31話 兄の可能性
「ふぅ、なんとか一撃で倒せたか……」
小さな声で呟いて安堵の息を吐き出した史記が、枝を構えたまま、後方へと声を投げかける。
「美雪、ちゃんと倒せてるか見てくれるか?」
「あっ、うん。……えーっと、……うん、大丈夫。
ちゃんと採取可能になってるよ」
「サンキュー」
どうやら不意打ちの心配は無い様だ。
無意識に力が入った両肩を回し、すこしだけ疲れをほぐした史記は、その身に纏っていた緊張感を解いて後ろをむく。
出来る限りの優しい声で、青い顔をしている柚希に声をかけた。
「ほかには、居ない? だいじょうぶそう?」
「ぁっ!!」
そんな史記の言葉に、なぜか驚いた表情で飛び上がり、ひどく慌てた様子で柚希が自分の胸元へと視線を落とした。
そこには、いつの間にか上の方へと戻って来たペールが、谷間からにゅるんと顔だけを出したような状態でおとなしくしている。
どうやら、奥へと潜る意思は無くなったようだ。
「あっ、う、うん。他の敵は居ない、みたい」
スライムから身を守ってもらうために、柚希に甘えていたのだろう。
つられるようにペールの姿を覗き込んだ史記が、嬉しそうな笑顔を柚希へと向ける。
「敵の襲来を教えてくれて助かったよ。ありがとう、さすが柚希だな」
「……ぅ、うん。ゃ、それは、ペールちゃんのおかげで、私じゃないかな。
……ごめん、ちょっとだけ座るね」
そんな言葉を発すると同時に、柚希がその場に崩れ落ちるように、ペタンと座り込んでしまった。
胸に居るペールに手を当てた状態のままなので、ぱっと見ただけでは、神に祈っているかのようにも見えるが、その顔は見るからに調子が悪いようで、心穏やかな祈りとは程遠い。
「ゆずちゃん!?」
親友の突然の行動に慌てた美雪が、急いで彼女のもとへ駆け寄ろうとしたものの、照れたような笑顔を見せた柚希が手を横に振ってそれを制止する。
「だいじょうぶ。ちょっとびっくりしちゃっただけだから、ごめんね、心配かけて。
モンスターとの戦闘も、史記くんだけに任せちゃったね。そっちもごめんね。次は私も一緒に頑張るから」
そう言って無理に笑顔を作る柚希の表情は、恥じらいと申し訳なさが半々に混ざりあっていた。
「えっと、うん。……大丈夫なら、いいの」
今回の敵は雑魚の代表とも言えるスライムだったものの、戦闘自体は間違いなく命の奪い合いだった。
そのような光景を目にして、恐怖を感じない方が間違っているとさえ言える。
そんな状況ゆえに、史記は、柚希を責める気など端から持ち合わせてなど居ない。
「いやいや、敵を1番に見つけたんだから、十分な戦力でしょ。
俺も疲れたから、休憩しようか」
そう言って柚希と同じように、史記もその場で腰をおろした。
「だめもとだったけど、ペールと柚希は優秀だな。
この分なら、この前みたいな奇襲は心配ないね」
その当時の状況を思い返すように、少しだけ視線を上へとずらした史記が、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「そうだね。あの時はお兄ちゃんが死んじゃうかと思ったもんね」
「ソウダネー」
史記を責めるような美雪の言葉に続いて『そんな危ないことしたの!?』と言いたげな鋭い視線が柚希の目から発射される。
そんな2人の非難を浴びた史記は『あははー』と乾いた笑い飛ばした後で、不器用に口笛を吹いた。
『ちょっとでも柚希の気がまぎれるなら良いな』と思い、自分の恥ずかしい話題を提供したのだが、どうやら失敗だったようだ。
『この話題はヤバいな。面倒なことにしかならない』そう感じた史記が、慌てて地面に沈んだスライムへと視線を移す。
「えぇーっと、このナイフで捌けばいいんだよな?」
そういって立ち上がると同時に、ポケットに仕舞いこんであった小さなナイフを取り出して、美雪の判断を仰ぐ。
「うーん。たぶん、そうだと思うよ?」
だが、そんな史記の問いかけに対して、返ってきた言葉は、かなりあやふやな物であった。
鑑定さんからの情報は『採取可能』という一言だけであり、詳しい説明など一切無い。それ故に、美雪の答えが疑問の形を抜けないのも無理は無かった。
「……骨どこ? ってか、スライムって魚? 肉? 野菜?
どうやって、捌くのさ?」
「んゅ? それは、もちろん。勘と雰囲気に決まってるよ。
大丈夫、お兄ちゃんなら出来るよ」
良い笑顔を浮かべた美雪が、右手の親指を上に突き出し『やれるやれる!!』と根拠のない後押しをする。
「いや、うん。それはちょっと兄を買い被り過ぎじゃないか?
…………柚希、わかるか?」
「私の辞書に、スライムの捌き方はのっていないかな」
「ですよね……」
美雪はあてにならんとばかりに、柚希へとターゲットを変更した史記だったが、さすがの柚希でも、モンスターの捌き方は知らないらしい。
『どうする? 家帰ってネットで調べながら捌くか? ってか、そもそもネットに情報あんのか?』などと考えを巡らせた史記だったが、横から『考えるなー、感じろー、お兄ちゃんならできるんだー』などと美雪が煽るので、
「…………とりあえずやってみるか」
「うん、やろうやろう!!」
そういうことになった。