2-9話 律姉を救え
普通の森で、普通のキャンプを普通に終えて淡路家に帰ってきた史記達を泣きそうな表情を浮かべた律姉が待ち構えていた。
「突然、ごめんね。お姉さんに力を貸してくれないかな」
体制は正座。
場所は淡路家の玄関の前。
下はコンクリート。
そんな律姉の姿に圧倒されていると、美雪が1歩だけ前に踏み出した。
「どうしたの、律お姉ちゃん。んゅ? そう言えばお姉ちゃんの焦った顔って初めて見た気がする。結構やばいの?」
美雪の問いかけに、律姉の顔がさらに曇る。
「…………免許書の話が、……部長にバレちゃった」
「「…………」」
「このままだと、お姉さん、クビになっちゃう」
「「…………」」
どうやら予想以上にやばい状態のようだ。
そして迎えた約束の日。
律姉に腕を引かれた史記が、慌ただしい人の流れに乗って、駅の方へと歩く。
高級スーツを身に付けた律姉の横をキョロキョロと辺りを見回しながら、ついて行った。
周囲から見れば、きっと微笑ましい姉妹の心温まる日常風景に見えるのだろう。
ふわりとした白いレースのスカートと、長めのソックス、ウィッグとナチュラルメイクが施された史記のことを誰も男だとは思うまい。
「律姉がピンチだと言うことはわかった。確かに『俺にも責任があるから助けるよ、なんでも言って』と言った気もする。
だけどさぁ。これは流石にないんじゃない? なんで俺はオトコノコのスタイルで外を出歩いてんだよ!?」
「だってしょうがないじゃない。部長が『その高校生が本当に優秀なのか、私が見極めよう』なんて言い出しちゃったんだから。
それじゃぁなぁに? 史記ちゃんはお姉さんがニートになってもいいの!? お姉さんの事を専業主婦にしてくれる?」
「え? あれ? 俺がオトコノコに成らなかったら、律姉が無職になるの?? 意味分かんないよねそれ?」
「違うわよぉ。史記ちゃんがその魅力でもって<Fランク冒険者>の資格を手に入れてくれたらいいのよ。そのためにも可愛い服は必要じゃない!!」
「…………あれ? 途中まで理解出来てたはずなのに、可愛い服辺りから話が見えなくなった……」
思わず足を止めて律姉の顔を見上げれば、素敵な微笑みを返されてしまった。
「大丈夫よ。部長にはちゃんと『可愛いけど男性なので手は出さないでください』って伝えてあるから」
「……あー、うん、それなら、安心だね?? あれ? 安心なのか?」
お仕事用の服に身を包んでいても、その中身は残念ながら律姉だった。
律姉が懲戒処分の危機を免れるためには、史記が冒険者としての資質を律姉の上司に見せる必要がある。
もし認められれば、律姉が救われることに加え、冒険者の活動がしやすくなると説明されていた。
朝早くから律姉の家に出向き、律姉の手によってオトコノコに変身させられ、現実を直視できないまま、こうして最寄りの駅までやってきてしまったというわけだ。
幸いなことに、周囲を足早にやっていく人々の中に見知った顔はない。
「お願い、史記ちゃん。お姉さんを助けると思って、うんうん、本当に助けて」
「あー、うん。出来る限り頑張るよ……」
実の姉のように思っている律姉に頭を下げられてしまっては、この場から逃げるわけにもいかなかった。
ただ、女性用の服を着させられたうえに、メイクまでされて連れてこられた理由は、未だにわからない。
「史記ちゃんの実力を見せるためには、可愛い服じゃなきゃダメなのよ。そうじゃなかったら、魅力が七割減になっちゃうじゃない」
「なぜに!?」
「だって、史記ちゃんは可愛く着飾ってこその史記ちゃんじゃない」
「ダメだ。話が通じてない……」
「ダメじゃないわよ。なんでわかってくれないかなー?
ん~、それはそうと、そろそろ時間なんだけど……」
律姉が不満そうに手元の腕時計に目を落とした矢先、真っ白な髪が印象的な男性が近寄ってきた。
律姉に負けず劣らず、高そうな服を身に付けている。
時計から目線を上げた律姉が、その男性に深々と頭を下げた。
「早見部長、おはようございます。本日はお手数をおかけして申し訳ありません」
突然仕事モードに切り替わった律姉に続いて、史記も深く頭を下げる。
「いつも律姉がお世話になっています。よろしくお願いします」
出来るだけ好印象となるように心がけ、必死に笑顔を振りまく。
女装されられた不満も、律姉のためならと心の奥底へとしまいこんだ。
そんな史記の姿をまじまじと眺めた初老の男性が、優しそうに目を細めてゆっくりと口を開く。
「君が淡路史記くんだね? 垣本くんから話は聞いているよ。今日は私のわがままに付き合わせてしまって申し訳ない。これも仕事でね。許してくれとは言わないが、協力してくれると嬉しいよ」
一度言葉を切った部長は、史記のことをまじまじと眺めたあとで、不思議そうに首を傾げた。
「あー、……不躾な質問でもうわけないんだが、……本当に男なのかね?」
「はい。間違いなく男です」
「……信じがたい話だが、本人がそう言うなら、信じるほかに道はないようだな。
して、なぜ女性のような格好を?」
一瞬だけ目を見開いて怪訝そうな表情を浮かべた史記の視線が、律姉へと降り注ぐ。
「そこで鼻血を吹き出しながら私達のツーショット写真を撮っている彼女の趣味ですね」
「…………なるほど。
私としては、君の実力に関係なく、彼女の資質を問いただしたいのだが、どうだろうか?」
「その提案に関しては激しく同意したいところなのですが、根は真面目な良い子なので、どうか長い目で見てやってください」
そんな言葉で冒険者としてのテストが始まってしまった。