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「それじゃあ、そろそろ私たちは行くね」
ちらりと目を遣ると、テオとアルノーさんはもうコーヒーに手を付けるつもりはないように見えて、私はアレンにそう切り出した。
リフをそっと抱き上げて見上げると、アレンは小さく頷き、
「ああ、事情は手紙に書いてあったから把握している。王都に行くんだろう? 気をつけて行ってこい」
そう言ってふっと微笑んだアレンは、つい、と視線を移す。
目を向けた先は、言うまでもなくテオとアルノーさんだ。改めて向き直られた二人は僅かに不思議そうな表情を浮かべている。
そんな彼らにアレンは姿勢を正し、右手は後ろに回し、左手を前にして胸に手を当てて綺麗な礼をしてみせた。
「王子殿下と騎士様も、お気を付けて」
「気付いて……、いやそれも手紙に書かれていたのか」
「確かに書かれてはいたが、書かれていなくともその顔を見ればわかるやつにはわかるさ。まあ、言うまでもないだろうがもろもろ他言はしないから安心してくれ。商売は信用で成り立つんでな」
少しだけ驚いた様子のテオに、頭を上げたアレンは肩を竦めながら言う。
その口調はテオが王子とわかっていて、礼儀を示してもなお砕けている。それは、テオが決して権力を笠に着ることがなかったからなのだと思う。
というか、アレンがテオとアルノーさんについて察していたこと自体に驚きはないんだけど、え、わかるのか? わかる人にはわかるのか!? いや、それはつまりわからなくてもおかしくないってことだよね? そうなんだよね? わからなかった私はおかしくない、うん。そのはず。誰かそうだと言ってほしい。
「あっくんの場合とは違うけど、テオくんはあの子によく似ているからなあ。精霊でも竜でも、幻獣でも、わかる子はわかるよ。ひと目であの子の縁者――スィエル王家の子だって」
と、付け足すように言ったレナは丁度パンケーキを綺麗に完食し、ミルクも飲み干したところだった。
「え、レナも気づいてたの?」
「そりゃあ、これでもこの中では一番お姉さんだし、何より私は外を回ることが多いからね。名前はそこまでの興味と関心がないから知らなかったけど、それでもあの子――セイに似ているのならば、わからないはずがない。そうじゃなくても、スィエルの王家は精霊にとって気に掛けるに値する存在だよ? だからといって流石に無条件で加護を与えるとかにはならないけれど」
と、レナは笑って代金をカウンターに置くと椅子から飛び降りるようにして立った。
ごちそうさま、とアレンへと声を掛ける彼女の右手にはアレンへの手紙に同封されていたレナ宛の手紙が握られている。それを丁寧にたたんでポケットに入れたレナは、未だ椅子に腰掛ける私をまあるい目で見上げた。
「リリー、町の入り口まで私も一緒に行っていい?」
「いいけど……もしかしてまた遠くまで?」
本人も言っていた通りだけれど、レナは生まれ故郷である山中から出て外を歩き回っていることが多い。この辺りが変人と言われる所以なのだけれど、ごくごく一般的な人間の物差しで言えばそれほどおかしくもない。いつか他の場所を旅してみたいって気持ちは、安全な移動手段さえあれば誰だって思うことだろうし。ただ基本的に精霊はそうした感情は持たない、というよりも人より優れた能力によって簡単に様々な場所を日帰りでだって回れるから、あえて生まれ故郷から夜を明かすほど離れることはほとんどなくて。そんなことを好き好んでするレナは、仲間内ではすごく変わっているのだと思う。
まあ、ほとんどない、というだけで精霊の中には人間と共に在るために人里で暮らすことを選ぶ子達もいる。ゲームだとかの中で言うところの契約や、さっきレナも口にしていた加護だ。わりと一途なのだという精霊たちは、気に入った相手になら助力を惜しまず人智の超えた力を貸し与える。その人間が世間一般的に悪と言われるような人だとしても、彼らにとっては大した問題じゃなくて、ずっと傍らに在ろうとするのだ。
ただ、繰り返すけどそもそも外に出る精霊は少ない。言ってしまえば契約だとか加護を与えようって思った精霊たちは何らかの事件に巻き込まれた子達がほとんどで、わざわざ人里でそうした存在を探そうだなんて事は考えもしない。そのくらい、人間たちとの接触は好んでされてはいないのである。
さて、その例外を行くレナはといえば、私の問いにふるふるとゆるく首を横に振って口を開いた。
「ううん、しばらくは遠出はしないよ。レイ兄が戻ってきてほしいって」
「そうなの? それならしばらくゆっくりしているのね。叶うならいろいろなおみやげ話を聞きたかったけど……」
「それはリリーが帰ってきたらね。それまではレイ兄に何を言われても遠出はしないつもりだから」
そう言いながらレナはにっこりと笑って、アレンにまた食べに来るね、とだけ言い残して、店を出て行く。
すると、腕の中で大人しくしていたリフが一声鳴き声を上げた。どうやらレナを追いかけたいらしい。
人間には人の姿をされると相手が本当に人間なのか、それとも異種族なのかの判別はしにくいのだけれど、竜であるリフにはレナが精霊であるとわかるらしく、さらに言うなら生まれながらに精霊が竜達にとって友好関係にあるとわかっているのか、リフは初めてレナと顔を合わせた時から懐いている。レナもまた無邪気に懐いてくる子供の竜はかわいいんだろう、目に余るようなイタズラさえしない限りはリフに激甘だ。いけないことをすると理解してくれるまできっちり叱るけど。
それがわかっているから頷いて見せるとリフは嬉しそうに鳴き、開けられない店の入口を代わりに開けばするりと抜け出していった。扉の先に待っていたレナの元へと迷わず向かっていくのが見えた。
「なぁにー、リフ? そういえばテオくんにはひっつかないのー?」
「きゅるるるる」
「お? もうひっついたのか。あはは、そっかそっか、レイ兄にもリリーにも怒られるから、あまりやらないようにって思ってるのね。えらいぞ、リフ」
私もリフの言葉、わかったらなー。ああしてちゃんと会話が出来たらなー。……ないものねだりしても仕方ないってわかってはいるんだけれどね?
レナの周りをくるくる回っては擦り寄るリフと、そんなリフにくすぐったいよ、と言いながらも嬉しそうなレナの姿を見ながら、思わず小さな笑みを零した。
「王族として此処に来ているわけではない、と思っているんでな。この物言いを通させてもらうがテオ、それとアルノーと呼ばせてもらっても?」
店内ではアレンがテオにそう問い掛けている。
視線を遣ると、アルノーさんはとても不満げな表情だったが、テオは嬉しそうに頬を綻ばせて頷いていた。
「ああ、構わない。……だろう? アルノー?」
「……殿下が宜しいと仰るのなら」
「そう嫌そうな顔をしないでくれ、騎士様。時と場合は弁えるさ。……お転婆な友人と、小さな友人をよろしく頼む」
軽く頭を下げながら、アレンは言う。
お転婆だなんて失礼な話ではあるが、私とリフを案じての言葉だということはいくらなんでも分かるから、口を挟むのは今じゃない。
アレンの向ける視線の先、アルノーさんは平時よりも不服げではあったけど、テオは目を丸くして、しっかりと頷いた。
「ああ、もちろん。彼らは俺の客人だからな。……ご馳走様。コーヒー、美味しかった」
「そうか。口に合ったなら何より。今度はこうした形ではなくしっかりとした客としての来店、待ってるよ」
「その時にはアレン殿のオススメを頼むとしよう」
「俺の事はアレンでいい。次も腕によりをかけて振舞わせてもらうから、楽しみにしておけよ」
アレンはふっと顔を緩め、目を細める。そんな彼に、私も声を掛けた。
「レイン兄たちのこと、お願いね」
「それはお前にお願いされるまでもないから安心しろ」
「うんまあ、そんなに心配はしてないけど」
レナも戻るみたいだし、あの子を私が借りても大丈夫であろうくらいには万全ではあるしね。
私の思考まで読んだかのようにふっと吹き出すように笑ったアレンが、だろうよ、と肩を竦め、
「戻ってきたら顔を出せよ、リリィ。イヴも喜ぶ」
「もちろん。その時にはパンケーキ、言う前に準備して振舞ってよね」
「カフェモカもセットでな?」
流石友人、よくわかってる。
奢りとは言っていたけれど、礼儀として三人と一匹分の代金を置いてカウンターの中のアレンに手を振ると、軽く手を上げて応えてくれた姿に満足して背を向けて、開いたままだった喫茶店の扉を潜る。
戯れながら待っていたレナとリフは私が店内から出てくることに気付くと、ぱっとこちらに振り向いた。
「もう良いの?」
「元々、手紙を届けてくれって言われてただけだし、今生の別れとかでもないしね」
「ふふっ、それもそうだね」
「それよりも、問題は王都までの移動手段だよ……」
こっちの方がわりと本気で大問題だ。
思わず顔を顰めていると、レナは目を丸くし、首を傾げた。
「テオくんとルノくんは馬? それとも馬車?」
「……馬に乗ってきたみたい」
「じゃあテオくんかルノくんの馬に乗せて貰えばいいんじゃない?」
「やっぱそうなるかー……」
普通に考えたらそうなるもんね、知ってた。それに今の私は十四歳の子供であるし、ただの田舎の小娘なんだ。丁重な扱いをしてもらいたい訳ではないし。
ただ、そう。ただ、ね? こう、さ?
「心情的なもの、心情的なものを察して欲しいわけですよ、私としては」
「貴女が年頃の女の子だってことは私だってわかってはいるけど、仮にカノンが此処にいて、最初から一緒に王都に向かうってことになったとしても、狼姿のあの子に乗せてもらうのだって嫌がるでしょ?」
首を傾げたまま、真っ直ぐな視線を受け止めながら、うぐ、と言葉を詰まらせる。
「…………それは、まあ」
「此処から同行してくれるわけじゃないリュミィに運んでもらうわけにもいかないし……リフが成竜なら抵抗感はなかっただろうけど、無茶な話だしねえ」
「……わかってますとも?」
「わかっているなら諦めなさい、リリィ。抵抗し続けるより開き直って受け入れたほうが、心にとっても良いはずだわ」
「こういう時は絶対レナはお姉ちゃんになるー!」
別に普段は演じているわけでも猫被っているとか二面性があるとかでもないんだけど、不意にレナは普段の無邪気な振る舞いから一転して長い年月を生きている存在としての顔を見せることがある。
それはレイン兄やシル姉もそうなんだけど。レナの場合は普段が外見からそう掛け離れることのない振る舞いをしているから、その違いは顕著だ。
すると、レナはにっこりと笑って言った。
「当たり前でしょう? 私はリリーとレンのお姉ちゃんなんだもの」
「知ってますー!」
レナは私にとって確かにお姉ちゃんだ。それは昔も今も、それにこれからも変わらない。絶対に、である。
項垂れる私と対照的にレナは満足げな顔だ。おのれ嬉しそうにしおって。と心の内で毒づいてると、気遣わしげにリフが擦り寄ってきた。
リフ、良い子。私は嫌な子。ごめんお姉ちゃん。
「それにしても、テオくんも凄い事するね。こんな国の端っこまで〈竜巫女〉を探しに来るだなんて。いくら特異体質だって言ったって、普通はそんな無茶しないでしょう?」
ぱっとテオを見上げてレナはそう問いかける。
どうやらレイン兄からの手紙には私が把握している情報の殆どが記されていたらしい。それをテオも理解しているらしく、何故とは問い返すことなく困ったように眉を下げた笑みを浮かべた。
「それはレイン達にも言われたな。レナ嬢も俺の行動を咎めるか?」
「あ、レナで大丈夫だよ、私もテオくんって呼んでるし。それと別に咎めはしないかなあ、むしろ困った子だなあって気持ち。あとは仕方ない子だなって思いもするけど」
まるで小さな子供のことを見守っているかのような口振りに、案の定アルノーさんの眉間の皺が深くなったけど、何も言う事はなかった。テオに鋭く制されるのを嫌がったのか、レナの機嫌を損ねることを嫌がったのかはわからないけれど。
レナは、というより精霊は竜への奉仕種族ではあるけれど、当然それだけの存在じゃない。
大自然から生まれ出る彼らは生まれ落ちた瞬間から、彼らにとっての母なる力を自在に操る力を持つ。例えば熱砂から生まれた精霊は熱や炎を自在に操るし、湖や川から生まれれば水を自在に操る。
人間でも魔法を使えるような世界だけど、精霊にだって竜ほどじゃないにせよ、普通の人間を歯牙にも掛からない程度には容易く退けることができる。ましてレナのように人と変わらない姿を保てる精霊は強い力を持っているから尚の事、というのはこの世界の人間であればみんな知っていることだ。
だから、多分レナもやる気になればこの辺一帯くらいは片手間でだってどうにか出来るんだと思う。多分。きっと。
やたらと曖昧すぎる? いやだってレナってば怒った事ってほとんどないもん。正確には喜怒哀楽ははっきりしてるから怒ることはあっても、司る属性を駆使して暴れるとかそういった姿は一度だって見たことがない。
そんなわけなので、レナが何を司る精霊なのかも私は知らないんだよねぇ。聞いても内緒だってはぐらかされるし、レイン兄もシル姉も教えてくれないし。グレン兄も私と同じように知らないみたいだけど、知る必要があれば教えてくれるだろって気にした様子もないし。私自身もそう思うから知ろうと躍起になることはないんだけどね。
レナはレナ。どんな精霊だとしても、それによって何が出来たとしても、小さな頃からずっと私のお姉ちゃんでいてくれた、風変わりだけど大好きな家族なんだって、それがわかっていればいいと思うわけですよ、私はね。
「キミの置かれていた状況を思えば、じっとしていられなかったって気持ちはわかるからね。多分レイ兄もそう。けどあのひとは心配性だから、キミが王族じゃなくたって危ないことしてーって眉を釣り上げてたはずだよ」
「確かに、そのようなことをシルも言っていたな」
「そのシルも大概なんだけどね。ふふ、キミはとっても運がいいよ。そしてそれは、キミがキミであるからこその幸運だ」
両手を後ろ手で組んで、レナはテオを見上げながら笑う。
「キミならあの子とも仲良くなれそうで安心した。少しだけ困ったところのある天狼ではあるけど、悪い子じゃないから嫌わないであげてね」
「元より無礼な真似をするつもりはないが、仲良くは……どうだろうな」
「みんな重く考えすぎなんだよねえ。別に嫌だからって天災レベルで暴れたりなんてしないのに、無駄にご機嫌うかがいしてくるんだから。だから、平気よ。あの子だってリリーとリフを傷つける真似さえしなければ、突然襲いかかったりしないわ」
どこか楽しそうにいうレナの言葉に、私は首を傾げる。
そう簡単に暴れないってことを、否定しようってわけじゃなくて、そのあとに続いた言葉についてだ。
「ものすっごく怒るとしたら、レナに何かあった時じゃない?」
「残念ながら、リリーたちに何かあっても怒りまーす。天狼は愛情深いんだからね? 家族を傷付けられて怒らないわけないでしょ、しかもリリーは普通の人間なんだし」
私達がえいってやるだけでも倒れちゃうんだからー、とレナが飛び付いてくる。うーん、言動と行動が一致していない。でも事実だ。悲しいかな、私に魔物戦えるだけの実力はない。それは多くの人間がそうだから決して珍しいことでもないけど。
ぎゅーっと抱きついて、私もついていけたらよかったのになー、だなんて言ってくれるレナを抱き締め返しながら、ありがとう、と答えると、レナはぱっと離れて少しだけ心配そうな顔をしながらも無理はしないようにね、とだけ言った。
そんなに心配しないで欲しいなー、ありがたいけどね。
なんて思いながら見ていると私から離れたレナは、厩舎のある方へとぱたぱたと小走りで駆けていく。さらにリフが泳ぐように飛んで追い掛けていくのを見送ってから、テオとアルノーさんを振り返ると、テオは喫茶店の方をじっと見ていた。
「殿下? 如何なさいました?」
私が声を掛けるより先に口を開いたアルノーさんが問いかけると、テオは目を伏せ、いや、と首を横に振った。
「アレンについて、少し、な」
「……? アレンがどうかしたの?」
重ねるように尋ねると、テオは私を見て僅かに眉を下げる。
「彼の顔を何処かで見掛けたような気がしただけだ。賊という訳でもないと思うんだが……いや、さすがにそれなら思い出せるだろう。気にしないでくれ」
「……そう?」
待たせてすまないな、と歩き出したテオをアルノーさんは迷うことなく追い掛ける。私はその二つの背を見て、喫茶店を一度見てから、前方から早く早くと呼ぶレナの声に地面を蹴った。
アレンの顔を何処かで見たことがある、か。別にアレンだってこの町から離れることだってあるし、イシュルテに定住するまでは彼にとっての師匠に当たる錬金術士と一緒に各地を点々としていたそうだから、有り得ない話ではない。そもそもイヴのことをも連れての旅は厳しかろう、という理由での定住だったようだし。
だから、きっと何処かで見掛けたことがあるんだろう――この国の中でなのか、外でなのかはわからないけれど。
大変間隔が空いてしまい申し訳ありません。
勝手ではありますが、よろしければ今後ものんびりとお付き合い頂けましたら幸いです。




