53話 念願叶って
赤いスライムとの戦闘から1時間が経過した頃。
夕暮れ迫る淡路家のリビングに、楽しそうな笑顔を見せる美雪の姿があった。
「えへへー、ユキの武器も鋼ちゃんのと一緒でちっちゃくなるみたい」
そう口にする美雪の左手には、独特の光沢を放つ青い指輪がはめられている。
祭壇に置かれていた分厚い本が『重たくてずっと持ってると腕痛い……』と美雪が呟いたことをきっかけに、いつの間にか指輪になっていたものだ。
なんとも持ち主思いの本である。
『神事の魔導書』
鑑定の眼鏡曰く、装備者の精神力を核として周囲の魔力を構築し、特殊な現象を発現することが出来る代物らしい。
つまりは、魔法が使える本であり、指輪のようだ。
ちなみに、
「……なぁ、美雪。魔法ってないんじゃなかったのか?」
「ふゅ? うーん、無いって聞いてたんだけど、あったみたい。
けど、そんな細かいことは気にしちゃだめなんだよ。お兄ちゃん。
過去を振り返るひまがあったら、前を見てあるかなきゃって、偉い人も言ってたでしょ」
「……うん、そうだね」
そういうことのようだ。
無論、魔導書の装備者は美雪である。
こんなにも楽しそうな物を彼女が手放すはずがなかった。
そうして嬉しそうに指輪を眺める美雪の隣には、少しだけ落ち込んだ雰囲気の柚希と、足に湿布を貼った鋼鉄の姿があった。
念のためということで、史記の肩を借りて淡路家まで帰ってきた鋼鉄だったが、足の状態はそこまで重たくは無く、捻挫を少し悪化させた程度だった。
『数日も休めば良くなるんじゃないかな』というのが、史記の見立てである。
だが本人は、『自分の怪我が原因で、友人を危険にさらした』と思い込んでいるようで、その表情はあまり優れない。
表情に関しては柚希も大差はなかった。
彼女は彼女で、『私がしっかりしていれば』と思っているようで、出来るだけ表情には出さいないように心がけているものの、明らかに落ち込んでいた。
膝上に乗るペールを撫でる手も、心ここにあらずといった感じである。
そんな状況故に、今にも先の反省会が始まりそうな雰囲気だった。
そうして『はぁ……』とため息を吐き出す彼女達の前に、美雪以上の幸せそうな笑顔を浮かべた史記が『なんとかなった』と言って、台所から姿を見せた。
「普通に美味そうだぞ、赤いスライムの刺身」
そんな言葉とともに、手に持った大皿をテーブルの上へとおろす。
「わっ、美味しそう」「にゅふふ」「ほぉ」
一番近くに居た柚希を筆頭に、三人が感嘆の声を漏らした。
透き通るような赤い身が綺麗な短冊状に切られ、抱えるような大皿に所狭しと並べられている。ぱっと見ただけでは、マグロの赤身かと思うような見た目である。
先程までは落ち込んでいた雰囲気だった2人も、今はどこ吹く風。
興味津々な視線とともに溢れる笑顔を刺身へと注いでいた。
そんな3人を尻目に、醤油皿にわさび、箸と炊きたての御飯をお盆に載せた史記が、3人の前へと並べていく。
最後には豆腐の味噌汁も出てきて、準備は万事整った。
誰しもが自身に与えられた場所に着席し、大皿のうえに並ぶ刺身に視線を送る。
『俺から行くぞ?』と声をかけた史記が、誰よりも先に箸を取った。
厚めに切られた身を箸先でつまみ上げ、醤油を端につける。
ゆっくりと口元に近づけ、全員の顔を確認したあとで、その身を頬張った。
……独特な臭みや香りは感じない。
マグロやカツオのような強い風味は無く、タイやヒラメのような優しい香りも無い。
強いていうなら、イカのお刺身を口にしたかのような香りである。
だが、その食感はむしろマグロに近い。
赤身ではなくトロの部分がより近かった。
口に入れた瞬間に舌の上へと淡い旨味が広がり、一口噛めばとろけたかのように広がった味わいが脳を強く刺激する。
1回2回とかんでいるうちに、いつのまにか喉元を通り過ぎていた。
「……うまい」
そんなことは言われずとも、史記の幸せそうな表情を見るだけで十分にわかっていた。
『もう我慢出来ない!!』とばかりに、美雪がその身を前へと乗り出し、箸を握りしめる。
「お兄ちゃん、もう食べていい? うんうん、たべちゃう!!」
そんな言葉とともに3枚もの刺身を一度に箸で掴んだ美雪は、醤油皿を経由して『あーむ』と言う掛け声とともに、口いっぱいに頬張った。
「んふぅーーー、んぃふぃーーーー」
最早何を喋っているのかわからないものの、そのご満悦な表情を見れば言葉など必要なかった。
「柚希も鋼鉄も食べてみろよ。うまいぞ」
「あー、うん。それじゃ、私も頂くね」
「失礼する」
そして残る2人も赤いスライムの刺身を口に放り込み、花が咲き誇るかのように、満足そうな笑顔を浮かべた。
「美味しい」
「旨いな」
誰の味覚を持ってしても大満足だったようで、我先にと大皿に箸が伸びる。
ワサビ醤油で食べてみたり、醤油を垂らした卵の黄身に潜らせたり、大根おろしにポン酢の組み合わせを載せてみたりと、どのような食べ方を試みても抜群に旨かった。
作っている最中は『食いきれるのか?』などと心配していた史記だったが、大皿に盛られた刺身達は、1時間もしないうちに、そのほとんどが彼等の腹の中へと消えていくことになる。
そして残る最後の1枚を史記がその口へと収め『御馳走様でした』という史記の合図と共に、満足そうにお腹を擦った。
「こんなに旨いなら、もっと積極的にモンスター討伐やってもいいかな」
「うん、ユキも頑張る!!」
そんな言葉が出るくらい、誰しもが幸せな笑顔を浮かべていた。
こうして様々なハプニングがありながらも、大満足な結果でもって、初めての本格的なダンジョン調査が終わりを告げたのだった。
台所の片隅で光り輝くペールの姿に誰も気がつかないままに……。
これにて1章終了となります。
次は、1度だけお休みを頂いて、12/26(月)から2章を開始する予定です。
よろしくお願いします。