最初の過去
時を少しずつさかのぼる、それが時の妖精の出した条件だった。
一息にその場所までさかのぼることはできないし、途中経過が見えないと、それがどういう意味をもつかを知ることができない。
それは物語を適当に開いたページから読み進めるようなもので、前後の事態が読めないと、理解は難しいということだろう。
テオドールは、いつの間にか屋敷の玄関に立っていた。
傍らに立っていたはずの時の妖精の姿は見えない。
扉が開き、白い花嫁衣装姿の母親と、礼服姿の父親が屋敷の中に入ってくる。
両親の婚礼まで時をさかのぼったようだ。
母は幸福そのものといった笑みを浮かべ、父も笑っていた。
両親が微笑みあうのをテオドールは初めて見た。
二人はテオドールが見えていないようだった。
以前聞いた話では、母はお見合いで父に一目ぼれし、そのまま祖母が相手は再婚で難しいのではないかという忠告を押し切って父との結婚に臨んだのだと聞いたことがある。
望みをかなえることができた幸福に酔っている母、そしてそんな母に笑いかけている父、そんな二人からは、テオドールの今は到底ありえなさそうに見える。
二人は屋敷の奥へと手と手を取り合って進んでいく。
そんな二人をテオドールは無言で見送った。
そして二人はごく普通の夫婦として生活を始め母はテオドールを懐妊した。
その時には、テオドールはどこかに違和感を感じた。
幸福そうな母に寄り添う父に、感じた違和感。それは母の胎内のテオドールが育つにつれて大きくなる。
それはいよいよ出産という時に明らかになった。
父は徐々に母に対して表情を見せることはなくなった。
そしてテオドールは気がついた。幼いころから父についていた側近。彼は婚礼の日からずっと表情を見せていなかったことに。
こちらのテオドールが産声を上げた。
「男児でございます」
そう満面の笑みを浮かべて告げる産婆に父は気のない顔で頷いただけだ。
父が母の寝室に向かう。はあの寝台の傍らには小さなゆりかごがしつらえられ、その中に真っ赤な顔の乳児が寝かされている。
母は疲れた顔に笑みを浮かべ父がねぎらいの言葉をかけてくれるのを待った。
父は無表情にゆりかごの中を見下ろしていた。何も言わなかった。何か言いたげな母に対しても。
母に対して一瞬たりとも視線を合わせず。そのまま寝室を後にした。
すでにテオドールは何が起きたのか分かっていた。
父は芝居の終了を宣言したのだ。何も言わないことで。
「何かわかったかな」
時の妖精のニヤニヤ笑いが再び見えた。
思わずその顔を殴りつけたくなる。
「とっくに知ってる」
テオドールは叫んだ。
「そんなことはとっくに知ってたよ」
不意に扉が開いた。
「テオドール様、一人で何を叫んでおられるのです?」
父の側近が怪訝そうに扉を薄く開けて中を覗き込んでいる。
どうやら時の妖精は彼に見えていないようだ。