2-10話 律姉を救え 2
(ちょっと律姉。この女装は部長の指示じゃないのかよ!? クビになるかもってときにまで自分の趣味優先とか、どう考えてもおかしいだろ!?)
(え? お姉さんの趣味じゃないわよ?
部長が史記ちゃんのすべてを見定めたいって言ったの。だから史記ちゃんの魅力を最大限に引き出せるお洋服を用意したんじゃない。この可愛さなら絶対大丈夫よ!!)
(…………なにが大丈夫なのかわかんないけど、その言葉を本気で言ってる所が恐ろしいよ)
「垣本くんに史記くん。2人でなにをコソコソと話をしているんだい。さっさとこっちに来なさい」
「「はい。ただいま」」
連れて行かれた<Fランク冒険者>の試験会場は、駅の側にある小さな居酒屋だった。
年季の入ったガラスの引き戸が、ガラガラと心地よい音をたてながらサビたレールの上を滑り、木目の綺麗なカウンターと、頭にタオルを巻いたオヤジが顔を覗かせる。
「らっしゃい。んぁ? なんだ。あんさんが朝から顔をだすなんて珍しいな。
しかもそんなべっぴんさんを2人も引き連れやがって、羨ましいねー」
「ばかぬかせ。なにが羨ましいことか。
片方は手のかかる部下で、もう片方は男だよ」
「はっはっは、おめえさんも面白れぇこといいやがんなぁ。どっちもえらいべっぴんさんじゃねぇか。
そんな警戒せんでも、奥さんと娘さんに話したりしねぇさ」
「こればっかりは嘘じゃねぇんだがな。まぁ、言っても信じねぇか。
いつものように潜らせてもらうが構わねーよな?」
部長が白髪をかきながら奥へと進んで行く。
ずっと嬉しそうな表情が浮かべていた店主の顔に、驚きの色が広がって行った。
「あ? なんだ? お酌につれてきたんじゃねぇのかよ? 大丈夫なのか?」
「心配ねぇよ。ダメそうならすぐ戻ってくらぁ」
史記達を後ろに引き連れた部長が、勝手知ったる他人の家とばかりに淀みなく足を進め、裏口から外に出た。
そのまま足を止めることなく、空のビールケースの影にあった奥深い穴の中へと入って行く。
そんな部長の後に続いて、周囲をキョロキョロと見渡しながら、土が踏み固められただけの緩い坂道を下って行った。
壁はスコップで削ったかのように荒々しく、丸みを帯びた天井は淡路家のダンジョンと同じように淡く光っている。
足元には大小様々な石がところ狭しと敷き詰められており、所々に大きな石が飛び出していた。
そんな天然のトラップに躓かないよう注意しながら、早歩きで部長を追いかける。
とてもじゃないが、普通に歩いていては、離される一方に思えた。
――刹那、寒気が全身をかけめぐる。
「っ!!!!」
つま先が地面を蹴り、体が後ろへと飛び退く。
1歩、2歩、3歩。
気が付けば、息を切らした律姉を守るように、両手を前に突き出していた。
(いったいなにが!?)
近くに得たいの知れない何かがいる。
だが、いくら目を凝らそうとも怪しい物は見当たらなかった。
荒い壁に、光る天井、奥に続く暗闇。
寒気を覚えるほどの殺気が、より強くなっているように思えた。
(とにかく逃げないと!!)
後ろ手に律姉の腕を掴み、つばを飲み込む。
少しでも早くここを去る、その一心で、暗闇に背を向けた。
――その瞬間、
「…………」
首もとに冷たい物が押しつけられた。
全身から嫌な汗が吹き出し、心臓が異常な速度で脈打っていく。
先程感じた明確な殺意は、いつの間にか真後ろに居た。
あまりの恐怖に言葉も出ない。息を吸うこともままならない。
視界さえも動かすことが出来そうにない。
「……フン。身を引くスピードととっさの判断は悪くねぇ」
耳元で部長の声が聞こえたかと思えば、感じていた死の気配が一気に薄らいでいった。
呆然と立ち尽くす史記を後目に、首元から日本刀を下げた部長が地面を滑るようなスピードで史記の背後から遠ざかっていく。
「……っは、はっ、はっ、はっ」
動くことを許されたとばかりに強く脈打ち始めた心臓が全身に血液を押し出しはじめ、額からは大粒の汗が流れ出る。
吸うことの出来なかった空気が、肺の中へと入ってきた。
「はっ、はっ、はっ………」
初めて感じる明確な殺意に倒れそうになりながら、ショルダーバッグから<ただの鉄パイプ>を取り出した。
青い顔をしたまま動かない律姉にバックを押し付けて、部長の方へと向き直る。
「ダンジョンに入った瞬間からテストスタートなら、そう言っておいてほしかったんですが。不意打ちは反則でしょ」
「ハン。いつどこでモンスターが襲ってくるとも限らねぇんだ。それに不意打ちへの対応は、実際に不意打ちしてみねぇとわかんねぇだろ?」
「たしかにその通りかもしれませんけどねぇ。びっくりするじゃないですか」
恐怖心を軽口で心の奥底へと押し込み、部長へと鉄パイプの先を向ける。
大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「……それで? ここからはどのようなテストを?」
「そうだな。せっかくだから、このまま戦闘力も見せてもらおうか」
懐から手のひらサイズの小さな茶色い袋を取り出した部長が、手に持った日本刀をその袋の中に押し込み始めた。
1メートルほどの刀が、その十分の一にも満たない袋の中にスルスル吸い込まれていく。
そして、大事そうにその袋を懐に仕舞い直した部長が、両手をまっすぐに下げ、起立でもするかのように棒立ちの体制になった。
「どこからでもかかって来たら良い」
「…………」
隙だらけに見えるものの、その実力は先程の不意打ちで十分に身にしみている。
単純に切り込むだけではダメなことは十二分に伝わっていた。
(部長がどのような人かはわかってないけど、素直さよりは限界まで足掻く方が好きそうには見えるよな。
不意打ちする人が『正々堂々戦え』なんて言わないだろうし)
そんなような考えをもとに、部長の元へと走り出した。