2-34話 危機一髪
「……ってことは、なにか? 俺、もうちょっとで、ペールのナイフで切られて、ルメ達の炎を全身に浴びるとこだったのか?」
「うん。ユキが気付かなかったら、危なかったんだよ??」
「おぉぅ。まじかよ……」
ゆっくりと消されていく狐火を眺めながら、事の顛末を聞いた史記が、額に冷や汗を浮かべた。
そんな史記の隣で、美雪が嬉しそうに笑っている。
「ってか、美雪はどうしてわかったんだ?? 俺の姿は見えてなかったんだろ?」
「んゅ?? んーっとね。なんとなく、お兄ちゃんだなー、って……。
そう! オーラ!! お兄ちゃんオーラをビビビー、って感じたんだよ!!」
キラキラと目を輝かせた美雪が、無い胸を張った。
どうやら美雪様には、お兄ちゃんの気配を感じるレーダーが搭載されているらしい。
「あっ、うん。……それはどうも、ありがとうございます」
ちなみに史記にも、かわいい妹の気配を感じる機能が標準装備されていたりする。
そうして美しい兄妹愛を確かめ合う2人を他所に、柚希の要請を受けたペールが、樹齢何千年の大木に足をかけていた。
「行ってくるです」
「うん。お願いね」
頭上を見上げたペールが、二本のナイフを駆使して、足場の少ない幹を器用に登っていく。
時折吹き抜ける風に、スカートがひらひらと舞っているものの、真下には柚希しか居ないため、気にする必要はなかった。
「ペールちゃん、その辺でいいんじゃないかな?」
「はいなのです」
柚希の合図で木登りを終えたペールが、太い枝に跨り、史記から貰った糸を手の中に出現させる。
1本、2本と、下に居る柚希にも手伝って貰いながら、地面に届きそうなほどの大きな輪を何本も作っていった。
「このくらいでいいのですか?」
「ん~、たぶん大丈夫なんじゃないかな? 高さはちょうどいいと思うよ?」
目線の高さで揺れる糸の輪をぎゅ、ぎゅ、と引っ張ってみる。
手に伝わってきた感触としては、なかなかに頼もしく思えた。
「一度、下に降りるのですよ」
「うん。気を付けてね」
真下に居た柚希が少しだけ離れ、糸を握ったペールが、しゅるしゅると地面へと降下する。
スカートが少しだけ捲れ上がり、露になった太ももに、史記の視線が飛んでくるが、いつものことなので気にしない。
もし抗議したとしても、『ナイスふともも!!』と良い笑顔で返されるだけである。
「ただいまなのです」
「お疲れ様。……吊るせそう??」
スカートを直しながら糸へと手を伸ばしたペールが、満足そうにうなずいて見せる。
「大丈夫なのですよ」
ニッコリと微笑んだペールが、何重にも巻かれた糸に手をかざし、ゆっくりと目を閉じた。
そして、大きく息を吸い込む。
「出るです!!」
気合の声と共に、ペールがグッと目を見開いた。
ピン、と伸ばされた指先から神々しい光が周囲へと溢れ出し、ゆっくりと周囲を支配していく。
手の中だけだったその光が、上下左右に四角く伸びてゆき、やがてはペールの全身を超える大きさの壁になった。
「んーーー!!」
額に大粒の汗を浮かべながら、ペールが苦しそうな声を漏らす。
「んぁぁぁーーーー!!」
光の壁が一段と強さを増し、目を覆うような光を放ったかと思えば、その中から、ごつごつとした岩肌と滑らかなくちばしが姿を見せた。
先ほど彼女達が力を合わせて倒した岩鳥である。
ゆっくりと、着実に光の中から岩鳥が押し出され、糸の輪の中へと納まっていく。
そして、尻尾まで出し切ったことを確認したペールが、光の壁を消滅させて、その場でペタンと座り込んだ。
「ペールちゃん!?」
声を上げて走ってきた柚希が、ペールの傍らに寄り添い、背中を抱き抱えた。
「っぁ、……はぁ、はぁ……、ちょっと疲れたのですよ。
ペールも美雪様と一緒に、魔法の練習をしなきゃダメなのです」
全身汗だくになりながらも、にっこりと微笑んだペールの顔には、満足そうな色が浮かんでいた。
そんなペールの様子に、ほっ、と安堵の息を吐き出した柚希が、彼女の髪に手を伸ばす。
「お疲れ様。美雪ちゃんの時もそうだったけど、魔法って万能じゃないんだね」
「はいなのです。でも、このくらい朝飯前に出来ないと、良いお嫁さんにはなれないのですよ」
「……お嫁さん??」
「ですです。収納上手は良い奥さんなのですよ」
自分の数倍はある岩鳥を体内に収納していた巨乳美少女が、そんな言葉を真顔で言って見せた。
スライムの花嫁は、収納魔法が必須条件らしい。
確かに、こんな能力があれば、日々の買い物も楽に違いない。
フライパンや掃除機どころか、冷蔵庫や洗濯機を常に持ち歩く、パーフェクトな主婦になれるだろう。
「お嫁さん、かぁ……」
そう小さく呟いた柚希が、ふと、後ろを流し見た。
そこには、こちらに向かって歩いてくる史記の姿がある。
「お嫁さん……」
顔を赤く染めた柚希が、慌てた様子で岩鳥のほうへと向き直る。
そんなマスターの姿をニマニマと眺めていたペールが、柚希の胸元に光るネックレスへと手を伸ばした。
「ちょっとシャワーを浴びてくるですよ」
そんな言葉を残して、ペールがネックレスの中へと消えていく。
「え? え?? シャワー???」
突然消えたペールのぬくもりに戸惑う柚希の隣に、史記が作り出す影が落ちる。
だが、その瞳は、吊るされた岩鳥をまっすぐに見つめていた。
「さすが柚希。これなら、血抜きも解体も楽に出来そうだな。……ん? ペールは?」
「あ、えーっと、シャワー浴びるって、ネックレスの中に帰っちゃった」
「シャワー? え、なに、そのネックレス、そんな機能まで付いてんの?? 意外に快適空間だな」
「そうだといいね。……えっと、解体はルメちゃんに教えてもらいながらするんだよね? 私呼んでくるよ」
史記の返答を待たずに、柚希がルメを探して走り出した。
背後からは『お、おう』などと戸惑う史記の声が届けられるものの、聞こえなかったふりである。
胸元から『マスターはダメダメです』などと言う声が聞こえた気がしたが、気のせいだと思う。