2-8話 普通のキャンプ 3
テントの中へと入ってきた柚希が、パジャマの裾を握って、恥ずかしそうに頬を染める。
「どう、かな? 今日のために買ってみたんだけど……」
見えやすいように両手を広げて、弱々しい視線を周囲に彷徨わせていた。
「…………」
どう見ても心が躍る光景なのだが、突然の事態に理解が追いつかない。
恥ずかしそうにぷるぷると震える柚希の姿をただぼーっと眺めることしか出来そうもない。
そうして呆気に取られていれば、突然泣出しそうな表情を浮かべた柚希が、がっくりと肩を落とした。
軽く後ろを振り向き、外に向けて声を飛ばす。
「……ペールちゃん。入ってきて……」
懇願するような声音を含んだその言葉から少しだけ遅れて、テントの隙間からペールが顔をのぞかせた。
ゆっくりと入ってきたペールは、柚希と同じデザインのパジャマを身に着けている。
少しだけ大きめのパジャマ姿が、なんとも可愛らしかった。
だが、その表情は茫然自失と言った感じで、愛想笑いすら浮かんでいない。
「駄目だったですか? ……史記様は枯れ木なのです?」
「…………」
馬鹿にされていることはなんとなく理解出来るのだが、状況が今ひとつ把握出来ない史記には、無言を返すことしか出来なかった。
寝袋から腕を伸ばし、サイドについているチャックを開く。
脱皮をするように寝袋から出た後に、寝袋の上に腰を下ろした。
「それで? どうしたんだよ? 美雪は?」
少しだけ開いた入り口の隙間から外の様子を伺うものの、光1つない暗闇の世界が広がっているだけで、見える物は何もない。
それでも諦めずに、じー、っと目を凝らしていると、ペールがテントの入り口のチャックを閉め始めた。
「美雪様は夢の中にいるですよ。今日はペールの話を聞いて欲しくて来たのです」
「??? あー、うん、まぁ、わからないけど、わかった。とりあえず、話を聞くよ。
あと、柚希もペールもそのパジャマ、似合ってるぞ」
日頃から妹に鍛えられている史記がそう付け足すように褒めたものの、ペールにはお気に召さなかったようで、パッチリした目が三角形に吊りあがった。
「遅いです!! 遅すぎるのです!! そもそも、『来ちゃった』って言われたら『寒かっただろ? 俺の横、あいてるぜ?』ってキメ顔するべきなのですよ!! 史記様はもう少し大人になるべきなのです!! 少女漫画の主人公を見習うですよ!!」
「……はい? ……あ、うん。ごめんなさい」
どうやらペール的にはそのような展開をお望みだったようだ。
顔を真赤にしてうつむく柚希を尻目に、ペールが話を先に進める。
「史記様のヘタレ具合は後々の課題にするとして、今日は美雪様のことです」
散々な言われようだったが、下手にツッコミを入れると事態が余計にややこしくなりそうなので、とりあえずはペールの話に耳を傾けることにした。
「美雪がどうかしたのか?」
「美雪様は、このままじゃダメなのですよ、ダメダメなのです」
どうやら本日は、ペール主催の美雪に対する悪口大会のようだ。
眠りについた美雪を残して史記の元を訪れたのはそれが目的なのだろう。
だが、そんな言葉を聞き流せるはずもない。
「いや、ダメじゃないだろ。素直で可愛くて可憐な美雪のどこがダメなんだよ?
美雪以上に可愛い妹なんてこの世に存在しねぇんだぞ!?」
感情の赴くままに言葉を連ねる。感情を言葉に乗せる。
いつの間にか、ペールが1歩だけ後ろへと退いていた。
「そ、それは、知ってるのですよ。美雪様は可憐で素敵で素直でプリティなのです。
わかってるので睨まないでくださいです……」
「あ、いや、悪い。大丈夫、睨んでないから」
そう言って微笑んだものの、ペールは余計におびえてしまった。
「美雪様は……、可憐でプリティで素敵なのです、……なのですが、……えとえと、…………自由奔放で危ないのですよ。
ダンジョンを今よりも奥に進むなら、すごく危険なのです」
「…………いや、それは、……うん、まぁ……、そうだな」
ダンジョン内での美雪の行動にハラハラした回数は、1度や2度ではない。
さすがにその言葉は否定出来なかった。
「その原因はマスターと史記様にあるのですよ」
「俺達?」
疑問を含んだ視線を柚希に向けるものの、ずっとうつむいたままで、視線を合わせてはくれない。
ペールへと視線を戻し、言葉の意味を問いただした。
「俺達が悪いのか?」
「ですです。マスターと史記様が甘やかしすぎるから、美雪様は自由奔放に走り回るのです。
年齢と比較して幼い行動が目立つ、そう思わないですか?」
ペールの言葉はきっと間違ってはいない。
柚希を筆頭に、クラスメイトの女性達は、誰しもが美雪よりも大人びて見えた。
「両親を亡くした事を気遣って、優しくするのもわかるです。
わかるですが、道を正して前に進ませてあげるのも兄の務めなのですよ」
ペールの瞳には、本気で美雪を心配するような色が浮かんでおり、冗談の類いを言っているようには見えなかった。
俺たちが悪い。兄の勤め。
ペールの言葉が脳内を占領していく。
「…………そうなのかもな。……どうすればいい?」
どうにか言葉を絞り出せば、聖母のような笑みが見えた。
「簡単なことなのです。美雪様を信じてあげるのが良いのですよ。
甘えてほしそうにするから甘えてくれるのです。史記様が望む妹になるために美雪様もわかっていて今の言動を繰り返しているのです。もちろん、無意識なんだと思いますですが」
「……事故前の美雪のままでいてほしいと俺達が願っているから、あいつは大人に成れていない。そう言いたいんだな?」
「ですです。スライムなんかが生意気言ったです。けど、このままじゃ、美雪様を庇った史記様が怪我をするのですよ」
「……いや、スライムも何も、ペールは仲間だろ? 美雪のことは気をつけるよ」
思い当たる節はいくつもある。
ペールの言いたいことは、痛いほどわかる。
先ほどまで感じていた眠気はどこかに飛んでいったようで、すぐには眠れそうになかった。
美雪やペールもまた、言葉を失い、目を伏せた。
周囲に沈黙が流れ、森のざわめきだけがテントの中を支配する。
そんな静かな空気が支配するテントの外、闇夜に紛れる草の上で、
「お兄ちゃんが怪我……」
そう小さくつぶやいた1人の女性が、誰もいないテントの中へと消えていった。