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 にこにこと笑うアナスタシア王女を見て私が抱いたのは恐怖だった。

 知るはずのない事を最初から知っていたかのように口にしたのだから、当たり前だろう。

 アルノーさんがアナスタシア王女に話したのではないか、とも考えはした。でもアルノーさんの驚愕に染まった表情を見るに、彼がアナスタシア王女にリフの事を話したとは私には思えなくて。


 まさか、本当にアナスタシア王女は予知能力でも持っている?


 そこまで考えて、それも違うような気がした。

 だって彼女はカノンを見て、()()()と驚きの混じった声で言っていた。

 アナスタシア王女が本当に予知能力を持っているのなら、そんな言い回しはしないはずだ。驚くのもおかしいと思う。


 でも否定はしきれない。アナスタシア王女は明らかにカノンの事を知っていたのだから。

 いくら人里をごく普通に歩き回っているとはいえ、カノンもまたレイン兄たちと同じように貴族との接触を好んでするようなひとではない。仮に出会ったことがあったとしても、だからといって名乗るような事はしない。そもそもそうした経緯があったなら、あんなにも露骨な拒絶をアナスタシア王女に対してすることはないだろう。


 だから、やっぱり怖い。

 この人は、何を思ってこの場所にいるんだろう?


「その者が仔竜を連れている? それは本当か、シア?」


 ただただ不思議そうな表情でアナスタシア王女に問いかけたリュシアン王子に、アナスタシア王女は笑みを絶やさずに頷いた。


「本当です! わたくしは〈竜巫女〉ですもの、気づかない筈がありませんわ」

「…………」


 違う、〈竜巫女〉であるはずがない。

 レイン兄がそう言ったのだ、逆立ちしたってそれだけは()()()有り得ない。


 でもアナスタシア王女は誇らしげにそう言い張っている。

 それが本当の事であるかのように、嘘偽りを口にしている様子もなく本心から言い張っているように私には感じた。

 仮に彼女の言葉に嘘がなかったとしても、レイン兄が忘れていただけだとしても、私はそれでもアナスタシア王女を〈竜巫女〉と受け入れることができない。

 未だリフは不機嫌そうに、今にも飛びかからん勢いながらも耐えるようにして低く唸り続けているというのに、どうして竜達に愛されるべき存在と認められるだろうか?

 ちらりと見ればカノンもまた険しい表情を浮かべたままだ。竜に愛されるということは、彼らにだって少なからず受け入れられるべき存在の筈なのにも関わらず、だ。


 けれどもアナスタシア王女はこちらの事などお構いなしに私を見て、両手を差し出した。


「さあ、使()()()。わたくしに貴方様の連れていらっしゃる仔竜を授けてくださいな」

「……っ!?」


 何を言ってるんだろう、この人は。

 何を考え、そんな事を口にしているのだろうか。そもそもとして初対面の相手に掛けていい言葉じゃない。

 仔竜を連れ歩いている、それを言い当てられることだってこちらからすれば動揺を隠せない事だというのに、その上で自分に渡せ、だなんてどうしてそんな事を言えるのか。はいそうですかってなるわけがないじゃない!

 少なくとも私は応じたくない。応じる理由が何一つとしてない。

 でもそれをそのまま口にするわけにはいかない。

 相手は王族だ。動揺したままで思いつく言葉を告げる訳にもいかない。

 ひとつ深呼吸をしてそれから言葉を探したところで、


「アナスタシア王女、そこまでにしていただけますか?」


 アナスタシア王女と私との間に割って入るように腕を伸ばし言葉を発したのはテオだった。


「テオさま?」

「彼らはあくまでも我が国の客人。貴方が仰る様な用件はおそらく御座いません」

「えっ?」


 小首を傾げたアナスタシア王女がテオの言葉にきょとんとした表情を浮かべ、僅かな沈黙の後に口を開いた。


「そんなはずありませんわ! だって確かに使者様が此処にいらして、仔竜を連れていらっしゃるのに」

「……仮に貴方の言うようにこの者が使者で、仔竜を連れているとしても。その仔竜を貴方に授ける事がこの城に来た目的だったとしても、用があるのは貴方ではなくこの者の方の筈です。違いますか?」

「それは……」


 言い募るアナスタシア王女がテオに問われてその勢いを失っていく。それを見た上でテオが私へと振り向き、静かに問いかけてくる。


「すまないが、アナスタシア王女が口にしたような用命がおありか?」


 普段の――これまで私達への対応とは違う、家で目覚めた直後の時のような口調を崩さないテオに、私はほっと安堵しながらそれならばとフードの下から見上げて首を横に振る。

 間に入ったテオの存在もあってか、リフの唸り声は落ち着き始めていた。


「いいえ、御座いません」


 返答は丁寧に。この僅かな返答だけで正体に気付かれる心配なんてないはずだ。

 それに、テオが王子としての振る舞いをするのならばこちらも正すべきだろうから。

 するとテオは僅かに目を柔らかく細めて満足げにそうか、と頷き、


「――そんな筈ない!」


 刹那、叫ぶような声が廊下に響いた。

 見ればアナスタシア王女がキッと私を睨むように見ていた。


「シア……?」


 驚いたように声を掛けたのはリュシアン王子。その声にハッとしたように表情から憤りにも見た色を消すと、にこりと柔らかな笑みを浮かべて、


「いくら居合わせるはずのない人達がいるからって、此処に使者様がいるなら仔竜を貰える筈でしょ……?」


 そんな事を言った。その言葉を理解するより早く、アナスタシア王女は私に迫り、


「それなのにどうして用がないだなんて言うの? この城に来たのはわたくしに、〈竜巫女〉に仔竜を渡す為でもあるはずでしょう?」

「な、何を……?」

「あまり意地悪はなさらないでほしいわ。ああ、でも、テオさまに尋ねられては何も用がないと言うしかないものね、ええ、だからよね? でも気にしなくて大丈夫よ? 遠慮なんかせずわたくしに、そのフードの中に隠してらっしゃる仔竜を渡してちょうだい」

「っ! アナスタシア王女、それ以上は……!」


 困惑する私を気にも留めず、制止するようなテオの声も無視して、伸ばした手がフードに触れる直前、


「ギャウッ!!」


 飛び出したリフがこれまで一度だって聞いたことのないような声を発したかと思うと、突如ふわりとした風が吹き抜け、次の瞬間には刹那的な突風が放たれた。


「きゃあ!?」

「なっ!?」


 突風といってもアナスタシア王女を僅かに後方へと押しやる程度で、私やテオやカノンが立つ方には再度風が吹き抜けたくらいだったし、巻き込まれるような形になったのはアナスタシア王女の少し後ろに立っていたリュシアン王子だけだったようだけれど。

 唐突な出来事に悲鳴を上げはしたけど、アナスタシア王女とリュシアン王子に怪我はない。

 いや、そんな事よりも、だ。


「リフ!」


 私はフードから飛び出して、それどころか明らかにアナスタシア王女へと生み出した風を打ち付けたリフの名前を咎めるように叫んだ。


 どうして……! 確かにずっと唸り続けていたし、飛び出してしまうんじゃないかとは思っていたけどこんな事をするだなんて……!


 でもリフは私の声に応じることはなく、中空に浮かんだままアナスタシア王女を見詰めていた。それだけではなく未だ唸るように喉を鳴らしていて。

 そんなリフに困惑していたのは私だけではなくテオもで。


「リフ……?」


 ぽつりと呟く様なテオの声にもリフは反応を示さない。

 ただただアナスタシア王女を見詰め、その双眸を逸らすことはない。驚いたような幾つもの目に晒されながらも退くことをしないだなんて、いつものリフなら有り得ない筈なのに。


「竜の子供……!? 本当に連れて……? いや、だが……」


 驚いたようにそう零したのはリュシアン王子。その近くで、


「……ふふ、やっぱり仔竜を連れていらっしゃったじゃない」


 ――アナスタシア王女は嬉しそうに笑っていた。

 リフに拒まれるように風をぶつけられたというのに、リフが唸り声を上げているというのに、その双眸を真正面から受け止めてなおアナスタシア王女は愛おしそうにリフを見詰めていた。


 その様子に私はゾッとする。

 言動も、行動も、何一つとして理解が出来ないから。目的も、考えも、何一つとしてわからないから。


 ただ、それでも。


「とても可愛い竜の子ね。わたくし、竜の子供を見るのは初めて」


 うわごとのように、()()()ように言うアナスタシア王女が伸ばした手が届く前に、私はリフを抱き抱えた。


 アナスタシア王女は間違いなくリフを手元に置こうとしている。

 それにどんな意味があるかはわからないけど、少なくとも彼女のいう〈竜巫女〉は仔竜(リフ)を連れ歩くもので、それは恐らく使者()から授けられるものらしい。

 でも私はそんな事をするつもりもなければさせたくもない。

 リフが望んでアナスタシア王女の元に向かうのであれば別だったかもしれないけれど、レイン兄達や風竜達から信頼されて預けられた、うちの末っ子で私の大切な相棒をこんな異様な振る舞いをする人に渡せるわけがない。


 リフは私に半ば強引に抱きしめられても、決して暴れることはなかった。むしろ途端に頬に擦り寄り、気遣うような心配するなというような様子でキュイキュイと小さく鳴き続けていて。

 どうしてリフがあんな行動をしたのかはわからないままだけど、それでもリフは私の知るリフのままだってわかって安心する。それなら……異変を察知して、守ろうとしてくれたんだって勝手に解釈しても良いよね?


「……また意地悪をするの?」


 と、隠すようにリフを抱きしめた私にアナスタシア王女が小さく呟く。

 窺うように視線をやると、アナスタシア王女は僅かに眉を下げて私をじっと見ていた。


「もしかして、わたくしがその子を怖がらせてしまったように見えたのかしら? もしそうなら誤解だわ」

「…………」

「ちゃんと大事にするわ。だから、わたくしに――」

「――渡しません」


 訳がわからない。意味がわからない。

 アクアリアを崖から突き落とすより以前の言動から、彼女も私と同じなんじゃないかって少しはわかったつもりだったけど、結局つもりにしか過ぎなかったみたい。


「貴方にリフは、この子は渡しません。渡せません!」


 でも、それなら尚の事。従う必要も理由も、私にはこれっぽっちだってない。


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