3-38話 九尾の神罰
(そういえば、俺、いま、女装中……)
恥ずかしさが込み上げて来るものの、視線は外せない。もだえてはいけない。
誤解を解かなければ、神罰が下る。
香奈の背後から迫り来る九尾の威圧が、史記の本能にそう告げていた。
「俺です。……淡路 史記です」
「にゃにゃ!? シキシキ!?????」
祈るような思いでつぶやけば、香奈の驚いたような声が響く。
目を大きく開いた香奈が、勢い良く駆けて来た。
間近で見詰める香奈の顔に、満開の笑みが浮かぶ。
「すごーい!! シキシキが可愛い!!」
どうやらわかってくれたらしい。
良かった……、ような。悪かったような。
湧き上がってくる複雑な感情に苦笑いを浮かべていれば、香奈の細い腕が伸びてきた。
「そのメイクどうやってするの!? ずるい!! ボクもする!!」
両腕を取られて、上下左右に大きく振り回される。
教えてくれるまで絶対に離さない、とでも言うように、香奈の手にぎゅっと力が込められた。
「いや、ずるくはないと思うんだけど……」
小さくつぶやいた史記が、迫り来る香奈の視線から目をそらす。
チラリと香奈の背後に目をやれば、9つの尻尾が床に垂れ下がっていた。
先ほどまで感じていた威圧は、完全に消えている。
(大丈夫、そうだな……)
どうやら許されたらしい。
ホッ、と胸をなで下ろした史記が、顔をのぞき込んでくる香奈へと視線を戻した。
「メイクとか衣装は律姉……、えーっと、<恋愛勇者>の姉にしてもらってる。というかされてる……」
口ごもりながら伝えれば、一瞬にして香奈の瞳に輝きが増す。
両腕が肩に伸び、前後に揺さぶられた。
「勇者君のお姉さん!? すごい、すごい!! 今度ボクにも紹介して!!」
「あ、あぁ、うん。了解」
「やった――!! シキシキ大好き!!」
抱き付かれてしまった。
先ほどまでの静けさとは打って変わって、真っ暗な教室の中に音があふれる。
その空間だけは廃校であることを忘れさせるかのような雰囲気だった。
麻衣先輩もすっかり恐怖が抜けたようで、気が付けばカメラを構えて輝くような笑みを浮かべていた。
「美少女に攻められる史記ちゃん‼ いいよー、すごくいいよー」
暗闇でもわかるほどに頬を上気させながら、麻衣先輩がシャッターを切り続ける。
そんな人間たちから少しだけ離れて、九尾が床の上にペタリと腹をつけた。
「類友とでも言うべきか。確かに我が巫女の友人よのぉ……」
窓から差し込む月明かりに照らされながら、九尾が小さくつぶやく。
顔にあきれを浮かべて、ふぅ、と小さく息を吐き出した。
「我が巫女が楽しいのであれば、それでよい」
悟ったように目を細めた九尾が、ぼんやりと窓の外に目を向ける。
口を大きく開いて、ふわりとあくびをした。
――そんな時。
不意にガラスの割れる音が、教室の中に飛び込んで来る。
全員の顔から笑みが消え、九尾がピクリと耳を立てた。
「下だな」
小さくつぶやいた九尾が、音もなく立ち上がる。
椅子と机の間をすり抜けて、香奈の足下に寄り添った。
「今度こそ依頼された敵だろう。行けるな、我が巫女よ」
「もちろん!!」
腰を折って九尾と視線を合わせた香奈が、自信に満ちた笑みを見せる。
そんな香奈に対して、九尾が満足そうに尻尾を振った。
「では行くとするか」
孔雀のように尻尾を広げた九尾が、人間たち1人1人の顔を眺めていく。
そして小さくうなずくと、廊下の方に視線を向けた。
「この中で雄は我だけだな。異論がなければ、我が先頭を進もう。乙女たちよ、ついて参れ」
もふもふの尻尾を見せつけるかのように揺らしながら、九尾がドアに向けて歩き出す。
ドアの前で立ち止まり、首だけを後ろに向けた。
「我が巫女よ。友達はしっかりと守るのだぞ?」
「もちろん!! ボクにお任せだよ!!」
「うむ」
満足げにうなずいた九尾が、鼻先でドアを開く。
もう一度チラリと後方を振り返ってから、廊下へと姿を消した。
そんな九尾の姿を見送った香奈が、史記たちに微笑みかける。
「シキシキとお姉さんも一緒に行くよね!? 逃げる前に追い詰めるぞー‼」
右腕を掲げた香奈が、腰に手を当てて気合いの声を放った。
「あ、あぁ……」
勢いに飲まれたまま返事をすれば、香奈に手を取られる。
細い腕に引かれて、教室を後にした。
廊下に出て最初に見たのは、9つの尻尾。
「うむ、皆の者、遅れるでないぞ?」
律儀に待っていてくれた九尾に、戸惑いを隠した史記がうなずいて見せる。
(乙女たちって……。俺、男なんですけど……)
そんな言葉を飲み込んだ史記が、揺れる尻尾を追いかけた。
遠くからもう一度、ガラスの割れる音が聞こえる。
出来るだけ音を殺して、階段に足をかけた。
「っ!!」
下をのぞき込んだ史記の目に飛び込んで来たのは、青白く照らされた太い骨。
人型の骨と犬のような骨が、散歩でもするように歩いていた。