を言ってきたりとレナとはまた違った意味で兄とは思えない瞬間があるとしても、だ。
うう、と唸るように閉口していると、カノンはにこにこと楽しそうな様子を崩さないままその視線をテオとティートさんに向けた。
「それで、宣言通り騎士になったティートはテオの護衛をしてるってわけか」
「俺をきっかけとして兄弟達とも顔を合わせているから、近衛にするのであれば見知った奴の方が良いだろう、とは騎士団長の言葉でな。それだけが理由なのかはもちろんわからないんだが」
そこで言葉を区切り、テオはラスカさんの淹れた紅茶に一口つけてふ、と息を吐くとまた口を開く。
「《竜巫女》を捜すために城を離れる際には、戻るまでは妹に着いてもらっている筈だったんだ。初めから一人で赴くつもりだったからな。……それなのに戻ってきてみればリュシアンに着いていると陛下から聞かされて、どれだけ驚いたことか」
「それって、尋ねるまでもない気もするけどアナスタシア王女が関わっていたりする?」
私の問いに、テオが顔を顰める。
それだけでやっぱり、って思ってしまうんだから急ぎアナスタシア王女に関してもどうにかしなきゃいけない気がする。現状、私にできることはないからレイン兄たちがやるべきことを済ませてからになるのが申し訳ないばかりだ。
「……どうもリュシアンに強請ったらしくてな。本来ならアイツのそばに控えるはずだったアルノーが俺を追って離れた事もあって、一蹴することも出来なかったらしい」
「いっそ俺がついていけばそんな事にはならなかったんだろうけど、アルノー卿がテオについていったと判明したのは当然テオが発った後の事。引きとめようとするシルヴァン団長――騎士団長も振り切ってまでの強行をされたら、もうどうにもならなくてさ」
少しだけ肩を竦めて困ったようにティートさんが眉を下げるけど、言葉や表情よりもずっとアルノーさんの行動は彼を含めた多くの人達を困らせたんだろう。
もちろんアルノーさんがテオを案じての行動を起こしたという事は確かだろうし、それを私は咎めるつもりもなければ一人で行かせることを良しとした人達に納得できない気持ちはあるけれど、だからといって此処まで知ってしまえばアルノーさんの行動が手放しに正しかったのだとは言い難くなってしまうのもまた事実だ。
となれば私が言えることは一つしかない。
「次からは、最初から一人でも良いから護衛をつけて行動をしたほうが良いと思うわ。アナスタシア王女のような存在の有無に関わらず、前にも言ったはずだけど無茶がすぎるし、それじゃあ大事な人達に心配を掛けてしまうだけだもの」
改めて釘を刺すようにあの時と同じ言葉を口にして、ひとつ間を置いて言葉を続ける。
「これは貴方がどれだけ強い人だとしても、だよ? ……グレン兄やレイン兄達、それこそカノンやレナ達も強い人なのは知っているけれど、それでも無茶をしていると知ったなら不安になるし怖いもの」
一緒に赴いたところで何も出来ないってわかっていても、待っている事しか出来ないってわかっていても、自分にも何か出来たらって歯痒くなるっていうのに。
じっと見据えて告げると、テオは僅かに目を丸くして、それからすまなそうに微笑むと、
「……似たようなこと、昔リディにも言われて泣かれたな」
「そうされてもなお改めないって、テオ……」
「この際だしせっかくだから、キミからも言ってやってくれ、リリィ嬢」
と、困り果てたように言うのはティートさんだ。
彼は私を見て小さく微笑むと、テオを半目で睨むように見遣る。
「リディアーヌ王女だけじゃなくて俺たちやジェラルド殿下や、以前はリュシアン殿下からも言われてるっていうのに無理、無茶、無謀な行動に関しては改善された試しがないんだ」
「それを今言うか?」
「今だから言うんだよ」
「失礼ながら、ジェラルド殿下はテオドール殿下が何かをなさるたびに無理をしていないか、自愛を欠かしていないかと今でも毎日案じていらっしゃいますよ」
「……そんな事、ジェドから聞いた事がないぞ」
「そりゃお前が何を言っても聞かないからだろうが……」
眉を下げて微笑むラスカさんと、眉間に皺を寄せながら頭を抱えるティートさんの視線の先で困ったような顔を浮かべるテオを見て、図らずも私はカノンと顔を見合わせ、
「随分と筋金入りなのね」
「前科はどれだけあるんだろうなあ」
「キュゥ……」
リフまで呆れているわね、私でもこれはわかるわよ。
じっとテオを見ていると、この場にいる全員からの視線を集めて居心地悪そうに顔を歪め、それから嘆息して、
「……今後は善処する」
それはかとなく逃げの意味合いしか込められてない言葉よね。
それから、配膳されていた食事を私達が食べ終えるより早く部屋にノック音を響かせた来訪者に呼び出されたテオは、ティートさんを連れて部屋を後にしてしまった。
元々朝食は軽食という形で既に済ませていたそうで、私達の部屋に来たのもラスカさんとティートさんの紹介がてら私とリフとカノンの顔を見たかったから、というのが理由の殆どだったらしい。
今日からは執務をしなければならないけれど昼食か、ティータイムは過ごせるようにするから、と去っていくテオを見送りながら、嘘は一つも並べてないんだろうけど居心地悪そうだったせいかそそくさと逃げるように出て行ったようにも見えた事だけは添えておこうと思う。……という様子はティートさんも感じ取っていたのか、笑みを堪えていたけれど。
テオとティートさんが去って部屋に残ったのはラスカさんだけ。扉越しから聞こえていた足音も遠ざかれば静けさに包まれ、開け放ってある窓からそよ風が吹き込む穏やかな室内でおもむろにカノンが言った。
「それで、なんでお前がこんな場所にいるんだ?」
その問いかけは私やリフに向けられたものではない。
「…………」
リフを肩に乗せて穏やかな表情を浮かべてカノンがじっと見つめる先にいるのは、メイド服に身を包んだラスカさんだ。
彼女は注がれる視線に気付いてか僅かに動きを止めたが、すぐに不要になった食器の片付けを再開した。
「何のお話をされていらっしゃるのかわかりかねます。お知り合いの方とお間違えでは?」
「わざわざ認識阻害の魔法を使ってまで侍従をしたがるような知り合いは二人しかいないな?」
「認識阻害の魔法、ですか? そのような魔法が存在するので、」
「――茶番はそこまでにしないと怒るぞ、愚妹」
柔和な表情はそのままなのに、紡がれた低く怒気のこもったカノンの声音に思わず肩が跳ねる。アナスタシア王女に対しての拒絶とは違う、聞き分けのない子を叱るような色を宿す怒気を示すだなんてとても珍しいからだ。
それと共に驚いたのは、カノンがラスカさんを愚妹――妹と呼んだ事。
カノンは自分のことをそう多くは語らない。
だから妹がいるという事も初耳なんだけど、それにしてはカノンとラスカさんは似ていないような……違うわね。
「魔法で外見の見え方を変えてるの……?」
ぽつりと呟く様に言葉にすると、途端にラスカさんの姿がブレて見えた。
認識阻害の魔法は、他者に幻覚を見せるような効果がある。
私がレイン兄からもらった外套や、昨晩リュミィが平然と窓から侵入して今朝帰ったらしいのも認識の阻害――他者の中に刻まれるはずの印象や存在感を薄れさせるような類のものだけれど、この魔法はそういうものが掛けられていると認識をした瞬間、その人には効果がなくなってしまうという弱点があるのだ。
だからテオにはいくらあのローブを着て話をしても私の顔ははっきりとわかるし、ティートさんも今後はそうなることだろうし、リュミィが来た事をカノンも私もリフもすぐに気付けたのはそうした理由からなのである。
そしていま、私はラスカさんに掛けられた認識阻害の魔法の効果の仔細に触れた。正しく理解出来ていないから私の目には彼女の姿が僅かに歪んで見えるだけだけど、それでもそうであるということは、間違いなくラスカさんがその姿の見え方が変わるようにしている証明になる。
じっとラスカさんを見詰めていると、片付けの手を止めた彼女は観念したように深く息を吐き、
「……関わらないでって訴えていたつもりなのに、どうしてそっとしておいてくれないの、カノンにぃ?」
さっきまでの拒むような様子とは大きく異なり、どこか幼さを感じさせるような口調でじとりと睨みつけるラスカさんに、カノンは肩に乗るリフを撫でてやりながら笑みを浮かべ、
「レナならともかく、俺に見付かったのが運の尽きってことで諦めろ。もっとも、レナだってアイツもここにいると知れば無視はしなかっただろうが」
「あの子がいるだなんて私は一言も言ってないけれど?」
「お前がいてアイツがいないだなんてこと、有り得るとでも?」
「にぃのそういうところ、あまり好きじゃないわ」
僅かに頬を膨らませるラスカさんにくすくすと笑みを零すカノンの様子からは、気心知れた親しさを感じられる。
一方私はといえば、突然の様子の変化と気安いやりとりに目を瞬かせることしか出来なくて――と、不意にラスカさんと目が合った。
彼女はそのまま私を見てすまなそうに眉を下げて、
「驚かせたようでごめんなさい。まさか私もこんな事になるだなんて思ってもみなくて」
「い、いえっ、謝らないでください! けど、えっと、その……ラスカさんは、本当にカノンの……」
おずおずと尋ねればラスカさんはこくりと頷き、口を開いた。
「少し待っていてくれる? 食器を厨房に運んだらすぐに戻ってくるから。そうしたら、お話をしましょう。……こうなってしまったからには、話しておきたいことが沢山あるもの」




