29話 ナイフのちから
刃渡りは4センチほどの小さなナイフ。
厚みも薄く、バタフライ特有の可動部もかなり弱々しいが、分類上は間違いなく刃物だ。
(少なくとも枝よりは強いだろ)
そう判断した史記が赤く塗られた木のグリップを握り、嬉しそうに掲げて見せた。
もともとは美雪が見つけた物なのだが『これはお兄ちゃんが使う物だとおもうよ』と言って渡してきたのだ。
『可愛い顔に傷でも付いたら大変だし、戦うのはやっぱ俺の担当だよな。このナイフで頑張るぜ!!』と新しいおもちゃを買ってもらった小学生のようにニヤニヤと史記が笑う。
決めポーズでもやりそうな雰囲気である。
「お兄ちゃん……」
そんな史記の横には、痛々しい雰囲気の兄をなるべく視界に入れないように努力する妹と、その親友の姿があった。
中二病全開の兄など、妹にとっては恥じ以外の何物でも無い。
「お兄ちゃんが、お兄ちゃんでごめんなさい……」
「えっと、んーと、……うん。
御察しします……」
あの柚希でさえ、フォローの言葉を探し出せなかったようだ。
2人の白い視線が史記に突き刺さるものの、史記にとってはどこ吹く風。
これっぽっちも妹の恥じらいに気づいた様子は無い。
それどころか、左足を半歩さげて半身になり、左手を腰に当てた状態で、右手に持ったナイフを上段、中段、下段へと突き刺すように振いだしてしまった。
挙句の果てには『今の動き、良かったよな!!』とでも言うようにニヤリと口角を吊り上げる始末。
完璧なドヤ顔の兄に『はぁ……』とため息をついた妹に続いて『あははは』と柚希の乾いた笑い声がその口から漏れでる。
「史記くん、ご機嫌だね。
けど、良かったの? 史記くんにナイフあげちゃって」
「うん。さっきも言ったけど、あれ、お兄ちゃんの担当だからねー」
そう言いながら兄へと向けているその視線は、哀れみと悲しさだけが込められているようで、少なくともナイフに対する未練などは一切感じられない。本当に、ナイフのことは何とも思っていないようだ。
そして続けられる美雪の何気ない言葉。
「採取限定の装備なんて、ユキはいらないもん」
「「……え?」」
その言葉に、2人の声が重なった。
キョトンと目を丸くする柚希の横で、右手にナイフを構えたままの史記が、間抜け面を美雪の方へと向ける。
「……採取、……限定?」
「んゆ? そうだよ? 採取のスキルがついたナイフで、採取以外の使用は不可なんだって。
お兄ちゃん『採取したいぞー』って叫んでたでしょ」
「…………いや、まぁ、……うん」
確かにスライムの刺身が食べたくて、採取が出来る装備を探したいと言っていた記憶はあるが、叫んだ記憶は無い。
「お料理はお兄ちゃんの担当だもん。お魚さんを捌けるんだから大丈夫かなーって。
だからそのナイフは、お兄ちゃんが持ってたらいいんだよ。ユキはお魚さんも無理だもん」
「……あ、うん」
どうやら、そういうことのようだ。
採取のミニナイフ。それが史記の手の中にあるナイフの正式名称らしい。
能力は美雪の言葉通り、採取が可能であることと、武器としては利用できないこと。もし武器として利用しようとしても、すぐに壊れてしまう設計になっているとのこと。
どうやら新しい攻撃手段ゲットでは無かったようだ。
「武器が……、俺の短剣ライフが……」
先ほどまでの浮かれ気分は一気に急降下し、茫然とした表情で史記が肩を落とす。
たしかに採取が可能になった事はうれしく思うのだが『っしゃー!! 戦闘力アップ!!』と意気込んでいた史記にとって、攻撃不可のダメージは大きかった。
美雪がナイフを渡してくれたことに関しても『これでカッコよく敵を倒してね、お兄ちゃん』という意味だと思っていたのだから尚更だ。
無邪気な笑顔で『これでスライムの刺身が食べれるんだよね? 美味しいのかな?』と話す美雪の言葉も、今の史記には正面から正しく受け取れそうになかった。
「…………」
手元のナイフへと視線を落とし、茫然と肩を落とす。
そんな心に深い傷を負った史記を見かねてか、ゆっくりと近づいてきた柚希が優しく声をかけた。
「えーっとね。折角だから、おためし、ってことで、ひと狩り行こうよ。ね?」
下を向く史記の視線と合わせるように少し屈んだ柚希が、両手で史記の左手を包み込む。
ちょっとした肌の接触と上目遣い。
すこしだけ使い古された手だが、落ち込む男子高校生には有効な手段だ。
「……そうだな。…………そうするか。
美雪もそれでいいよな?」
「はーい、だいじょうぶ!!」
結局、ただの木の枝を右手に持ち、ナイフをポケットに仕舞った状態で、木の家をあとにすることになった。
『美雪は俺にナイフを渡しただけ。勘違いした俺がバカなだけ。柚希にも心配かけるな、頑張れ俺』そう自分に言い聞かせながら。