3-35話 潜入ミッション
麻衣先輩に腕をつかまれながら、史記が緩やかな坂を登っていく。
1歩、また1歩と、おばけが出ると言う廃校に近付けば、絡められた麻衣先輩の腕に力が込められた。
「て、天使ちゃん。おばけ、いた??」
「いえ、いませんよ。ってか、まだ到着してませんしね」
「そ、そうだよね……、ひぃっ!!」
ほんの少しだけ麻衣先輩が力を緩めてくれたものの、小さな悲鳴と共に再び力が加わる。
一瞬の悲鳴に史記が身を固くしたが、特別なものは何もないように見えた。
「どうしました??」
「あ、あそこに、まっしろなおばけが……」
史記の肩に顔を埋めた麻衣先輩が、人差し指を正面に向ける。
その先にあるのは、真っ白い石とそこに掘られた中学校の文字。
月明かりに照らされた校門だった。
「麻衣先輩、あれはおばけじゃないですね。大きな石です」
「…………そう、みたい」
泣き出しそうなつぶやきが麻衣先輩の口から漏れ出し、柔らかな体が少しだけ遠ざかっていく。
「ほら、行きますよ?」
「う、うん……」
手を差し出せば、泣きそうな表情を浮かべた麻衣先輩が優しく握り返してくれた。
そうして、ホッとしたのもつかの間、1歩だけ足を前へと踏み出せば、麻衣先輩の柔らかな体が胸に飛び込んでくる。
「て、天使ちゃん、あれ……」
「あー、ゴミ袋ですね。不法投棄されたんでしょ」
「あ、ごみ。うん、そうだね。……ひぃっ!!」
「今度はどうしました??」
「あ、あれ……」
「大きな葉っぱですね」
どうやら本当におばけが怖いらしい。
1歩進めば止まり、また1歩進めば立ち止まる。
亀のような速度でしか前に進まない現状に、史記が、はぁ……、と小さくため息を吐き出した。
廃校へと続く坂の下に到着してから20分。
原因の調査どころか、未だ敷地内にすら到達していない。
麻衣先輩が身につけていた金属の類いはすべて脱ぎ捨てて貰ったので、抱き付かれても痛くはない。
むしろ役得とさえ言える状況なのだが、さすがに1歩ずつ立ち止まるのはやめて欲しかった。
「麻衣先輩はなんでおばけがダメなんです??」
「なんでって……、だっておばけだよ!?」
「いや、まぁ、そうなんですけど……」
泣き出しそうな瞳と共に、悲鳴のような声が返ってきた。
おそらくは、明確な理由などないのだろう。
また1つ、史記が、はぁ……、と小さなため息を吐き出した。
「俺が来たら大丈夫って話は、どこに行ったんですか……」
「そ、そうなんだけど……、ひぃっ!!」
今回は2歩進んだ。
次は是非とも3歩に挑戦して貰いたい。
「麻衣先輩って強いんですよね?? 大丈夫ですよ。おばけじゃなくてモンスター退治です。モンスターなら大丈夫でしょ??」
「……そ、そうよね。モンスターなら大丈夫よね。うん、大丈夫」
大丈夫、天使ちゃんがいる。天使ちゃんがいる。天使ちゃんがいる。
そう何度も口の中で言葉を繰り返した麻衣先輩が、1歩、また1歩と歩みを進めた。
だが、その顔は史記の肩に押しつけられており、周囲は一切見ていない。
(……まぁ、前に進むのならいいか。モンスターが出たらさすがに動いてくれるでしょ)
心の中でため息を吐いた史記が、しっかりと周囲の状況を把握しながら前へと進んだ。
怖くない、と言えば嘘になるが、麻衣先輩があまりにも怖がるせいで変に肝が据わってしまっていた。
「麻衣先輩、敷地の中に入りましたよ? どこから行きます??」
「……かえる」
「いや、そういうわけにもいかないでしょ。とりあえず、中に入りますね??」
「う、うん」
史記の立場からすれば帰ってしまっても問題はないのだが、さすがにそういう訳にもいかなかった。
いっそのこと、麻衣先輩を背負ってしまった方が早いのではないか。
そんな考えが何度も脳内に浮かんでくるものの、さすがに年頃の女性を背負うのはどうかと思う。
仕方がないので麻衣先輩を左手に貼り付けて、人気のないグラウンドの脇を進んで行く。
さびたジャングルジム。
水が抜かれたプール。
蜘蛛の巣が張った照明。
月明かりに照らされた校舎は、どこか寂しそうに見えた。
だがそれは普通の範疇でしかない。
手入れの行き届いていない普通の建物に見える。
「意外と綺麗ですね。ここって本当にモンスターが出るんですか? 窓ガラスとかも普通に無事ですよ??」
そんな史記の一言に、回されていた腕がぎゅっと強く締まった。
「や、やっぱり、モンスターじゃなくてゆうれ――」
「はいはい、気のせいですからねー。校舎の中入りますよー」
「…………うん」
どうやら不安をあおってしまったようだ。
なんだか、学校へ行きたくない小学生をなだめているような気分になる。
情報の共有はやめて、とりあえず中に入ってしまおう。
「麻衣先輩、鍵ってあります??」
「えっーと……。正面入り口の1番左を開けておくからって先輩が言ってたけど、もしあれだったから行かなくても――」
「1番左ですねー。了解しましたー」
ブツブツと小さく言葉を続ける麻衣先輩の声を遮って、指示された扉へと進む。
持ち手を引っ張れば、予想よりもスムーズに扉が開いた。
「天使ちゃん、ねぇ、天使ちゃん。もう、良いんじゃないかなー、なんて……」
「はいはい。とりあえず入りますよー」
「……はい」
泣き出しそうな顔で嫌がる麻衣先輩を無理に校舎内へと引き入れて、扉を閉める。
さて、どこから調べようか。
そんなことを思った瞬間、
――ガラ、ガラ、ガラ、ガラ。
どこか遠くの方で、扉を開いたような音がした。