37話 免許の代金
それから数分後の律姉の部屋では、1組みの男女が整えられたシングルベットに腰掛けていた。
その距離は、息がかかりそうなほどに近い。
「大丈夫よー。天井のシミを数えてたら終わるから。
いつものように、お姉さんに任せて。ね?」
『はぁはぁはぁ』と、息も絶え絶えに興奮した律姉が、史記の返答を待つことなく、彼の上着のボタンへとその白い手を伸ばした。
下の方から1つ1つ、ゆっくりとボタンを外していく。
お腹に続いておへそが露わになり、律姉の手が上へと進むにつれて、あまり鍛えられていない腹直筋、ついには、大胸筋までもが外気に触れる。
春のひんやりとした気温が、史記の体を襲った。
「それじゃ、バンザイしましょうねー。はーい、バンザーイ」
「…………」
テンションが上がり続ける律姉の指示にあわせて、死んだ魚の目をした史記が両手を天井に向かってゆっくりと伸ばす。
上着の裾をギュッと握りしめた律姉の手が、史記の上着を勢いよく剥ぎ取った。
投げ捨てられた史記の上着が、宙を舞う。
これで、史記の上半身を守る物は何もない。
「それじゃ、下もぬぎぬぎしましょうねー」
そんな言葉と共に、その手を史記のベルトへと伸ばし、カチャカチャと留め具を外した後に、ジーパンをツルンと脱ぎ捨てる。
ついに残された装備は、パンツが1枚だけだ。
「…………」
だが、そんな状況にまで追い込まれても、死んだ魚の目をした史記は、その場から微動だにしない。
『俺は人形だ。俺は人形なんだ。今の俺は俺じゃない。俺じゃないんだ』と、そんな言葉を脳内で繰り返しながら、出来るだけ心を無にする。
そんな史記に対し、準備万端とばかりに、律姉がパンツ1枚の史記の体に腕を回した。
『にゅふ、にゅふふ』と抑えきれない感情を漏らしながら、史記の瞳に、熱い視線をおくる。
そして、バザっという音と共に、白いニットのワンピースを頭から被せた。
「きゃーーー、かわいいーーーー!!
これ、絶対史記ちゃんに似合うと思ったのよー」
そんな言葉と共に、手早くセミロングのウイッグを取り付けた律姉は、うっとりとした表情で頷くと、ベットに転がっていた赤いベレー帽を史記の頭にのせる。
そこに居たのは、黒髪の美少女と間違えそうな、男が一人。
可愛くて、可哀想な男がそこにいた。
「やっぱり、史記ちゃんは何合わせても似合うねー。
可愛すぎて、お姉さん、ちょっとだけ嫉妬しちゃう」
男性にしては小柄な体つきの史記は、肌も白く、顔のパーツも比較的女性に近い。
全体的にかわいらしい顔立ちをしていたため、律姉の言葉が否定出来ない程度には、ニットのワンピースが似合ってしまっていた。
「きゃはぁーーー。いい、すごくいい。
お姉さん、鼻から血が出そうよ」
突然ベットから立ち上がった律姉が、部屋の片隅にあったタンスへと移動し、その中から大きな一眼レフのカメラを取り出した。
そして、大切に保管されていたそのレンズを史記の方へと向ける。
「はーい。それじゃぁ、史記ちゃん。笑ってねー」
そんな要求が律姉から飛ぶものの、女装男子はその表情を変えず、その場から動く気配はない。
それならばと、今度は机の方へと移動した律姉が、その中から1枚のカードを取り出した。
手のひらサイズのその紙には、史記の顔写真と史記の名前が入っており、上の方には大きく『ダンジョン許可証』と書かれていた。
『史記がそのうち頼みにくると思うからよろしくな姉貴』と弟の口から聞いたその日のうちから動き出しており、史記の免許証は、既に作成済みだった。
そんな1枚のカードを手の中でヒラヒラと弄びながら、史記の方へと微笑みかける。
「……んー? どうしたの? 免許書、ほしい? ほしくなぁい?」
その笑顔は、ニヤニヤと言う言葉がぴったりだった。
「…………ほしいです。ごめんなさい」
「うんうん。素直な子は大好きだよー。
それじゃぁ、ポーズとってみよっかー。まずは、そのままベットに寝転がって、セクシーな感じが欲しいなぁ」
「…………こんな感じですか?」
「うんうん、いいよいいよー。にゅふふー。今の史記ちゃん、すっごくセクシーだよー」
「…………ありがとう、ございます」
『ダンジョンの免許書のため。美雪のため。大丈夫、ここにいるのは俺じゃない。俺じゃない』そんな言葉を繰り返しながら、史記は、要求されるままに、ポーズをとり続けていった。
恋愛勇者の姉。
容姿端麗、成績優秀と非の打ち所がない彼女の趣味は、史記を女装させて写真を撮ること。
もともとは妹が欲しかった律姉が、史記を着せ替え人形の代わりにして遊び始めたのが事の発端であり、年を重ねるごとに女装男子の魅力に取りつかれた女性と、年を重ねるごとに黒歴史が増える男性が誕生してしまった。
いまでは自分の服よりも撮影会用の服を探しに行くことが多くなり『高いカメラじゃないと、史記ちゃんの魅力は映せないよね。よし、お姉ちゃん、奮発しちゃうよ』とボーナス全額を注ぎ込んで、史記専用のカメラを購入するレベルである。
ちなみに律姉は『女装男子への愛情表現』と名乗る団体に所属しており、彼女が手掛ける写真は素晴らしいと絶賛され、カリスマ的なポジションを樹立して居る。
そんな彼女が撮るターゲットは、史記、ただ1人だけである。
ゆえに、史記には隠れたファンが多数存在し、その中には、男性の姿もあるとか無いとか……。
「にゅふぅー。いいのが撮れた。すっごくかわいいよ。
史記ちゃんも見てみる? 可愛い自分の姿」
「……いえ、結構です。
どうでしょう律姉さん、これで満足してく――」
「じゃ、次の服ねー。これも絶対似合うと思うんだー」
「……あの、もうそろそろ――」
「んー? 免許書、要らなくなっちゃったー?
せっかく、お姉さんが無理をして確保してきたのに」
「…………わー、つぎのいしょう、たのしみだなー」
「でしょー。次のは、これ!! ポイントは、このキュロットね!!
清楚なお嬢様って感じで、史記ちゃんにピッタリなのよ」
その後も、律姉が史記のために買い集めた可愛らしい衣装に着替えさせられ、ポーズをとらされ続け、結局、彼女が満足したのは、最初の衣装での撮影を始めてから4時間が経過したころだった。
こうして、何か大切なものを失う代わりに、ダンジョンの免許書を手に入れたのだった。