予定調和
険しい目で荒れ果てた室内を見回す。
目当てのものはすぐに見つかった。後ろ手に縛られたセシリアと、そのセシリアに剣を突き付け、たたずむ男。
「アレイスタ殿下の侍従、フリントか」
吐き捨てるように父親は言った。おそらく初老という年ごろ、半ば灰色に変じた髪とひげを蓄え、このような荒れ屋には不釣り合いな、威風堂々たる物腰。
「このような暴挙に出ねばならぬほど、アレイスタ殿下は追い込まれておいでか」
父親の冷たい声。しかし彼は一向に動じず、セシリアの首筋につきつけた刃に力を込めた。
「今だけです、じきに盛り返す」
テオドールにはそれが虚勢に見えた。テオドールだけではなくその場にいた全員が、同じ考えだったのだろう。さげすむような視線を彼に向ける。
「とっととその手を離し、セシリアを返せ、それならば命だけは助けてやる」
「こちらに是と言っていただければ」
「言葉などなんの役に立つ、こちらがそう言ってセシリアを放せば、その時はお前の死ぬ時だ」
武器を掲げてそう宣言する。
「セシリアを殺すと脅したとて、殺してしまえばお前も死ぬそれだけだろう」
人質は生かしてこそ、殺してしまえば楯にも使えない。それでも父親はうっすらと額に汗をかいていた。
自暴自棄になった相手が、腹いせにセシリアを害する可能性は少なくない。
何とか戦意喪失させてセシリアを開放させなくては。
刃物を突き付けられながら、セシリアは妙に冷静だった。
夫の言う通り、彼らの要求はセシリアを返すまでの口約束だ。セシリアが解放されたら、それを守る義理などない。
その場で始末されるのが関の山だ。もしかしたらすでに、別の何かが進行しているのだろうか。
「すでに下準備は済んでいるのですよ、我々の配下が、貴女方はアレイスタ殿下に与するものだと、すでに王都では密やかにささやかれている」
その言葉にさすがに虚をつかれた。
「何を考えている」
父親が厳しい声で詰問する。
「アレイスタ殿下に与するものが増えさえすれば、もう一度もう一度盛り返せるはずだ」
その目はあらぬ方向を見ている。たぶんテオドールにもわかる、この男のしていることはただ地獄への道連れを増やすだけだ。
父親の先ほどまでの様子を見ていてもわかる。よほどアレイスタ皇子の旗色は悪いのだろう。
「何をしてくれたんだ」
ぎりぎりとかみしめた歯の隙間から洩れて来る声音。たぶん完全に切れている。
「情報操作などたやすいことだ。かなりの数の人間が、お前達がアレイスタ殿下に寝返ったと信じているとだけ伝えておこう」
先ほどまでは、堂々として見えた物腰が少し歪んで見えた。それはたぶん狂気に侵されつつある人間だからだろうか。
部屋の隅でカルミアがくすくすと笑っている。この女は、今の状況を理解しているのだろうか。
たぶんこの計画がうまくいけば、何となくうまくいくんじゃないかと漠然と思っているんだろう。今まで読んだ物語にも、下っ端には適当な景気のいいことを教えていくと書いてあったし。
そうテオドールは断定して周囲を見回す。
こう着状態。そんな言葉がふさわしい。
その時、誰もが思わない人間が動いた。
セシリアが、身じろぎしたのだ。その身じろぎだけで、研ぎ澄まされた刃は、セシリアの首に食い込んだ。
それはとても赤黒く見えた。薄暗い中で鮮血の帯はとても赤黒く見えた。
吹き出す血に吹っ飛ばされたように、セシリアは床に倒れた。
出血量を見れば、助かるはずはなさそうだった。
そう、わかっていたことだ。テオドールのいた時代に、セシリアは生きていなかったから。
血だまりの中で事切れたセシリア、最初から決まっていたこと。




