2-20話 鳥の襲来2
巨大な岩が迫りくる。
回転は勢いを増し、跳ねるかのようにふわりと飛び上がった。
岩が作り出す影が顔に刺し、視界が灰色で覆われる。
突き出した腕が、触れそうになった時、
――突然、巨大な岩が史記の視界から消えた。
「……っ!! なにが!?」
白黒とさせた史記が、少しだけ視線を下へとずらせば、そこに動きを止めた岩の姿があった。
地面にポッカリと空いた落とし穴のような場所に、自分達を追いかけていた岩が、すっぽりと挟まっていたのだ。
決死の思いで伸ばしていた手まで、あと数センチ。
嫌な汗が額に流れる。
「お兄ちゃん……」
そうして呆然と立ち尽くす史記の耳元で、不意に、消え入りそうな声がした。
背中に感じていた重みが一瞬の後に軽くなり、美雪の四肢から力が抜け落ちる。
「みゆ、き……??」
胃の中にヒヤリとした物を感じながら、慌てて首をひねった史記の目に映るのは、安らかな表情で瞳を閉じた美雪の姿。
「美雪! おい、美雪っ!!」
大声で呼びかけてみても、美雪の目が開かれることはない。
いつの間にか、意識を失っていたようだ。
(どうする!? 考えろ!! 美雪が、美雪が!! 何が起きた?? 頭は揺らすなよ、救急車!? 119!? いや、ここはダンジョンだから、回復魔法で!! そうじゃない。魔法は高校生だからダメで、本は美雪が持って――)
「史記っ!! 走れ!!」
「……っ!!」
気がつけば、先頭を走っていたはずの鋼鉄が側に居た。
狭くなったままの視界を前方へと向ければ、穴を脱出しようと暴れる岩鳥の姿と、その岩鳥に衝突して明後日の方角へと弾かれる岩の姿が映り込んだ。
ギュォーーーン、という鳥達の叫び声。
パァン、という岩と岩との衝突音。
メキメキ、という岩が巨木を押し倒す音。
そんな音達が入り乱れる喧騒の中にあっても、とくん、とくん、と一定のリズムを刻む妹の鼓動だけが、不思議と強く感じられた。
(生きている。大丈夫、美雪は、生きている)
史記の瞳に冷静さが戻り、ほんのすこしだけの理性が戻ってきた。
「史記くん、早く!!」
「走るのですよ!!」
「っぁ、……あ、あぁ……」
泣き顔のまま戻ってきた柚希とペールに先導され、鋼鉄に背後を守られながら砂利を抜けた史記は、岩鳥の鳴き声を背後に聞きながら、木々の隙間へと入り込んだ。
「つぁ、……はぁ、はぁ、……っ……」
ペールから借り受けたナイフで邪魔な枝を切り裂く鋼鉄を先頭に、乱れる呼吸を気合で抑えながら、必死に前へと進む。
足元で絡み合う草に足を取られながらも、木々の隙間を縫うようにして、逃げ続けた。
1歩、また1歩と足を踏み出せば、いつの間にか後方から聞こえていた騒音が遠くの物へと変わり、転がる岩が作り出す振動も感じなくなっていた。
「……頃合いだな。寝袋を」
「はいなのです」
木々に囲まれた草の上に寝袋が敷かれ、柚希の手によって<鑑定の眼鏡>が外される。
「史記くん。ゆっくりとしゃがんでもらっていいかな?」
「……あ、あぁ」
優しく微笑んだ柚希が史記の後ろへと回り込み、美雪の肩にそっと触れた。
「それじゃぁ、ゆっくりと手を離してね。ゆっくりと、……うん、そんな感じ」
史記の背中を離れた美雪が、柚希に抱き抱えられて、寝袋のベットへと横たわる。
安定した呼吸。
安らかな表情。
外傷らしき物も見当たらない。
薄っすらと光が指す森のなかで、優しげな表情を浮かべで目を閉じた美雪は、さながら眠れる森の美少女と言った感じで、意識を失っているというよりは、ただ寝ているだけのようにも見えた。
「大きな魔法を使った影響で、気を失ってるのですよ。
穴が出来る直前に、美雪様の指輪が光ってたので、間違いないのです。初めての魔力の枯渇なら、1時間くらいで目を覚ますですよ」
ツインテールを垂らしながら美雪の顔を覗き込んだペールが、そう太鼓判を押してくれた。
「まほう、か……」
岩が落ちたあの穴は、自分達を守るように突然現れたように見えた。
ペールが言うように、あれは美雪が作り出した、魔法の産物だったのだろう。
『1時間で目を覚ます』『大丈夫』
そんな言葉を聞いても、そう自分を言い聞かせようとしても、奥底から湧き上がってくる感情を押さえ込むことは出来そうもなかった。
「みゆき……、みゆき…………」
あのときの親父たちのように、このまま目を覚まさないのではないか?
あのときの伯父さん達のように、このまま目を覚まさないのではないか?
気がつけば横たわる美雪の手をギュッと両手で握っていた。
目から溢れ出す感情の粒は、止まりそうもない。
「…………おにいちゃん? ……もり?」
顔を押し当てるようにして祈り続けた時間は、寝起きのような美雪の声で終わりを迎えた。
ギュッと手を握れば、優しく握り返してくれる。
見つめれば、大きな瞳が見つめ返してくる。
そんな美雪の仕草が、ただただ、嬉しかった。
「ひどい顔してるよ? お兄ちゃんは、いつでも格好良くないと」
ふわりとした笑顔と共に伸ばされた細い指が、溢れ出す雫を拭った。
「……ぁ……、ぅっ…………」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。
ずっとお兄ちゃんの側に居るから」
薄暗い森のなかで咲いた小さな笑みが、ゆっくりと全身を包み込む。
美雪の体は暖かく、力強い鼓動が耳元でやさしく鳴っていた。