Chapter.1 ポプラの切り株亭へようこそ
異世界でも焼きたてのパンってのは美味しいものらしい。
「……それで、何で店の前で倒れていたんですか?」
「それが分からないから困っている」
ギルドのカウンター席に腰をかけ、焼きたてのパンを頬張る俺。
そして、それを反対側から不思議そうに眺める一人の少女。
「このパン、美味いね」
「ありがとうございます。ポプラの切り株亭、自慢の一品です」
「おかわりある?」
「はい、少々お待ちください」
そう言って少女は奥へと引っ込んでしまった。
『ポプラの切り株亭』。
それほど広くない敷地にログハウスのような建物をドンと構え、その中にテーブル席が二つと艶のあるカフェカウンターを置く。手作りっぽい木製の椅子を並べ、厳しい雪の寒さを和らげるため暖炉に火を灯す。その一つ一つが古めかしくて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。スキー場の近くにあるペンションか、それとも少し狙い気 味に作りすぎた喫茶店といったところか。
しかし、実際はどちらでもない。
正式な店名は、『冒険者ギルド:ポプラの切り株亭』らしい。
さっき彼女からそう聞いた。
「お待たせしました」
バスケットに小さいパンを何個か入れてくれたようだ。
「……それで、本当に記憶がないんですか?」
「いや、記憶はあるんだよ。ここは日本で東京。西暦2015年の十月。ついでに俺の名前は北町冬真だ。恐れ入ったか」
「そうですか。ここはフォリア大陸の北東に位置するカロリナ村。暦で現在は雪の月。私の名前はシルフィ・アルフォンソです。……どうでしょう、私たちに何か共通点があるのでしょうか?」
「馬鹿だなぁ。同じ人間だろ?」
「話を聞くと、それも怪しいですが」
顔色を一切変えず、それでいて遠まわしに『お前の頭はおかしい』というニュアンスが伝わってくる。俺はもう考えるのをやめてパンをかじることにした。こんなに温かくて美味しいパンが焼けるというのに、彼女の対応は冷めまくったピザのようにクール極まりない。
――シルフィ・アルフォンソ。
少しメイド服っぽい格好でカウンターに立つ彼女は、このポプラの切り株亭を一人で切り盛りしているらしい。それ以上のことは分からん。なんせ会ってから三十分と経ってないからな。
彼女の話によればこうだ。
道端に奇妙な服(というか俺の学生服)を着た男が店の前で倒れていた。気味が悪いので放っておこうと思ったが、そのままだと客がドン引きして店に入れず営業にならないし、店の前の雪掻きができないので仕方なく救助したという。あくまで仕方なく、だそうだ。
「しかし、こんなにパン食べていいのか? 俺、金なんかもってないぞ」
だったらパンに伸びる手を止めろと自分でも思うが、空腹状態に加えて焼きたての香りをかがされてはたまらない。
「いいんです。こんな日は開店休業ですから。でも、パンは毎日焼かないと感が鈍るので……どんどん食べてください」
ふと窓を見ると、ビュービューと音を立てながら雪が横殴りで吹き付けていた。なるほど。これじゃ人は来ないだろう。現に客は俺一人だけだ。
「さっきは吹雪いてなかったんですけどね。貴方を助けてから急に強くなりました。……なんででしょうね?」
知るか。……とりあえず、話題を繫げることにする。
「この辺は、結構雪が降るのか?」
「ええ、大陸の北側に加えて山沿いなので。この季節はよく降りますね。雪掻きが無駄になってしまいました」
白いティーカップをキュッキュと磨きながら彼女は話す。
「こんな日はめったにお客さんは来ません。ですから、貴方を助けた意味は少しあったようです」
「……どういうことだ?」
「簡単なことです。暇つぶしの相手になってください」
コト、と磨き上げたカップを置いて、次は真っ白な皿を手にとる。
「貴方の言うことは訳が分かりません。きっと違う世界の人なのでしょう。けど、聞いている分には面白いし、嘘を言っているようにも見えません。とても興味深いです。私は貴方のことが知りたい」
皿を拭く手を動かしながらも、視線は俺に向けられている。
「分かったよ。俺の話でいいなら好きなだけ、な」
というわけで洗いざらい喋ることにした。日本のこと、俺のこと、学校は面白くもあり退屈でもあって、そんな生活の中で調子に乗ったら橋から落下したこと。思いついたことから口に出し、シルフィは手を動かしながらそれを黙って聞くだけだった。ちょうど俺の話のネタは尽きた頃、磨き上げられた食器類は綺麗に積み重なっていた。
「……なるほど。だいたい分かりました」
「何が分かった?」
「やっぱり、貴方は変人なんだ、ということがです」
きっついなこの子。
「まあ、興味深い話が聞けました。退屈しのぎには十分でした。はい」
湯気が立つ白いカップがカウンターに置かれる。
「これは?」
「お茶です。ルーマと呼ばれる葉っぱを煎じて淹れます。昔、貴族が御喋りしながら飲んでいたお茶です。ちょうど良いかと」
「何がちょうど良いんだ?」
「貴方の話は十分に堪能しました。そして、今度はこちらが話す番です。私のことや、この世界の話も聞きたいでしょう?」
「……まあ、確かに」
「というわけでお茶でもすすりながら聞いていてください」
コホン、と一つ咳を入れて語る準備をした。結構さびしんぼなのだろうか。退屈しのぎ、と彼女は言っていたが単純に何かを話せる相手を探していただけなのかもしれない。
(……まあ、色々と考察するのは聞いた後にするか)
僕はカップを手に取って近づける。
ルーマ茶と呼ばれるその味と香りは、缶のホット紅茶よりずっと温かかった。