21話 新たな目標
ダンジョン発見から3日目のその日。
いつもより早足で学校から帰宅した史記と美雪は、慌ただしく美雪の部屋の模様替えをしていた。
いつもは押入れの中に仕舞われている大きめの机を引っ張り出して、部屋の中央に置く。
その上に、オレンジジュースやコーラが乗ったお盆を乗せる。
石造りの怪しい階段に分厚い木の板をのせて、その上にマットを敷いて誤魔化す。
なぜ彼等がこんなことをしているのかと言えば
『史記くんは、勉強してないんでしょ? せっかくだから、昔みたいにみんなで勉強しよっか』
などと言う提案が、柚希の口から出てたからである。
昨日のランニング後に突然始まった『美雪主催のセクハラ大会』は、史記の1人負けで決着を見た。
落ち込む史記を尻目に、お嬢様達は楽しそうに会話を続け、
『そういえば、実力試験近いけど、2人は勉強進んでるの?』
などと柚希が切り出した結果、淡路家で『第1回 高校生の楽しい勉強会』が開催されることになっていた。
そこに史記の意見が取り入れられるようなことは無く、半ば強制参加である。
いくら共通の友人とは言っても、男である史記の部屋に柚希を入れることは躊躇われた。
ずっと美雪の部屋で行っていた勉強会を今になって史記の部屋に変更するための『良い言い訳』が思い浮かばなかったという理由もあった。
淡路兄妹が行っているのは、ダンジョンの隠ぺい工作である。
美雪が無邪気な笑顔で『地下室作ったんだー。いいでしょー』と言う作戦もあったのだが『そうなんだ、見てみたいな』などと言われてしまえば終わりなので、こうして隠しているという訳だ。
そもそも『いやー、部屋の中にダンジョン出来ちゃってさー』などと正直に言えば良いのかもしれないが、周囲に心配をかけることを嫌う淡路兄妹は、世話好きの柚希に対してこれ以上の迷惑はかけないようにしようと決めていた。
そうして慌ただしく勉強会の準備を整えていた淡路家に『ピンポーン』と来訪者を告げるベルが鳴る。
「こんにちはー」
「いらっしゃい、ゆずちゃん」
「はい、これ。頼まれてたケーキ。冷蔵庫に入れといてもらえるかな?」
「ありがとー。あがって、あがってー」
主催者である柚希が到着し、お菓子やケーキ、ジュースを交えた勉強会が始まった。
美雪は、わからない場所があれば柚希に聞く。
史記は、柚希にべったり教えて貰う。そんなスタイルだ。
「そこは、そっちじゃなくて、こっちの公式だね。
ここの共通項を括りだしたら、1つ前に解いた問題と同じ形でしょ?」
教科書を手にした柚希が、横から乗り出すようにして史記の前に置かれた解答用紙にいろいろと書き込んでいく。
柚希が動くたびにふわりとした香りが史記の鼻腔をくすぐるが、彼にその香りを楽しむだけの余裕は無い。
「……なるほど、わからない。
…………わるい、もう一度、説明頼む」
史記の理解は遅かった。
必死に理解しようとしているようだが、基礎となる部分が疎かになっているため、どれだけ理解しようと試みても頭に入ってきてくれないのだ。
だが、そんな史記にも癇癪を起すことなく、柚希は丁寧に教え込んでいく。
「だからね。ここが――」
「お兄ちゃん、うっさい!! ゆずちゃんに何回同じ説明させてんの!?
ほんと、おにいちゃんってば、おにいちゃんなんだから!!」
柚希の言葉を美雪遮った。
あまりの無能具合に、柚希より先に美雪が癇癪を起したのだ。
「……いや、あの。……ほんと、すいません」
全面的に史記が悪いのだから、ただ謝ることしか出来ない。
勉強会を始めた当初はダンジョンの存在が気がかりだった史記だが、時間と共にその存在を忘れて勉強に集中していった。
もっと端的に言えば、予想以上にテスト範囲の内容を理解出来なかったため、ダンジョンを気にする余裕すらなくなっていた。
今回のテストは直接成績に響くものでは無く、入学したばかりの生徒達の実力を学校側が把握するために行われるものなのだが、その内容は入学試験とほぼ同じ。
つまり、今回のテストの出来が悪いということは『俺、中学校の勉強、出来ないんだよねー』と言って回っているようなものだ。
『遅かれ早かれな気もするけど、さすがに入学2週間はヤバいだろ』そう感じた史記が、本気で勉強に取り組むものの、彼の実力では、1時間や2時間程度でどうにかなるようなレベルでは無かった。
「史記くん。入試以降、全然勉強しなかったでしょ?」
「……はい。おっしゃる通りでございます」
「春休みの宿題は?
入学式の日に提出しなきゃいけなかった問題集」
「あれは……。美雪様の回答を写させていただきました」
恥も見栄も投げ捨てて、妹に土下座で頼みこむ。それが史記という男だった。
成功の鍵は、何ヶ所かわざと間違えることである。
盛大なため息と共に肩を落とした柚希は、真っすぐな視線を美雪へと向けた。
「美雪ちゃん。テストの日まで毎日通うね」
「うん。悪いけどお願いね。
ほんと、バカなお兄ちゃんでごめんね」
「ごめんなさい。すいません。申し訳ありません、ほんとごめんなさい」
テストまで残り1週間。
史記の理解力を知り尽くしている柚希は『放課後だけじゃなくて、お昼休みも利用しなきゃダメかな』と心の片隅で思いながら『史記の赤点を回避する』という、新しい目標を掲げるのだった。