20話 バランス対策
それから20分ほど走り続けた兄妹は、2人仲良く、川沿いに作られた土手の上に寝転がっていた。
ダンジョンの1階で寝転がっていた時とはまた違った清々しさが2人を包むものの、妹の方はそれを楽しむだけの余裕は無い。
「ひゅぁ、はっ、はっ、ふゅ」
全身からは滝のように汗が吹き出し、乙女の顔が苦痛で歪んでいた。
本当にゆっくりとしたスピードだったものの、たった20分走っただけでこのありさまだった。
完全に運動不足である。
きっと明日は、筋肉痛に悩まされることだろう。
そんな妹の横では『いーち、にーい、さぁーん、しーぃ』と、史記が腹筋運動を繰り返していた。
腕立てと背筋も、それぞれ100回ずつ行う予定である。
本当なら『筋トレも、美雪と一緒にやろうかな』と考えていた史記だったが、息も絶え絶えな妹にこれ以上運動させるほど鬼ではない。
むしろ、ひとっ走りして、妹のために、近くのコンビニでペットボトルの水を買ってきたほど、甘い男だ。
帰りはきっと、ゆっくりと歩いて帰るのだろう。
『今日は、行きだけでも走ってくれただけでOKかな。ってか、明日から、どうやって走ってもらおう? 絶対、イヤって言い出すよな……』
などと考えながら、史記が腕立て伏せ100回を終わらせた頃。
不意に、土手の上から声がかかった。
「史記くんと美雪ちゃん? どうしたの、こんなどころで」
土手を見上げれば、史記と美雪が通う高校の制服を身に着けた1人の少女が、そこに居た。
「あー、ゆずちゃんだ」
そんな少女の方に上半身だけを向けた美雪が、嬉しそうに右手を振る。
應戸 柚希。
淡路兄妹とは小学校からの付き合いで、交友関係の薄い美雪の数少ない友人だった。
高校では兄妹とクラスが離れてしまったために、若干疎遠になっていた部分はあるが、中学時代は毎日のように美雪を訪ねて淡路家を訪れていたため、美雪はもちろん、史記とも仲が良い。
成績が優秀で教えるのも上手かったため、テスト前などは史記の方が彼女を頼っていたこともあった。
ちなみに美雪の成績は、可もなく不可もなく、と言った感じである。
若干のあどけなさは残るものの、その顔だちは美人と言って差し支えなく、腰に届きそうなストレートの髪からはお淑やかな雰囲気を感じることが出来る
同級生と比べればかなり発育が良い影響もあって、中学時代に男子を中心に行われた『メイド服を着せたい同級生ランキング』でぶっちぎりの1位を獲得した過去を持つ少女だった。
若干転びそうになりながらも、淡路兄妹に近寄って来る柚希に対し、美雪が嬉しそうな笑顔で声を飛ばす。
「ゆずちゃんこそ、こんなところで会うなんて珍しいね。学校の帰り?」
そんな美雪の質問にたいして、長い髪を揺らしながら首を横に振った柚希だったが、その口が言葉を発する前に彼女の体が前のめりに倒れた。
「わ、きゃっ!!」
「ゆずちゃん!?」
慌てた美雪が駆け寄るものの、すぐに起き上がった柚希は『失敗、失敗』とはにかんでみせた。
どうやら怪我はないらしい。
ほっ、と胸を撫で下ろした美雪は、一瞬で気持ちを切り替えて圧倒的な存在感を示す大きな胸に視線を向ける。
「さては、そのおっきなおっぱいが重たくて、バランス崩したんだなー。でもって、おっぱいがクッションになったから、怪我しなかったんだなー。
うにゃー、うらやましいー。ちょっとだけ頂戴!!」
そんな言葉と共に、美雪が柚希の胸へと飛び込んだ。
「え? きゃー。やん。ちょっと、美雪ちゃんやめてったら。
胸が大きくても良いことなんてないんだよ? 重いし、肩凝るし」
「にゃーーーー!! そんなこというのは、このおっぱいかーー!!」
「あ、だめ。やん‼
おっぱいはしゃべらないよー」
もはやセクハラなどというレベルの話ではない。
そんな仲良くじゃれ合う2人に背を向けた史記は、心を無にして背筋を開始した。
万が一、不用意な発言でもすれば、斬首は避けられない。
だが、そんな史記の行動もむなしく、悪魔のような質問が妹から飛び出した。
「おっぱいは大きい方が良いんだよ。そうだよね? お兄ちゃん?」
「うぇぃ!?」
突然の出来事に声をあげた史記だったが、妹の鋭い視線は真っすぐに彼の目を見据えていた。
「…………」
とっさに正しい答えが浮かぶはずもなく、助けを求めて柚希に目を向けた史記だったが、柚希からも『スレンダーな方が良いよね?』と返されてしまった。
どうやら逃げ道は用意されていないようだ。
「……いや、あれだよ。
女性の魅力は、胸じゃないんじゃないかな?」
当たり触りの無い答え。この場において、ほかに選択肢が無かったとも言える。
だが、そんな回答にも、辛辣な言葉が飛んできた。
「あっ、逃げた」
「逃げたね」
「……いや、逃げとかじゃなくて――」
「お兄ちゃん。はっきり答えて!!」
「そうだね。顔色を窺いすぎるのが、史記くんの悪いところかな」
「…………」
逃げることさえ許されない。
結局、玉虫色の回答ではお嬢様方を納得させることが出来ず『俺は、どんなおっぱいでも好きだぜ!!』や『柚希の胸も、美雪の胸も、愛しているよ』と、かなり屑な発言を繰り返すことで、その場を収めることになったのだが、妹からも柚希からも、ごみを見るような目で見られることになった史記は『もう帰っていい?』と、涙目になりながら、夕日に染まる空を仰いだ。