風の精霊
随分昔に書いた短編が本棚から出てきたので書き直して投稿
今日は風が騒がしい日だ。
記録的な暴風雨が街を襲っていた。築八〇年の大台を優に超えるこのボロアパートは雨粒が叩きつけられるだけで不安を煽るような音がする。テレビで見るニュースは風に煽られるレポーターの姿ばかりでつまらない。それは同居人も同じ感想らしい。いつも居間から聞こえるテレビの音がしない。
「ねぇお昼ご飯マダー?」
甘ったるい幼子の声がした。俺は忌々しくいながら視線をそちらに向けた。
そこには座布団を枕代わりに折りたたんで頭をのせている少女がいた。歳は詳しく知らないが見た目から推察するに一三、四といったところだろう。小柄なためか俺のワイシャツを勝手に拝借して、ワンピース代わりとでも言うように来ている。
目が合うと、彼女はまた気怠そうに声を出して訴えた。
「お腹すいたー。お昼ご飯マダー? このままじゃ餓死しちゃう」
だったら手伝えニート! と返したが、まるで俺の声を邪魔するように一際強い風がビュウッ! と吹いた。すると彼女はニヤリと笑った。
「ふっふっふ。なーんにも聞こえませーん」
今更耳を両手で塞ぎ、勝ち誇るように顎をツンと突き出す。
女で子供でなければ一発ぶん殴ってるところだ、と煮えたぎる感情を腹の中で押さえ込み、俺は前に向き直る。火をつけたままのフライパンの上に作りかけのチャーハンがのっている。具材はレタスだけ。黄色と薄緑の色合いが目に優しく映った。
焦げないようにフライパンを振っていると、また催促の声が聞こえてくる。
うるせぇたまには自分で作れよ、と言うと。
「やだよ。それじゃ君を居候にした意味がなくなっちゃうじゃない」
やる気のなさそうに畳の上で寝転んでいたここの家主である少女は立ち上がり、大してない慎ましくも涙を誘うような胸を大きく張った。
ため息が出た。
そう、彼女の言うように俺は今ここで居候している。いや、正確に伝えるならば居候『させられている』のだ。
本来俺はこんなボロアパートで、こんな生意気な少女に居候させてもらうほど落ちぶれてはいない。
すぐにでも出て行って他の住所を探してもいい。その旨を伝える。
「無理無理、君は『風の精霊』である私に呪いをかけられているの。だから絶対にここからは出ていけないし、居候はやめられないの!」
ビシッ! と指を差して決めるが言っていることは支離滅裂だ。というかなんて嫌な呪いだろうか。
呆れて首を横に振った。少女はいつもこんなことを言っている。
風の精霊だとか風の神様だとか。中二病は今年中に治しておくんだな、と忠告した。
「中二病じゃないもん! 本当だもん! 肉体年齢は中二でも精神年齢は五〇〇歳だもん!」
何それ余計に痛々しい。
「あ、馬鹿にしてー!」
プンスカという擬音が似合いそうな様子で地団駄を踏む少女。ここはボロアパートの二階だ。階下の部屋は空家だったはずだがその隣には大家さんが住んでいる。迷惑にならなければいいが。
そろそろチャーハンが出来る頃合だ。俺はコンロの火を切り、皿を二つ棚から取り出した。
服の裾を掴まれた。なんだと視線を下ろせば少女だった。
「嘘じゃないよ。ほんとだよ。私は風の精霊なの」
ああ、そうですか、それはすごいですね。
無視してさっさと散らかった机の上を片付けるように命じた。
「信じてないな!」
当たり前だろう。誰が一体中二病患者の戯言をまに受けるというのか。
悔しかったら本当に風の一つでも操ってみろ、と今度は俺が勝ち誇るように言った。人間に、ましてや思考が残念なだけの少女に出来る芸当ではない。
これで大人しく引き下がるだろう、と思っていた。
だが。
「……わかった」
少女は小さな声でそう答えた。
瞬間、彼女の表情が変わった。さっきまでダラダラしていた絞まりのなさはどこかへ消え失せ、真剣そのもの、凛とした顔つきで俺を見据える。
ゆっくりと呼吸を整えるように息を吸い、吐く。たったそれだけの行動だが、俺の目を釘付けにする。
そして、意を決したように彼女は目を見開き、その口から魔法の言葉を吐き出した。
「布団が吹っ飛んだ!」
オヤジギャグかよ! なんだったんださっきまでの真剣な雰囲気は!
はぁ、とため息をつき俺はチャーハンを皿に盛り始めた。
と、その時だ。
大きな風が吹いた。多分、今まで感じた中で一番大きな風。
雨粒が舞う外で、吹き荒れた。
俺は戸惑った。タイミングが良すぎる。
まさかと思い振り返る。すると少女はニヤリと笑みを見せた。
「ふっふっふ。見た見たぁ? これが私の力だよ!」
嘘だろ、ありえねぇ、こいつマジで――――。
不覚にも一瞬信じそうになった俺の思考を断つように、階下の部屋から大きな音がする。
ガチャアンッ!
それはおそらく窓ガラスが割れる音だろう、と俺は思った。
さっきの強風のせいで石か何かが飛ばされて窓に当たったのだろう。
そんな推測をしていると、先程までドヤ顔全開だった少女の顔が真っ青になり、小さく震えていた。
「ま、マズイ、窓ガラス割っちゃった……大家さんに怒られるぅうう!!」
いきなり叫んだかと思うとそのまま玄関の扉を開けて強風吹き荒れる外へと飛び出ていってしまった。
反射的にあぶねぇぞ、と声を飛ばそうとした。
が。
「うにゃあああああああああ!!」
ドタバタガタドタ!! と何かが転げ落ちるような音と共に悲鳴が響いた。
あ、階段でコケたな。金属製の外階段は雨に濡れると恐ろしく滑る。
もうひとつため息をつく。救急箱はどこにやったか。
傘を掴んで外へ出た。階段から見下ろせば少女はとても痛そうに膝を抱えている。大事はなさそうだ。
「痛いよぉ! 死んじゃうよぉ! お腹もすいたよぉ!」
怪我してもうるさいなコイツは。
呆れて苦笑いが出た。階段を慎重に降りる。横殴りの雨に傘は関係なさそうだ。
地べたに座る少女に手を貸す。彼女はそれを素直に取って立ち上がる。
「膝すりむいた……とっても痛いからプリン食べたい!」
俺は笑った。少々血が出ている膝を少し見てから、冷蔵庫に秘蔵のプリンが一つ残っていることを思い出した。
まったく、今日は風が騒がしい日だ。




