婚約者が有能すぎて可愛げがない? ~その女がいなければ、王子の俺はただの無職でした~
第一章 王子様は甘やかされたい
王宮の庭園には、純白の薔薇が咲き誇っていた。
朝露をまとった花弁は真珠のように輝き、庭師たちの手によって一分の隙もなく整えられている。
まるで、あの女のようだ。
「……面白くない」
第二王子ディルクは、豪奢なベンチに身を投げ出した。
「面白くない! ちっとも面白くないんだよぉぉ!」
驚いた小鳥が一斉に飛び立った。
彼の婚約者、公爵令嬢クラリッサ。
社交界随一の美貌を誇り、財務大臣すら舌を巻く実務能力を持つ、王国きっての才女である。
金糸のような髪、澄み切った青い瞳、陶器のような肌。
その美貌だけなら、恋物語に登場する理想の姫君そのものだった。
問題は、中身である。
先日の茶会でもそうだった。
「クラリッサ。今日の君は、春の湖に舞い降りた女神のようだ」
ディルクが渾身の甘い台詞を囁くと、彼女は書類から顔も上げずに答えた。
「ありがとうございます。ところで殿下、新港湾整備に伴う関税収入の試算ですが、三割の増収が見込めます。こちらに署名を」
「……いや、今は君を口説いているんだけど」
「承知しております。お言葉はありがたく頂戴いたしましたので、次は署名をお願いいたします」
「もう少し照れるとか! 頬を染めるとか!」
「殿下。署名欄はこちらです」
恋愛の余地がない。
彼女の前では、自分は婚約者というより、仕事のできない部下である。
「俺だって男なんだぞ……!」
ディルクは拳を握った。
「たまには『ディルク様、素敵ですぅ!』とか言われたいじゃないか!」
その瞬間、脳裏に一人の少女が浮かんだ。
男爵令嬢リリィ。
栗色のふわふわした髪に、潤んだ大きな瞳。
幼い頃から親しくしている、可憐な少女だった。
「ディルク様ぁ……小鳥の巣が落ちてしまって……可哀想で涙が止まりません……」
あのとき、彼女は自分の胸にすがりついて泣いた。
なんと愛らしいことか。
守ってやりたい。
抱きしめてやりたい。
自分がいなければ生きていけない、そんな女性こそ理想ではないか。
「それに比べてクラリッサは……」
ディルクは頭を抱えた。
「俺がいなくても王国を三つくらい経営できそうなんだよなぁ……」
だが、婚約破棄などすれば大変なことになる。
国王である父は、クラリッサの能力を高く評価している。
下手をすれば王族の身分を剥奪されるだろう。
「廃嫡されたら、俺なんてただの無職の美青年じゃないか!」
薔薇園に、情けない叫びが響き渡った。
第二章 騎士は現実を突きつける
最初に相談したのは、幼馴染の近衛騎士アルフレッドだった。
「……つまり殿下は」
アルフレッドは剣を磨く手を止めた。
「王国最高の才女を妻に迎えられるという幸運を、わざわざ捨てたいと?」
「そうじゃない! 俺は愛を求めているんだ!」
「愛ならクラリッサ様がお持ちでしょう」
「どこに!?」
「殿下の机に積まれた財政計画書の中に」
「そんな場所に愛を隠すなよ!」
アルフレッドは深いため息をついた。
「殿下。先月の北部穀物輸送の遅延をご存じですか?」
「……そんなことがあったか?」
「ありました。輸送路が雪で閉ざされ、三つの領地で食糧不足が懸念されたのです」
「それは大変じゃないか!」
「クラリッサ様が代替輸送路を確保されました」
「へえ……」
「その際、殿下の名義で緊急救済令を発行しています」
「……俺の?」
「ええ。おかげで北部の民は、殿下を慈悲深い王子だと称賛しております」
ディルクは固まった。
「……俺、何もしてないぞ」
「存じております」
「なのに俺が褒められてるのか?」
「そうです」
アルフレッドは磨き終えた剣を鞘に納めた。
「殿下が華やかな宴会で微笑んでいられるのは、クラリッサ様がその裏で働いておられるからです」
「うっ……」
「それでもリリィ嬢がよろしいなら、どうぞ婚約破棄を」
「えっ、いいのか?」
「はい。男爵領で農業でもなさればよろしい」
「農業!?」
「殿下の白い手では、鍬を三度振ったところで泣き出すでしょうが」
「三度くらい振れるわ!」
「では四度で」
「そういう問題じゃない!」
ディルクは逃げるように部屋を飛び出した。
第三章 魔術師は夢を粉砕する
次に訪れたのは、宮廷魔術師カールの研究室だった。
「惚れ薬ですか?」
銀縁眼鏡の奥で、カールの瞳が冷たく光った。
「そうだ! クラリッサが仕事を忘れて俺に甘えてくるような薬はないか?」
「ございますが、他者の意思を奪う違法な精神干渉薬です。使用すれば処罰の対象になります」
「そ、そうなのか……」
「そもそもクラリッサ様には効かないでしょう」
「なぜ!?」
「精神防御結界を常時展開しておられますので」
「婚約者が惚れ薬対策までしてるの!?」
「以前、外国の使節から贈られた香水に精神干渉の術式が仕込まれていたそうです」
「そんな危険なことが……」
「クラリッサ様はその場で術式を解析し、密輸経路まで突き止められました」
「強すぎるだろ、あの女!」
カールは眼鏡を押し上げた。
「殿下。一つ伺います」
「なんだ?」
「クラリッサ様が突然いなくなったら、どうなさいます?」
「……え?」
「財政、外交、各領地との調整。殿下が担当されている公務の実務は、かなりの部分を彼女が支えておられます」
ディルクは沈黙した。
「では、リリィ嬢なら?」
「……小鳥の巣を直してくれる」
「国家財政は?」
「……無理だな」
「外交交渉は?」
「……泣くかもしれない」
「クーデターが発生したら?」
「俺と一緒に逃げてくれる!」
「逃走経路は誰が確保するのです?」
「…………」
カールは淡々と言った。
「愛情と統治能力は別問題です。リリィ嬢の優しさを否定する必要はありません。ただし、殿下が求めているのは伴侶なのか、それとも自尊心を満たしてくれる観客なのか、考えたほうがよろしいでしょう」
その言葉は、奇妙に胸に刺さった。
「……お前、たまに嫌なこと言うよな」
「事実を述べております」
「それが嫌なんだよ!」
第四章 王妃は微笑みながら牙を剥く
最後に頼ったのは、母である王妃エレノアだった。
奥庭では、午後の陽光が白いテーブルクロスに柔らかく降り注いでいた。
「母上ぇぇ!」
ディルクは王妃の足元に跪いた。
「俺はどうすればいいのですか! クラリッサは立派ですが、あまりにも冷たいのです!」
王妃は優雅に紅茶を飲んだ。
「まあ。クラリッサさんが?」
「はい! 俺が愛を囁いても、返ってくるのは書類と数字ばかり!」
「そう……」
王妃は静かにカップを置いた。
「ディルク。あなたのお父様が即位された頃、わたくしが何をしていたか知っていますか?」
「いつも父上の隣で優雅に微笑んでおられました」
「表向きはね」
王妃はにっこり笑った。
「裏では軍務卿の不正を暴き、貴族たちの隠し財産を摘発し、財政再建に奔走しておりましたの」
「……え?」
「お父様が若い侍女に少々夢中になられた際には、侍女を利用していた貴族の不正を調べ上げ、鉱山利権を没収いたしましたわ」
「母上……?」
「もちろん、侍女本人に罪はありませんでしたから、きちんと保護いたしました」
王妃は微笑んだ。
その笑顔が、なぜか恐ろしい。
「ディルク。王冠というものは、見た目ほど軽くありませんのよ」
「……はい」
「あなたのお父様が堂々と王座に座っていられるのは、誰かがその重さを分け合っているからです」
王妃は息子の頬を撫でた。
「クラリッサさんも同じ。あなたの未来を守るために、誰にも見えないところで戦っているのです」
「……でも、母上」
ディルクは俯いた。
「俺だって、愛されたいんです」
王妃の表情が少しだけ和らいだ。
「ええ。それは悪いことではありません」
「……!」
「けれど、あなたはクラリッサさんを愛してあげていますか?」
ディルクは答えられなかった。
「彼女が何を好きで、何を嫌い、何に傷つくのか。あなたは知っていますか?」
「それは……」
「彼女の誕生日に何を贈りました?」
「……宝石を」
「彼女は喜びました?」
「礼は言ってくれました」
「では、その宝石を身につけているところを見ましたか?」
沈黙。
王妃は悲しそうに笑った。
「ディルク。あなたは彼女に愛情を求めながら、彼女自身を見ていなかったのではありませんか?」
その言葉は、どんな叱責よりも痛かった。
第五章 鉄の令嬢の、誰も知らない夜
その夜。
ディルクは、クラリッサに謝ろうと執務室を訪れた。
だが、扉の前で足が止まった。
中から侍女の声が聞こえたのだ。
「お嬢様、もうお休みください。三日もまともに眠っておられません」
「あと少しです」
クラリッサの声だった。
「北部の救済予算を確保できれば、殿下の名誉に傷がつかずに済みます」
「ですが、お嬢様のお身体が……」
「大丈夫よ」
少しの沈黙。
そして、聞いたこともないほど弱々しい声が響いた。
「……私が倒れたら、あの方は困るでしょうから」
ディルクの胸が締めつけられた。
「お嬢様……」
「ねえ、マリア」
「はい」
「殿下は……やはり、私のような女ではお嫌なのかしら」
ディルクは息を呑んだ。
「そんなことはございません!」
「いいのよ。わかっているわ」
クラリッサが小さく笑った。
「私は可愛げがないもの。殿下が好まれるような、甘え上手な女性にはなれない」
「お嬢様……」
「でも……」
かすかに、紙の擦れる音がした。
「殿下が幼い頃、私にくださったものを覚えている?」
「青いリボンでございますね」
「ええ」
ディルクの記憶が蘇った。
十歳の頃。
庭園で転んで泣いていたクラリッサに、彼は青いリボンを差し出した。
「泣くなよ、クラリッサ。俺が守ってやるから!」
幼い日の、何気ない約束。
「俺のお嫁さんになったら、毎日笑わせてやる!」
そんなことまで言った気がする。
「……まだ、持っているのか?」
ディルクは思わず呟いた。
扉の向こうで、クラリッサが静かに答えた。
「……あの方は、きっと忘れているでしょうね」
小さな笑い声。
「私は一度だって、忘れたことがないのに」
ディルクは扉の前で立ち尽くした。
胸の奥が熱かった。
恥ずかしさと、後悔と、言葉にならない愛おしさが押し寄せてくる。
彼女は冷たいのではなかった。
ずっと、一人で頑張っていたのだ。
自分との未来を守るために。
第六章 小鳥の巣と、男爵令嬢の本音
翌日、ディルクはリリィを庭園に呼び出した。
「リリィ。少し話がある」
「まあ、ディルク様! どうなさったのです?」
相変わらず、愛らしい笑顔だった。
「……君は、俺のことをどう思っている?」
「もちろん、大好きですわ!」
「本当か?」
「ええ! お優しくて、お顔も美しくて、いつも私を助けてくださいますもの!」
ディルクは少し考えた。
「では……もし俺が王子でなくなったら?」
「え?」
「身分も財産も失って、何も持たない男になったら。それでも俺を好きでいてくれるか?」
リリィは目を丸くした。
「……ディルク様」
「正直に言ってくれ」
彼女はしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「お慕いする気持ちは変わりません。でも……結婚となると、少し不安です」
「……そうか」
「だって、ディルク様、お料理もお洗濯もなさらないでしょう?」
「……ああ」
「畑仕事も?」
「……したことがない」
「では、私たち二人でどうやって暮らしましょう?」
ディルクは言葉を失った。
リリィは困ったように微笑んだ。
「私だって、いつも守られていたいわけではありません。小鳥の巣を直すことくらい、自分でも覚えたいんです」
「リリィ……」
「それに、クラリッサ様は本当に素晴らしい方です」
「君もそう思うのか?」
「ええ。私の父の領地が洪水に遭ったとき、救済金を手配してくださったのはクラリッサ様でした」
「……知らなかった」
「ディルク様。あの方は、あなたが思っているよりずっと優しい方ですよ」
リリィは柔らかく微笑んだ。
「どうか、ちゃんと見て差し上げてください」
ディルクは深く頭を下げた。
「……ありがとう、リリィ」
初めて、彼女を守るべき小鳥ではなく、一人の人間として見た気がした。
第七章 バカ王子、初めて恋を知る
夕暮れ。
王宮の執務室は、茜色の光に包まれていた。
クラリッサは今日も書類に向かっていた。
金色の髪はきっちりと結い上げられ、眼鏡の奥の青い瞳は真剣そのもの。
「クラリッサ」
ディルクが声をかけた。
「はい、殿下。何でしょう?」
「……少し、話をしたい」
「あと五分ほどお待ちいただけますか?」
「いや。今、聞いてほしい」
彼女は不思議そうに顔を上げた。
ディルクは深く頭を下げた。
「……すまなかった」
「……はい?」
「俺は、君に甘えてばかりだった」
クラリッサのペンが止まった。
「君がどれほど働いていたかも知らず、君が俺を守ってくれていることにも気づかず……」
「殿下?」
「君は冷たいと思っていた。可愛げがないとも思っていた」
クラリッサの表情が、わずかに強張った。
「……そうですか」
その一言が、胸に刺さった。
ディルクは続けた。
「でも、違った。俺が君を見ていなかっただけだ」
沈黙。
「……誰に何を吹き込まれたのです?」
「みんなに叱られた」
「まあ」
「でも、最後に気づいたのは自分だ」
ディルクは机の上に、一つの小箱を置いた。
中には、淡い青色のリボンが入っていた。
「……これは?」
「昔、君に贈ったものと同じ色だ。古いものは傷んでいるだろうから、新しいものを選んだ」
クラリッサの瞳が大きく見開かれた。
「……覚えて、いらしたのですか?」
「忘れていた」
正直に答えた。
「でも、思い出した。俺は君に、毎日笑わせてやるって約束したんだよな」
クラリッサの唇が震えた。
「……本当に、バカな方」
「そうだな」
「今さら……」
「うん」
「今さら、そんなことを……!」
彼女は顔を伏せた。
ぽたり。
白い書類の上に、透明な雫が落ちた。
「……クラリッサ?」
「見ないでください」
「でも……」
「お願いですから……!」
ディルクはそっと彼女の手を取った。
冷たいと思っていた指先は、驚くほど温かかった。
「クラリッサ。俺は、君が好きだ」
彼女の肩が震えた。
「仕事ができる君も、怒る君も、俺の間違いを容赦なく指摘する君も……全部、好きだ」
「……殿下」
「ただ、一つだけお願いがある」
「……何でしょう」
「たまには、俺にも君を守らせてくれないか」
クラリッサはゆっくり顔を上げた。
涙に濡れた青い瞳。
真っ赤な頬。
いつもの完璧な令嬢とは、まるで違う顔だった。
「……では」
「うん?」
「今夜だけ……」
彼女は小さく息を吸った。
「今夜だけ、少し甘えても……よろしいですか?」
ディルクの心臓が跳ねた。
「もちろんだ!」
「……本当に?」
「ああ!」
「では……」
クラリッサはそっと、彼の胸に額を寄せた。
「……疲れました」
その声は、驚くほど小さかった。
「とても……疲れてしまいました」
ディルクは何も言わず、彼女を抱きしめた。
「うん」
「ずっと……頑張ってきたんです」
「知ってる」
「殿下に嫌われたくなくて……でも、殿下を守りたくて……」
「ごめんな」
「……バカ殿下」
「うん」
「本当に……大バカです」
「知ってるよ」
彼女は彼の胸で、小さく泣いた。
ディルクは、その涙が止まるまで抱きしめ続けた。
終章 最強の妻と、少しだけ成長した王子
それから数か月。
王宮には、小さな変化が起きていた。
「クラリッサ! 北部の穀物輸送について、俺なりに改善案を考えてみた!」
「……殿下が?」
「そうだ! 見てくれ!」
クラリッサは書類を受け取り、目を通した。
しばらく沈黙。
「……殿下」
「どうだ!?」
「誤字が七か所」
「うっ!」
「計算間違いが三か所」
「ぐはっ!」
「そして輸送費の見積もりが二割ほど甘いです」
「致命傷だぁぁ!」
クラリッサはため息をついた。
しかし、次の瞬間。
ふっと微笑んだ。
「……ですが」
「え?」
「輸送路の発想は、悪くありません」
ディルクは目を見開いた。
「ほ、本当か!?」
「ええ。改善すれば、十分に使える案です」
「やったぁぁ!」
子供のように喜ぶ王子を見て、クラリッサはくすりと笑った。
「……まったく、仕方のないお方」
ディルクは、その笑顔に見惚れた。
「クラリッサ」
「何でしょう?」
「君、笑うと本当に綺麗だな」
「……っ!」
クラリッサの頬が一瞬で赤くなった。
「な、何を突然!」
「いや、本当のことだから」
「そ、そういうことは、仕事中におっしゃらないでください!」
「じゃあ、仕事が終わったら言っていい?」
「……っ!」
彼女はしばらく黙り込み、やがて小さな声で答えた。
「……そのときなら、いくらでも」
ディルクは満面の笑みを浮かべた。
「よし! じゃあ今日は早く仕事を終わらせよう!」
「そのためには、まず誤字を直してください!」
「はいっ!」
廊下の向こうで、アルフレッドが呆れたように笑っていた。
「……ようやく人間になり始めましたね、殿下」
隣のカールが眼鏡を押し上げる。
「成長速度は遅いですが、改善傾向は認められます」
「生存確率は?」
「クラリッサ様がいらっしゃる限り、極めて高いでしょう」
二人は顔を見合わせ、静かに笑った。
一方、執務室では。
「クラリッサ!」
「今度は何ですか?」
「今日の仕事が終わったら、一緒に庭園を散歩しないか?」
彼女は少し驚いた顔をした。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……喜んで」
窓の外では、白薔薇が夕陽に染まっていた。
かつてディルクが退屈だと思った、完璧に整えられた庭園。
けれど今は、その美しさが少し違って見える。
薔薇が美しく咲くためには、誰かが土を耕し、棘に傷つきながら枝を整え、水を与え続けなければならない。
美しさの裏には、見えない努力がある。
愛も、きっと同じなのだ。
ディルクはそっと、クラリッサの手を握った。
「なあ、クラリッサ」
「はい?」
「俺、君にふさわしい男になれるかな」
彼女はしばらく彼を見つめていた。
そして、少し意地悪そうに微笑んだ。
「……そうですね。今のところ、道のりは非常に長いかと」
「ひどい!」
「ですが」
彼女は握られた手を、そっと握り返した。
「一緒に歩く時間なら、いくらでもございます」
ディルクは笑った。
「……ありがとう」
「その代わり、明日の予算審議には遅刻なさらないでくださいね」
「やっぱり仕事かぁぁ!」
王宮に、情けなくも幸せそうな叫び声が響いた。
こうして第二王子ディルクは、王国最強の才女の尻に敷かれながら、少しずつ、ほんの少しずつ立派な王族へと成長していくことになる。
もっとも、その道のりは長く険しく――。
「殿下! また計算が違います!」
「クラリッサぁぁ! 助けてぇぇ!」
「まずご自分で考えてください!」
――どうやら、まだまだ前途多難のようである。
それでも、二人の未来は明るい。
なぜなら、最強の妻が隣にいるだけでなく、ようやく夫となる男も、彼女と並んで歩こうと決めたのだから。
愛とは、誰かに守られることだけではない。
互いの弱さを知り、それでも隣に立とうとすること。
そして時には、愛する人に叱られながら、一緒に成長していくことなのだ。
白薔薇の庭園に、二人の笑い声がいつまでも響いていた。
― 完 ―




