15話 初めての敵
ダンジョン。それはモンスターと呼ばれる特殊な生物が住まう場所。
「ん?」
初めにそれに気がついたのは、兄である史記だった。
地面に寝転がりながら流れる雲を眺めていた史記の耳が、不自然な草の音を拾う。
何者かがくさむらを分け入る、そんな音。
「…………‼」
一瞬だけ呆けたものの、ここがダンジョン内部であることを思い出した史記が、勢い良く体を起こした。
「んゅ? どうしたの?」
そんな兄に少しだけ遅れて体を起こした美雪の瞳に、地上では御眼にかかれない生物が写り込む。
「……お兄ちゃん。あれ…………」
それまでの和やかな雰囲気とは打って変わって、怯えた表情を見せた美雪が、袖口をぎゅっと掴む。
2人の視線の先には、丸くて青い、動く物体が居た。
大きさは銭湯で見かける洗面器くらいで、形は饅頭のような潰れた丸。
そのすべてが透き通った緑色をしていた。
一言で表すなら、『巨大な青りんごゼリー』だろう。
ぽよん、ぷにゃん、ぽてん、とそのプルプルしてそうなボディを弾ませながら、巨大青りんごゼリーがゆっくりと近付いて来る。
「…………敵か?
ってか、スライムだよな? 緑色だけど」
「……うん。スライム。
ダンジョンで1番弱いモンスターで、ダンジョンの掃除屋だって」
雑魚の定番。
知名度抜群のモンスターである、スライム様のようだ。
初めてのモンスターとの出会に恐怖と怯えを抱いていた2人だったが、スライムの歩みは非常に遅く、ぽてん、ぽてん、といった効果音が付きそうな感じである。
「…………なんか可愛いね」
「たしかに、モンスターって感じはしないな」
時折、躓いたように横へと転がるスライムを眺めていた2人が、次第に緊張感を無くしていく。
「……倒すの?」
犬や猫でも眺めるかのような視線をスライムに向けたまま、美雪が問いかけた。
「あー、んー、…………そうだな。それが目的だしな」
いくら可愛い動きをしていても、相手はモンスターである。
まっすぐこちらに向かって来ている以上、敵意のようなものも有るのだろう。
史記達が一方的に愛着を覚えたとしても、それは相いれない想いなのだ。
「……そうだよね。倒さなきゃ、だもんね」
「そーゆーこと。
そんじゃ、ちょっと行ってくるわぁ」
気負いなく宣言した史記を『気をつけてね』と言って同意した美雪が送り出す。
たいした話し合いもせずに決まった役割分担だが、史記だけしか攻撃手段を持たないのだから仕方がない。
木の枝を正面に構えて、ゆっくりと前に進み出た。
ぽてん、ぽてん、と弾んでいたスライムの動きが止まり、ずずずっと体を沈ませたかと思えば、そのまま地面から離れなくなる。
恐らくは、攻撃の予備動作なのだろう。
透明な緑一色の体のせいで目の有無すら確かではないが、こちらの位置はわかるようだ。
そんなスライムの動きに一層の集中を持って答えた史記が、じりじりとその距離を詰めて行く。
そして、手に持った木の枝が届きそうになった頃、不意にスライムが飛び上がった。
まるで縮んでいたバネが飛び上がるかのように、一瞬で史記との距離をつめる。
「うぉ、あぶね!!」
それまでのぽてんぽてんといった感じではなく、そこそこのスピードでの体当たり。
咄嗟に体をひねって避けた史記だったが、一瞬にして冷や汗がにじみ出る。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
「あぁ、大丈夫だよ。普通に避けれる」
強気に答えてみたものの、史記心臓は、かなりのスピードで脈をうっていた。
スライムの体当たりは、そこそこの威力に見えた。
もし直撃していれば、それなりに痛い思いをしたと思う。
(可愛い見た目でも、こいつはモンスターだ。倒す必要がある。これは戦いなんだ)
そう意識することが出来るくらいには、鋭い一撃だった。
心の中で喝を入れて平和ボケした意識を振り払った史記は、横を通り過ぎて行ったスライムに向けて木の枝を振り下ろす。
上段に構えた木の枝が、腕力と重力によって加速して、スライムへと向かう。
そして柔らかい物に当たった感触が、史記の手に伝わった。
木の枝が、その弾力に弾かれることなく、透明な体にめり込む。
「……っ!!」
キューと言う甲高い音。
その音を発したと思う生物は、潰れるかのようにその体が丸みを失い、水溜りのように地面に広がるのだった。