3-25話 妹が不在中に
その日の放課後。
史記と鋼鉄が、美雪の部屋に出来たダンジョンの3階へと足を踏み入れていた。
いつものように淡く輝く霧が周囲を包むも、史記にとっては最早見慣れた光景。
初めて三階に足を踏み入れた鋼鉄も、その足取りはしっかりとしていて、ブランクのようなものは一切感じない。
そんな頼りになる男が隣にいることに心強さを覚えながらも、史記の脳内は全くの物事に埋め尽くされていた。
(こしあんと粒あんにしたら、たぶん怒るよな……。ダンジョン産で団子に使えそうなものって何かあったか??)
それは学校から出る前に、美雪に言われたこと。
水着の買い出しのお供を辞退する罰として『うぅ~。……お団子2種類、お兄ちゃんの手作りで許してあげる』などと言い渡されていた。
ヨモギ、きな粉、醤油、みたらし。
様々なお団子が史記の脳内を駆け巡るものの、しっくり来るものには巡り会えずにいた。
(こしあんは確定なんだけどな、美雪の好物だし……。ってか、あれか。美雪がいないのって今回が初めてになるのか……)
思い返せば今日までずっと、美雪の部屋に出来たダンジョンに入る時には必ず、美雪が後ろにいた。
口数の少ない鋼鉄といる影響もあってか、葉を揺らす風の音がひときわ大きく聞こえる気がする。
美雪に捧げるお菓子のメニューに悩んだ覚えの少ない史記が、今日に限っては決められずにいるのも、そうした環境の変化も影響しているのかもしれない。
そうして史記が最愛の妹に思いをはせていると、不意に鋼鉄の声が飛ぶ。
「来るぞ」
「ん? あ、あぁ、了解」
大盾を正面に構える鋼鉄に促されて目をこらせば、霧の中を進む<迷い地蔵>の姿が見えた。
薄らと光る霧の中に浮かび上がる、丸いシルエット。
それは、いつも通りの3階の光景だった。
だが、<迷い地蔵>との距離は、柚希がいる時と比べて明らかに近い。
<鑑定の眼鏡>の力を借りて状況把握に注力し続けていた柚希の索敵力は、すでに鋼鉄のそれを超えているようだ。
『史記くん、お願いね』
などと言う声が聞こえないことをさみしく思いながら、史記が手のひらサイズの石を取り出す。
その石を野球ボールのように握り締めると、地蔵目掛けて投げつけた。
霧を割くように進んだ石が、<迷い地蔵>目掛けて飛んでいく。
勢いを落とさずにお腹の辺りにぶつかると、コツン、という小さな音を周囲にもたらした。
一瞬だけ動きを止めた<迷い地蔵>が、目から光を放ち、頭上に小さな水の玉が浮かび上がる。
その様子を注意深く眺めた史記が、半身になって重心を下げた。
そうしていつでも逃げ出せるように心の準備を整えていると、鋼鉄がひときわ大きな石を放り投げる。
鋼鉄の手を離れた大きな石が<迷い地蔵>の頭上目掛けて放物線を描き、霧の中を進んで行く。
そしてその勢いを保ったまま、水の玉の横を通り過ぎた。
「う゛ぇっ!」
<迷い地蔵>の頭上を大きく飛び越えた大きな石が、遠く霧の中へと消えて行く。
予想外の事態に、史記の口から悲鳴が漏れ出し、心臓がドキリと跳ねる。
事前の打ち合わせ通りならば、鋼鉄の投げた石が水の玉に当たっていたはずなのだ。
慌てて腰をかがめた史記が、石を拾って投げ付ける。
小さな石が空中をさまよえば、<迷い地蔵>の頭にぶつかった。
カーン、という甲高い音が周囲に響く。
「っチ!!」
悲鳴にも似た史記の舌打ちに呼応するかのように、<迷い地蔵>の目の光が強さを増す。それに呼応して、水の玉が膨らんでいく。
半分ほどしかなかった水の玉が、顔と同じくらいになり、やがては<迷い地蔵>の肩幅よりも大きくなった。
前方から迫り来る圧力に、手足が震える。
無理に気持ちを奮い立たせた史記が、次なる石へと手を伸ばした。
そして再び、水の玉目掛けて石を放り投げる。
――その瞬間、
パシャリと音を立てた水の玉が、形をゆがませて<迷い地蔵>の頭上へと降り注いだ。
「わるい、手元が狂った」
飛び込んで来た声に視線をずらせば、何かを投げ終えた体勢で鋼鉄が表情をこわばらせていた。
どうやら史記が2個目を投げる前に、鋼鉄が石を投げて割ってくれたようだ。
地面に開いた小さな穴と、その中に光る魔石を見詰めて、ふー……、と大きく息を吐き出す。
そして小さく肩を振るわせた。
「まぁ、あれだ。ナイスフォーム。ちょっとびびったけど、結果オーライだろ」
申し訳なさそうな表情を浮かべる鋼鉄に向けて、そんな言葉を口にした。
敵の攻撃を利用して倒すのであれば、自分たち2人だけでも倒せるのではないか?
そんな思いつきにも似た鋼鉄の意見は、一応の成果を収めたと言っても良いだろう。
美雪や香奈のようなスムーズさはないが、男2人であるがゆえに、多少の無茶も出来る。
「地蔵は倒せるってわかったし。もうちょっと先に行ってみるか?」
「そうだな」
最悪、逃げ出せばいい。
そんな思いを胸に、男2人が更に奥へと進んでいった。