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 アルマン陛下からの歓迎は、私にとって思いもよらない事だった。

 だからこそ驚き呆けてしまって、それでもすぐに我に返って慌てて深々と頭を下げる。


「ご挨拶が遅れてしまった無礼をお許し下さい……! 私はリリィ・クーリエと申します。既に文書はお目通し頂いていることと思いますが、辺境よりレインディル・クーリエの代理として馳せ参じました」

「うむ、事の次第は把握しておる。だから、顔をお上げなさい。そう固くならなくても良い、此処には儂とそなたらしかおらぬのでな」


 確かにこの場には王妃様も、本来いるはずの宰相閣下といった人達の姿もない。騎士達も扉の外――廊下側に残ったままで、少なくとも私がわかる範囲では陛下とテオと、私達しかいないようだった。

 それに加えてとても優しい声音で促されたものだから、ちらりと窺うように僅かに顔を上げると、微笑みを浮かべたアルマン陛下と目があった。

 陛下は満足そうに頷くと、


「テオドール、お前も楽にしなさい」


 ちら、とテオを見た。その視線と言葉に、テオが僅かに目を丸くする。


「ですが、陛下……」

「儂の都合でこのような場しか設けられなかったというだけで、今は私的な時間と思ってくれて構わん。……もちろん、彼女達の事は賓客として迎えるつもりではあるがな」

「……それを聞いて安心しました、父上」


 ふ、と小さく笑ったテオに、陛下は慈しむような笑みを浮かべた。それから改めて視線が向けられる。


「さて、先も申したがこの場には他の者達はおらぬ。そしてレインディル殿から概ねの事情は聞いておる。その上でリリィ嬢、そなたの顔と風竜の仔を拝ませてはくれぬか?」


 口調からは決して威厳は失われることなく、けれども柔らかな声音で言われて私は反応に少し困ってしまう。


 アルマン陛下はこのスィエル王国の国王だ。

 そうであるのだから、陛下は当然フェルメニア王国の国王夫婦――アクアリアの両親を知っている。それにこの国にいまアナスタシアが来訪しているのだから、その顔は既に見ていることだろう。

 私が覚えている限りでは、私はアルマン陛下にお会いしたことはない。でもアナスタシアとは姉妹であり、両親を知る陛下ならば私が何者なのかを考えないとは言い切れない。

 レイン兄から事情は聞いているとは言うけれど、それはどこまでかは分からない。私がリフと共に此処に来た事までなのか、私自身の事情までなのか。後者だとしたらそれはレイン兄が心から信頼している証拠なのだから、私も全幅の信頼を寄せてもいいのだろうけれど。

 どうしよう、と縋る様にカノンを仰ぎ見ると、視線に気付いたカノンが小さく微笑みながら頷いた。……大丈夫、って言っている気がする。

 普段は嘘か本当かわからないことも言うけれど、それでも幻獣である彼の直感は概ね正しく働く。だから、アルマン陛下のことも信頼して良いのだろう。……もしかしたら直感だけじゃないのかもしれないけど。


 私は意を決してフードを下ろす――前にぴょこりとリフが顔を出した。


「キュ?」


 きょとんとした様子で辺りを見渡し、それからアルマン陛下を見たリフは、首を傾げた。


「キューゥ?」

「おや、話に聞くよりもずっと愛らしい仔竜だ。それに……」


 リフを見て嬉しそうに破顔したアルマン陛下は、真っ直ぐにに私を見据える。その顔には驚きはなく、ただただ慈しむような親愛の色が浮かんでいて。


「レインディル殿とシェルフォード殿らの愛情を受けて育ったのだな、良き顔をしておる」

「え、えっと……」


 どうしよう、真正面から、しかもレイン兄とシル姉のことまで褒められるような言葉を掛けられると反応に困る。

 内心であたふたしていると、


「そうでしょうとも。リリィ、それにリフと、レイン達と共にいる彼らの愛息子は、俺達にとっても自慢の子ですから」


 隣りに立つカノンが誇らしげにそう答えた。

 途端、陛下は嬉しそうに、楽しそうに笑い声を零した。


「そうかそうか。天狼殿らにとっても寵児であったか」

「カノン・セレスティアルです。お気づきの通り、俺は若輩の身、天狼殿とではなくどうぞ名でお呼びください、スィエルの国王陛下」


 と、カノンが丁寧に頭を下げる。

 その所作は私が見ても行き届いていて様になっていて、誠心誠意の対応であることは私にもわかった。

 アルマン陛下はそんなカノンを見て笑みを浮かべたまま、


「では、ありがたくカノン殿とお呼びしよう。しかし年若き天狼であろうとは推測したが、決して若輩とは思ってはおらぬぞ? そなたは天狼としての覇気を常に隠し、凡人を装っておるだけであろうに」


 悪戯っ子のようにそんな事を言った。カノンは一瞬きょとんとした顔を浮かべて、眉を下げて笑う。


「覇気なんてものを纏っていては動物たちさえも避けられ、要らない畏怖と敬意を払われるだけで邪魔なだけ。必要なときに必要なだけ相手に与えれば十分です」

「はは、儂には出来ぬ在り方だな」

「案外やってみると膿を取り除けるかもしれませんよ?」

「ふむ。なるほどな?」


 ……なんだか気が合ってる、っぽい?

 妙に和気あいあいと言葉を交わすカノンとアルマン陛下に困惑しながら横目でテオを見ると、テオは僅かに肩を竦めて声を少しだけ張って割って入った。


「父上、お時間の都合もあるでしょうからそこまでしてはいただけませんか?」

「おお、そうだな」


 少しだけハッとしたようにテオを見て、アルマン陛下は一つ間を置いてから改めてといった様子で口を開いた。


「リリィ嬢とカノン殿も存じておるだろうが、今我が国の第一王子と第一王女は〈黒鱗病(こくりんびょう)〉と名付けた病に苛まれ、或いは呪いを掛けられておる。その詳細は原因や元凶を含め、未だ不明だ。如何なる魔法も如何なる薬も効果が望めず、現状では一切の打つ手がない。……だからこそ、竜の存在と〈竜巫女〉に対して一縷(いちる)の希望と望みを託したわけだが」

「はい。陛下も既にご存知でしょうが、私は伝承に描かれるような〈竜巫女〉なる存在ではございません。訳あって風竜の子と共に在るだけのただの娘です」

「そのようだな」


 僅かに眉根を下げる陛下に申し訳なさを抱くけど、それでも私はそんなたいそれた存在では決してない。私にはこの国の王子と王女を救う手立てなんて、逆立ちしたとしても持ち合わせてはいないのだ。

 じっと見つめる先で、アルマン陛下は一つ息を吐く。


「だが、噂を頼りにテオドールを送り出したことは決して無駄ではなかった。レインディル殿からの助けとして、そなたらを招くことが出来たのだからな」

「……どうやら隣国のお姫様に相当手を焼いているようですね?」


 カノンの問いを受けて陛下の顔が苦々しく歪み、それを隠しもせずに頷いた。


「フェルメニアの第一王女の来訪は、先触れのない非公式なものだった。だが〈黒鱗病〉についてを言い当てられ、〈竜巫女〉を名乗られては追い返す事も出来なくてな……」

「竜に怒りを万が一にも買ってしまったら、という懸念からですね」

「ああ。だが今となれば追い返さぬ事こそ、フェルメニアに問い質す事をせんかった事こそ過ちであったのだ」


 はあ、と吐き出された息は重々しく、陛下の顔は心底思い悩むようなもので。そんな陛下を黙って見つめるテオもまた、疲れたような顔を浮かべていた。

 どうして二人がそんな顔を浮かべているのか、考え至るより先に、


「フェルメニアの王女はいまレーべリック王立学院に籍を置き、自ら〈竜巫女〉であると公言、吹聴し、思うままに振る舞う日々を送っておるのだ」


 陛下の言葉に、理解が追い付かなかった。むしろ、理解できなかった。


「――は?」


 喉から絞り出せたのは困惑しきったその一文字だけ。

 けれども陛下はフェルメニアの第一王女――アナスタシア(姉さん)の現状を口にしただけで疲れきったように項垂れ、それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。


 は? え? どういうこと?

 そもそもスィエルには非公式で訪問して半ば強引に迎えてもらっているのに、王立学院にまで通っているって? そんなこと……!


「到底許される振る舞いとは思えませんが、咎める者はいなくとも止める者はいなかったのですか?」


 到底許されるものじゃない。

 常識的に考えても有り得ていい事じゃないし、受け入れられるべくもない振る舞いだ。でも陛下の様子を見るに、姉さんの行為は結果として許され受け入れられてしまっている。

 ただそれ自体は仕方のない事だとは思う。


 ――だって竜の逆鱗には決して触れてはいけないのだから。


 〈竜巫女〉について知らなくたって前世では考えられなくたって、この世界の竜は神聖なる存在であり強大な存在で、彼らが本気で力を振るえば人の国など容易く滅ぼせるのだから。

 それは伝説でも噂でもなんでもない、紛れもない事実なのだ。

 そして何よりも、この世界の神さまは竜だと言われている。

 そうであるのだから〈竜巫女〉と名乗る人間の願いは、きっと反する事はできない。


「咎めるとまではいかずとも、窘める者はいまなお存在はする。だが〈竜巫女〉は深く根付いた伝承だ、個としてならまだしも国としては軽んじられるわけもない」

「アナスタシア王女は治癒の力を惜しみなく行使した。まるでひけらかすようではあったが、それでも奇跡と呼ぶには相応しかった。それによって救われた者は、まあ当たり前ではあるんだが等しく〈竜巫女〉と崇拝、そうと呼ばずとも聖女や御子と心酔するものだから……」

「止めようがない状態になってしまった、と……わざとだろうがそうじゃなかろうが性質(たち)の悪いお姫様だな」

「…………」


 頭が痛いし目眩がする。

 もうアナスタシア王女は私の知る姉さんではないという事実が、私を突き落とした時の恍惚の表情を思い出させて体が不調を訴え始めているのが分かる。

 これでは他所様へ迷惑を掛けているどころの騒ぎじゃない。


 額を押さえてため息を零すと、リフが心配そうに頬に擦り寄ってきた。良い子だ。ささくれ立ち始めていた心がじんわりと癒される感覚がある。


 けれども僅かな癒しを得た私を、テオと陛下の言葉が更に突き落とした。


「おまけにアナスタシア王女はリュシー、――リュシアンの事を篭絡していてな」

「はて、ティートからはお前にも擦り寄っておったとの報告を受けたが」

「……父上、現実から逃避したいからといって意地の悪い言い方をなさらないでください。正しくは俺とジェド、それにティートやリュシーの取り巻きどもにも、です。リディもあれやこれや言われたようですが……それは別としても、まんまと陥落したのはリュシーたちだけですけどね」


 ……単純に人としての疑問なんだけど、何をどうしたらそんな非常識の振る舞いが出来るんだろうか。



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