2-33話 岩鳥の襲来
怯える小狐達を周囲に集めた美雪が、鋭い視線を岩鳥へと向ける。
鳥居を挟んだ向こう側に居る岩鳥は、何もない空間にくちばしを振り下ろし、見えない壁に弾かれていた。
(結界があるから入って来れないんだ……)
ほっ、と安堵の息を吐き出したのもつかの間。
カン、カンカン、カンカンカンと、岩鳥が突くたびに、鳥居がボロボロとほころび、色合いも薄らいでいく。
(壊れそうで危ないって、ルメちゃん、言ってたよね?)
思い起こされるのは、助けてくれと頼んできた時のルメの言葉。
不安そうな目を向ける美雪の前で、なんども、なんども、鋭いクチバシが見えない壁を叩き続ける。
そして不意に、バン、と音が響いたかと思えば、土台の石が弾け飛んだ。
「きゃっ!!」
幸いなことに、砕けた石は誰にも当たることはなく。鳥居も少しだけ傾いた程度で済んでいた。
だが、美雪の中にある焦りは、より一層膨らんでいく。
ここには自分も含めて未熟な魔法使いしか居ない。このまま鳥居が壊されてしまえば、大変なことになるのは誰の目にも明らかだった。
たが、そうは思っても、とっさに出来ることも思い浮かぶばずもなく、ただ呆然と鳥居の無事を祈ることしか出来ない。
それは小狐達も同じだったようで、誰しもが呆然と鳥居の行く末を眺めていた。
そうして、カンカンカン、とクチバシが打ち付けられる音が響く中、不意に1番小さな小狐が、美雪の足へと擦り寄ってくる。
「ふぉぅん」
よたよたと歩みを進め、その小さな体を美雪の足の隙間へと潜り込ませた。
太ももに尻尾を巻き付けながら、泣き出しそうな瞳で美雪の顔を見上げる。
「んゅ?」
そんな小狐の視線を感じた美雪が、くすぐったそうに身を捩り、顔を覗かせる頭をガシっと両手で挟んだ。
視線を合わせて、無理にでも笑ってみせる。
「甘えん坊さんかな? 大丈夫だよ。結界って強いんでしょ?
ん~、けど、一応、少しだけ離れとく?」
「ふぉん」
弱々しく頷いた小狐に、嬉しそうな表情を浮かべた美雪が微笑んでみせた。
守るべき存在が居る。
頼りになる兄も友人も、今は近くに居ない。
ふぅ、と小さく息を吐き出した美結が、パンパンと頬を叩く。
「よし、落ち着いた。
みんなー。鳥居から離れるよー」
「ぉん?」「くぅぅん?」
戸惑いの表示を見せる狐達を手で押しながら、出来るだけ優しげに声を張り上げる。
「お菓子食べに帰ろー」
場違いな声のトーンが、小狐達の注意を引いた。
カン、カンカン。カン、カンカン、というリズミカルな音を聞きながら、小狐達を伴って神社の方へと足を進める。
動揺は見せない様に。出来るだけ平常心で。
「えとえと、そこの尻尾美人さん。先に行って状況を伝えて来てくれないかな?」
「ぉん?? ……クフォッ!!」
状況把握はうまく出来ない。
何が正しいのかも分からない。
そんな状況下でも、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて、小狐達を誘導していった。
(とりあえず、ルメちゃんに報告すれば、なんとかなるよね)
今日まで結界が無事だったのだから、何かしらの対処法があるだろう。
追い払う手段がきっとあるのだろう。
そんな思いで、鳥居から離れ、砂利の上を歩き続ける。
――刹那、周囲から音が消えた。
「えっ……」
弾かれるように振り返れば、そこに見えるのは、大きな黒い渦。
自分達が鳥居をくぐり抜けた時と同じような渦が、鳥居の中央に浮かんでいた。
そして、その中から、巨大な鳥が姿を見せる。
「……うそ」
口の中で呟いた美雪の言葉を否定するかのように、『ギャオーン』という鳴き声が響き、先程までは無かったビリビリとした空気が心臓に伝わってくる。
「なんで……」
ぱっと、岩鳥の背後にある鳥居を流し見れば、最初に見た時よりボロボロに成っているものの、特徴的な形を残したまま立っていた。
破壊された訳ではない。しっかりとした形を保ったまま、そこにあったのだ。
「ギュォーーーン」
だが、鳥居があったからといって、何ら状況が変わるわけではない。
岩の羽をバサバサと大きく広げ、嬉しそうに吠える岩鳥は、結界の内側に居るのだから。
「っ!! みんな、走るよ!!」
小狐達がバラけてしまわないように注意を向けながら、建物の方へと走り出す。
遠くには、伝令として走らせた小狐が、全速力で玄関を潜る姿が見て取れた。
(あそこまで行ければ、きっとゆずちゃんとペルちゃんが助けてくれる)
そう思えば、なんだか大丈夫そうな気がしてきた。
そんな時……。
「キャン!! ……きぅぅん」
1匹の小狐が砂利道に足を取られて、参道の上に倒れ込んだ。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだからね」
抱え起こそうと後ろを振り返った美雪の目に飛び込んできたのは、岩の羽を重たそうに羽ばたかせ、数メートルだけ飛び上がった岩鳥の大きな姿。
みるみるうちに岩の形となったそれが、ガラガラと回転しながら、こちらに向けて転がってきていた。
階段付近で襲われた時よりも、ひと回りだけ小さく見えるものの、そんな些細な事は、なんの助けにも成らない。
「大丈夫だよ、うん、だいじょうぶ」
小狐を抱え起こしながら見上げた頃には、逃げ切れないほどまでに近くに岩があった。
このままだと、自分や支えている子狐だけでなく、足を止めてしまった他の子達も、岩に押しつぶされてしまうだろう。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
迫りくる死の恐怖を前に、淡い光を放つ指輪を掲げてみせる。
「お父さん、お母さん……、ちからをかして……」
岩の転がる音を耳にしながら、ゆっくりと目を閉じた。
トックン、トックン、と全身に血が巡り、ピンと指を伸ばせば、指先に暖かさを感じることが出来る。
口の中で、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と小さく呟いた美雪が、ゆっくりと目を開けば、揺らめくような青い光の向こうに、転がる岩が見えた。
その岩に向かって、ふぅ~、と息を吹きかけ、えい、とささやく。
間近まで迫っていた岩が、人知れず、穴の中へと落ちていった。