9話 初めてのダンジョン
それは日本初のダンジョンが発見された直後の事。
未知の生物に怯える市民からの要請を受けた日本政府は、自衛隊の特殊部隊を動員して、事態の収拾にあたった。
だが、その結果は政府の予想に反して、1匹のモンスターも倒せずに撤退する、という無残な物であった。
その後の研究により分かったことが2つある。
1つ目は、ダンジョンで発見された物以外では、ダンジョンの内部に居るモンスターに傷を負わせることが出来ないということ。
当時最新鋭の武器を装備した特殊部隊が、1階すら攻略出来なかった理由である。
たとえ核爆弾を打ち込もうとも、無傷で耐え切るのだ。
2つ目は、突入した人数によって、出てくる敵の数が違うということ。
大勢で突撃すれば、大勢のモンスターが、少数で突撃すれば、少数のモンスターと出会うことになる。
わかり易く言えば、人数によってダンジョンの難易度が上がる、そういう仕組みらしい。
そんな一般常識とも言える最低限の知識を披露した美雪が、その平らな胸を張りながら、頬をぷくーっと膨らませた。
「私も行くから!!
いいよね、お兄ちゃん?」
「はい……。もちろんでございます」
無論、断れる状況ではなかった。
どうやら美雪もダンジョンについて調べていたらしく、お兄ちゃんと一緒に、ダンジョンへ行こうと考えていたようだ。
史記としては美雪を危険な場所に連れて行きたくは無いのだが、言葉でも知識でも勝てない現状において、美雪を説得できるとは思えなかった。
床に転がる金属バットのせいで、どんな言葉を取り繕うとも言い訳の範囲を超えることが無いのだ。
そんな敗北の象徴とも言える金属バットを玄関の傘立てに返してから自分の部屋に戻り、待つこと数分。
「準備終わったよー」
可愛らしいジャージに身を包んだ美雪が、史記の部屋に乗り込んできた。
無論、そこにノックなどの合図は存在しない。
たとえ兄が着替え中だったとしても、叫び声をあげるのは妹であり、その責任は兄にある。
世の中には平等など存在しないようだ。
「了解。それじゃ、乗り込むとしますか」
「うん!!」
そして兄妹は、ダンジョンへと赴く。
自分から同行すると宣言した美雪だったが、いざダンジョンへ向かうとなれば緊張が隠しきれないようで、その顔色は徐々に青ざめていった。
自分の部屋に出来た知らない階段。
この先に続くのは、命の危険がある未知の空間。
そのような物を前にして、怯えを感じない方が異常だろう。
体を乗り出して内部を覗き込む史記の顔にも、不安の色が浮かんでいた。
だが、1人じゃ怖くて無理でも、2人なら不可能では無くなる。
「……行くぞ?」
「うん……」
意を決して、史記がその一歩を踏み出した。
繋ぎ目の無い石の階段を1歩1歩確かめるように下って行く。
幅は史記が両手を伸ばしたほどで、天井も手を伸ばせば届くほどの高さしかない。
現代の日本では、中々お目にかかれない狭さである。
だが、階段自体はどことなく圧迫感を覚える作りだったが、行く先には幻想的な光景が広がっていた。
地上の光が届かない地下空間に、淡い光が降り注いでいたのである。
どうやら天井に発光装置が取り付けられているのではなく、天井自体が光っているようだ。
「…………」
吸い寄せられるようにして光る天井に手を伸ばした史記だったが、その手に伝わる感触はひんやりとした石のそれだった。
太陽光や蛍光灯、LED電球のような温かさは感じない。
それならばと、天井の表面に爪をたててガリガリとひっかいてみたが、蛍光塗料のような物が取れることも無かった。
そんな謎の天井と格闘して不思議そうに眺めていた史記に対し、美雪から呆れたような声が飛ぶ。
「ダンジョンの壁って、魔力が籠ってるから光るんだって。
どこのダンジョンでも入口はそうなってるって情報、あったよね、お兄ちゃん?」
「…………あ、はい。
もちろん、存じ上げております」
またしても地雷を踏んだらしい。
明らかに狼狽している兄を眺めた美雪が、『ほんと、お兄ちゃんは、お兄ちゃんなんだから‼』と酷評したものの、それ以上の追撃はなかった。
(美雪を刺激しないように、おとなしくして居よう)
そう心に誓った史記が、震える妹の手を引いて、無機質な石の階段をゆっくりと下りて行く。