40話 妹×眼鏡=最強
それから10分後。
2つの苺大福を堪能した美雪は、晴れ晴れとした表情で律姉と手をつなぎ、ダンジョンの入口を眺めていた。
ちなみに、大福は10個入りで、残り8個は台所で厳重に保管してある。
史記に対しても『ぜーったい、食べちゃだめなんだからね』と厳重注意命令が発令されていた。
残りはダンジョンから帰ってきた時に律姉と一緒に食べる分と、明日、親友の柚希と一緒に食べる分なのだとか。
残念なことに、兄と一緒に食べる分は初めから存在しなかった。
そんな残りの苺大福に思いを馳せ、うっとりと微笑む美雪に向かって、律姉が軽く頭を下げる。
「ごめんね、ゆきちゃん。
お姉さんのお仕事に付き合わせることになっちゃって」
「うんうん、いいの。お姉ちゃんにはいっつもお世話になってるから。
今日はユキがお姉ちゃんをまもってあげる」
「うん、ありがとね」
本当に申し訳なさそうな表情を浮かべた律姉が、美雪の手をギュッと握りしめた。
今日、律姉がこうして淡路家にやってきた理由は、美雪の部屋に出来たダンジョンを調査すること。
国に報告されたダンジョンは、役所の担当者が出向き、一度だけ内部を調査することになっている。
それは美雪の部屋に出来たダンジョンも例外では無かった。
史記が免許書を手に入れたことでダンジョンの管理が可能になったため、国にダンジョンの誕生を報告する事になり、こうして律姉がやってきたというわけだ。
ただし、律姉はダンジョン関連の職に就いてはいるものの、内部を調査するような部署ではない。
今日は職権乱用とエリートとしてのコネを使って、調査を交代させてもらったのだ。
ゆえに、律姉がダンジョンに潜るのは、今日が初めてだったりする。
ただ、妹のような存在である美雪に『守ってあげる』などと言われてしまっては、いつまでも緊張している訳にはいかなかった。
『お姉さんとしたことが、ちょっと緊張しちゃってたかな。うん、リラックス、リラックス』そう自分に言い聞かせた律姉が、心を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸をして、凝り固まった首をぐるぐると回す。
そうすることで、緊張で狭まっていた視界が徐々に広がり、そこで初めて美雪の変化が視野に入った。
美雪の目には、いつの間にか細いフレームの眼鏡がかけられていたのだ。
苺大福を食べている時には無かったはずなので、ダンジョンに行くために装着したものなのだろう。
そんな予測を立てた律姉が、美雪へと微笑みかける。
「美雪ちゃんって、眼鏡姿もかわいいんだね。お姉さん、ビックリしちゃった。
ダンジョンで手に入れたものなの?」
「うん、そうだよ。えへへ、いいでしょー。
この子ね。鑑定の特殊能力もあるんだよ!」
そんな美雪の言葉に『へぇ、鑑定かぁ』とちいさく呟いた律姉は、目を細めて、興味深そうにその眼鏡をじーっと見つめた。
彼女の本業は、ダンジョンの情報を分析すること。
調査員が持ち帰った情報を整理し、理論を立て、未来を予測する。そんな仕事だった。
そんな彼女だからこそ、情報の有効性は誰よりも強く感じていた。
「せっかくだから、ずっと着けてたらいいとお姉さんは思うな?
すっごくかわいいし、どんな場面で必要になるかわからないからね」
『使い慣れって大事なのよ』と律姉が微笑む。
情報は多い方が良い。情報に基づいた予測以外に、未来を知る方法は無い。
それが律姉の信条だった。
そんな彼女の提案に対して、美雪は『うん。そうする』と素直にうなずいて見せた。
【お姉ちゃんの言うこと = 正しいこと】そんな方程式が、美雪の中では既に出来上がっていた。
面倒見が良くて、成績優秀、頭の回転も速い。
唯一の欠点である『女装男子好き』という特殊な趣味を除けば、この上なく信用できる人物なのだ。
ちなみにそうは言っても、律姉に『恋愛勇者』を着飾る趣味は無い。
女装男子好きの彼女いわく
「内側に乙女の心を持ち合わせた男の子が、衣装の力を借りて真の乙女になる、あの姿がいいのよ。秘められた蕾が花開く感じね。
あんな弟を女装させたって、気持ち悪いだけだとお姉さんは思うな。
ちょっとだけ嫌なんだけど、頑張てポーズをとってくれる。男性用の服を着ていても、内に秘められた乙女を垣間見える。
そんな史記ちゃんのあの姿勢が素晴らしいのよ」
とのこと。
どうやら誰でも良いわけでは無いらしい。それに女性用の服が似合えばよいというわけでもなさそうだ。
ずいぶんと奥が深い世界である。
なにはともあれ、本日は趣味の話ではなく、本業であるダンジョンの話なのだ。
その信用度は高くても問題は無いだろう。
そんな和気藹々としたやり取りをしていた美雪達の後ろで、不意に、ガチャ、っとドアが開く音がした。
そこには、手に木の枝を持った男がたたずんでいた。
不審者ではない。史記である。
どうやらダンジョンに潜るための装備を取りに行っていたようだ。
そんな史記に対して『もぉー、遅刻だよ、お兄ちゃん』と軽口を飛ばす美雪に対し『ごめんごめん』と軽く誤った史記が、部屋の中へと入ってくる。
そんな彼の手元には、1本のミサンガが結ばれていた。
「うんうん、ちゃんと腕輪を装備してるね。お姉さんも安心したわ」
「え……?」
にっこりと微笑みながら紡がれた律姉の言葉に、部屋の中央へと向かって歩みを続けていた史記の足が、ピタっと止まる。
何度も言うが、彼の手には、木の枝がガッチリと握られている。
腕に巻いたミサンガなど、木の枝のインパクトに負けて、視界に入る可能性は限りなく薄いだろう。
あるとすれば、その存在を初めから知っていた場合だけ。
「……律姉。これのこと、知ってんの?」
「んー? あれー? 勝司さん言ってなかったの?
それを手配したのもお姉さんよ?」
「…………」
どうやら、勝司弁護士が言った”信用できる人”というのは、律姉のことだったようだ。
免許書と良い、ミサンガと良い、かなりの手間をかけてくれたのだろう。
史記達の知らないところで、大人達は彼等を守るために動いていたようだ。
「ありがと。律姉」
「いいのよ。お姉さんだからね」
「……そっか」
そんな周囲の手助けを噛みしめるように、史記はゆっくりとダンジョンに続く階段を下り始めた。
「あっ、感謝の気持ちは2時間でいいからね」
「…………」
新しい撮影会の衣装やシチュエーションを脳内で描く律姉に背中を任せながら。