2-34話 一難去って
「美雪ちゃん!!」
ほっ、と一息入れた美雪の耳に、焦りをにじませた柚希の声が飛び込んでくる。
ふらふらする頭を必死に動かし、後ろを振り向けば、泣きそうな顔で走る柚希やペール、ルメ達の姿が見えた。
「……来てくれたんだ」
そこに居る誰しもが、自分達のために、走ってくれていた。
そんな親友の姿を視界に入れた美雪が、おなかにぎゅっと力を入れて胸を張る。
揺れる視界を気力で支えながら、大きく手を振った。
「もう、倒しちゃったよー」
そんな言葉とともにニッコリと微笑んで見せる。
美雪の後ろでは、穴に落ちた岩鳥が、必死に這い上がろうともがいているものの、その大きな体が邪魔して、出られそうもない。
敵は無力化されており、人的被害はゼロ。
鳥居が若干綻びたものの、完全勝利と言っても過言ではない結果だった。
「狐ちゃん達に怪我なし!!」
それがなによりも嬉しかった。
走りこんできた柚希が、えへへー、と笑う美雪を抱きしめる。
「体調は? 魔法、使ったんでしょ??」
「ん~、ちょっとだけふらふらするけど、大丈夫だよ?」
少しばかりの疲れが浮かんでいるものの、目に見える怪我は無かった。
本人の言葉通り、本当に大丈夫なのだろう。
普段通りに笑って見せる美雪の様子に、ほっ、と安堵の息を吐きだした柚希が、両手にぎゅっと力を込める。
「ゆずちゃん、くるしいよ……」
「ふふ……、もうちょっとだけ……」
「むぎゅ……」
親友の無事を全身で感じながら、声を震わせる柚希の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
そうして抱きしめ合う乙女達の横を傍らで見守っていたペールが、彼女達のそばを通り過ぎていく。
「あとは任せるですよ」
美雪達をかばうように前へと抜け出たペールが、両手に持つナイフを手の中へと消しながら、落とし穴の中を覗き込んだ。
そして、普段通りのふわりとした視線を岩鳥へと向ける。
「鳥さんにお話しする意思はあるですか? 仲間と一緒に階段から退いて欲し――」
「ギュォーーーン」
そんなペールの問いを遮るように、殺意が混じる瞳と、威嚇の叫び声が返された。
「そちらの要求も聞くですよ?」
「ォーーーン」
いくら問いかけても、敵意が消えることはない。
ルメという前例があったために、呼びかけてみたのだが、話し合いでの解決は不可能に思えた。
そもそもルメだって、お守りが光るまでは問答無用で襲って来ている。
ルメ達の事は、特殊な例外だったのだろう。
『ペール殿は下がるでござるよ。拙者達の戦力を見せるでござる』
「……はいなのです」
ご主人様からの要請に答えられなかったペールが、しょんぼりと肩を落として、穴の淵から距離をとった。
そんなペールと入れ替わるように、ルメをはじめとした大人の狐達が、岩鳥が閉じ込められている穴の周囲をぐるりと囲む。
『やるでござるーーー!!』
ルメの遠吠えに呼応した狐達が、しっぽをふさふさと揺らし始めた。
鋭い牙の隙間から漏れ出た光が、周囲を赤く照らし、1個、また1個と、手のひらよりも大きな火の玉が、宙に浮かぶ。
何十個もの火の玉が穴の周囲に漂い、肌を刺すような熱気が、遠く離れた美雪達にまで届けられた。
そんな炎達を間近で眺めたルメが「フォン」と一言鳴けば、空中を漂っていた炎が、岩鳥めがけて飛んで行く。
「ギュォー……」
鋼鉄の盾をも溶かす火の玉が、岩の羽いっぱいに張り付き、穴の中を高温に染めていった。
そしてゆっくりと、岩鳥の命の灯を燃やしていく。
「…………」
狐の村に入り込んだ1匹の岩鳥が、静かな眠りについた。
次第に弱くなる炎から目をそらしたペールが、美雪達のもとへと歩み寄る。
その瞳は明らかに落ち込んでいた。
「……ごめんなさいです。説得は無理だったのですよ」
「大丈夫、ペルちゃんが悪いわけじゃないもん。
それに、スーパーに並んだ鶏肉、普通に買ってるし」
自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ美雪が、儚げに微笑んでみせる。
『話し合いで解決出来ないかな?』
かつてそのような言葉を口にしていた少女が、天へと召された岩鳥をまっすぐに見つめていた。
「きっと、お兄ちゃんが、美味しい料理にしてくれるよ」
「……はいなのです」
涙を堪える少女の頭に、美雪の手がポンポンと置かれた。
――その瞬間、
「え?」
鳥居の中央に、新たな渦が出来ていた。
目を大きく見開いたペールが、パンパン、と両膝を叩いて自分に気合を入れる。
(美雪様の次は、ペールの番なのです!!)
そう強く願ったペールが、両手に小さなナイフを出現させた。
「足止めするですよ!!」
新たに出現した結界の裂け目に鋭い視線を向けたペールが、ツインテールを靡かせて、鳥居のもとへと走り出す。
そんな彼女に呼応した狐達が、新たな狐火を宙に浮かべ、周囲が張り詰めた緊張感に包まれていった。
痛いほどの沈黙が辺りを支配し、狐火が燃える音がひと際大きく感じられる。
先頭を陣取ったペールが、両手をクロスさせるようにナイフを構えて、敵の到来を待ち構えた。
そんな最中、
「んゅ? ……お兄ちゃん??」
こてん、と首を傾げた美雪が、そんな言葉をつぶやいた。
次第に広がっていく動揺の中で、鳥居の中央に現れた真っ黒い渦の中から、岩鳥よりもはるかに小さな生き物が背中から落下し、『ぐべっ』と潰れたようなうめき声をあげるのだった。