38話 餞別と約束
史記が身を粉にして手に入れたそれは、翌日からその効力を発揮してくれた。
学年主任からの呼び出し。
その時にもし冒険者の免許書が無ければ、ダンジョンに入ることを禁止され、美雪の部屋には、親しくない人達が大勢押しかけていたことだろう。
そうなれば、美雪の機嫌は駄々下がりであり、なんとかすると言っていた史記の評価も大きく下落していたはずだ。
しかも、その機嫌の悪さは、史記が正式なルートで免許書を入手するまでずっと続くことが安易に予想出来、最低でも1年はその状態が続いていたことだろう。
『機嫌の悪い妹と一緒に過ごす時間の代わりに、4時間だけ自分じゃない何者かになった』そう考えれば、必要最低限の正しい犠牲だったのかもしれない。
妹からの信頼と比較すれば、自分の感情など、その程度の物でしか無いだろう。
兄は妹のために、その身を捧げることなど厭わないのだ。
そんな兄の男らしさの塊であるその免許書はいま、大笑いする勝司弁護士の手の中に握られていた。
「ふははは、それは、それは、すごい裏技を使ったものだね。
いや、はや、史記君にしか出来ない抜け道だよ。ははは。
人生は何事も経験だ。無駄な経験なんてないんだよ。くははは」
お酒もいい感じに入り、いつもより砕けた雰囲気の勝司弁護士は、自分の奥底から湧き上がってくる笑いを堪えることなく口にし、手のひらサイズのカードを楽しそうに見つめる。
どうやら、史記が英語のテストを受けていた間に、学年主任の手から取り返して来てくれたようだ。
その際に、弁護士の力を使って本物であることは確認済みだった。
そんな勝司弁護士に対して『それはどうも、お褒めいただき、ありがとうございます』と言って不貞腐れた史記が、焼きあがった厚切りのロースを炊き立てのご飯と一緒に口へと頬張る。
そんな彼の隣では、心の底から呆れたような表情をした美雪が『ほんと、お兄ちゃんってば、可笑しなことばかりしてるんだから』とでも言うような目を体を使って頑張ってきた兄へと向けていた。
結果はどうであれ、兄に対する好感度は低下してしまったようだ。
だが、そんな美雪とは正反対に、勝司弁護士が抱く史記のイメージは、上昇したらしい
「ははは、いや、なに、そんなに不貞腐れなくてもいいじゃないか。
確かに、笑ったのは悪かったと思っているけど、突拍子もない裏技なのは史記くんも理解していると思っていたんだが、ちがったかな?」
そんな言葉に続けて『私が思っている以上に史記君が成長していてくれてうれしいよ』と続けた。
勝司弁護士は、公正公平を重んじる弁護士ではあるものの、酸いも甘いも知り尽くした立派な大人だった。
手段はどうであれ、事の重要性を判断する能力と、その取捨選択には感心し、それまでも決して低くは無かった史記の評価を高く引き上げたようだ。
手元にある日本酒をくっと飲み干し、ふぅ、と一息入れた勝司弁護士は、すっと自分の横においてあった鞄の中から、手のひらサイズの箱を取り出し、そっと史記の前に置いた。
白い紙の箱で、包装もラッピングもしていないそれを見つめた史記が、興味深そうに軽く首をひねる。
「……これは?」
「君達へのプレゼントだよ。
そうだね。ダンジョンへ向かう君達への餞別だとでも思ってくれたらいい。開けてごらん」
促されるままに開いた箱の中には、青色のミサンガが1本入っていた。
つまむように手に取り、光に当たるようにして眺める史記に対して、勝司弁護士がその口を開く。
「転移の腕輪という物で、1回だけなんだが、腕につけている人かその周囲の人間が死ぬような怪我をしそうになった瞬間に、安全な場所まで転移させてくれるものだと聞いているよ」
『私も詳しくは無いんだが、それは信用できる人に頼んで譲ってもらったものだから、品質は保証させてもらおうかな』と勝司弁護士が微笑んだ。
思わずと言った感じで史記が美雪の方へと視線を送れば、慌てた様子で鞄の中から【鑑定の眼鏡】を引っ張り出した美雪が、真相を確かめるようにじーっとミサンガを見つめた後で、ゆっくりと頷いた。
転移の腕輪。
その使用場所はダンジョン内だけであり、使用回数も1回と制限されるものの、使用者とその周囲の人間を守ってくれるという物で、冒険者の間では『本物のお守り』と呼ばれ重宝される品である。
そんなお守りを手に『なんで? どうして? どうやって?』と、そんな疑問が史記の頭を過る。
自分達がダンジョンに入っていることは伝えておらず、勝司弁護士は、学年主任に呼び出されたあの三者面談の時まで知らなかったはずのだ。
ダンジョン内限定とは言え、人の生き死にに直接関係するようなものが、そう簡単に手に入るはずもない。
たとえそれが凄腕で知り合いの多い弁護士だったとしても、たった数時間で手に入るような物では無いはずだ。
そんな感情を史記の表情から読み取った勝司弁護士は、種明かしでもするかのように、ゆっくりとその口を開く。
「一応、これでも君達の親代わりだからね。
この前、相談しに来てくれた時に、こうなるだろうなと思ってはいたよ」
まるでイタズラを成功させた子供のように、無邪気に笑って見せた。
史記や柚希の性格を考慮し、ダンジョンが出来たと相談に行ったその日のうちから、動き出していたようだ。
少しだけ真剣な顔つきになった勝司弁護士が、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕には君達を守る義務と責任があるからね。だから、君達がダンジョンに行くことは反対なんだよ。
だけど、あいつら……君達の両親は経験主義者だったからね。
君達も良く言われたと思うよ『取り返しのつかない事以外はどんどん失敗しろ』ってね。
だからね。お互いに妥協をしようと思うんだ。”この腕輪を装備している間だけダンジョンに入ることを許可する”ってのはどうかな」
そういって一度言葉を切った勝司弁護士は、史記と美雪の目を真っすぐに見つめて話を続ける。
「君達はまだ若い。背伸びをしたくなる気持ちもわかるよ。
だけどね。大きくなることも良いことだけど、大人を頼ることも知った方が良いと思うよ」
そういって、勝司弁護士はゆっくりと日本酒を飲み込む。そして『僕はずっと君達の味方だからね』と締めくくった。
そんな勝司弁護士に『ありがとうございます』と小さく答えた史記は、妹と一緒に深々と頭を下げる。
信頼や信用の重さをその胸に刻みながら。