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ブラック企業を辞めて隣の県に逃げた俺、なぜか隣室の眼鏡美人(※正体は推しの引退アイドル)に「ご飯を食べさせて」と捕まる。  作者: 英 慈尊


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8/12

押しつけがましくない推し活

「ごめん、長話になっちゃったから、少し冷めちゃったね。

 よかったら、『カノンたんの目覚めを温かく演出するハチミツ入りホットミルク』と『カノンたんの健康を心から祈って焼き上げたツナとミックスベジタブルのホットケーキ』、作り直そうか?」


「あうう……も、もったいないし、少し冷めても美味しいから大丈夫でしゅ……す。

 あと、料理の名前が長いです」


 カチャリと眼鏡をかけ直し、ついでに視線まで逸らしながら……どういうわけか真っ赤な顔になっているカノンたんが、俺の提案を断った。

 なるほど、これは……。

 血行が良くなっているんだな!


 牛乳という食品が持つ様々な効能、豊富な栄養に関しては、いちいちネットで調べるまでもない常識。

 それを温め、さらにハチミツという古代から愛されてきた万能の甘味が加わっているのだ。

 まさしくベストマッチ! どんなに朝が弱いタイプであったとしても、これを飲めばたちまち目が覚めること間違いなしである。


 そして――ホットケーキ。

 ツナにミックスベジタブル。今のカノンたんに間違いなく不足しているであろう栄養素を内包した、女の子受けがいいおかず系スイーツだ。

 それでいて、ちょっとのスペシャル感を漂わせているのがミソ。


 そもそも、欧米ではどーだか知らんが、日本において朝食にホットケーキやパンケーキを食べるというのは、特別なことである。

 用意するのが面倒というのもあるし、やはり、意識下ではスイーツというカテゴリに入ってるからな。

 推しが人生で迎えた新たなステージを、俺が押しつけがましくなく祝福するのには、最適な品であると言えるだろう。


 そう、大切なのは、推しが幸福であることだ。

 俺がそうなることじゃない。

 その心構えを表しているのが、今、周囲に広がっているこの光景――進化した我が|パーフェクトキングダム《完全王国》であった。

 推しのグッズを、中身はカノンたん祭壇(開閉式仏壇)や押し入れの中に収納しただけとも言う。


 何しろ、全周囲カノンたんで埋め尽くされたあのコーディネートは、当の本人にドン引きされたからな――当たり前だけど。

 カノンたんを幸福にしたい俺が、彼女へ恐怖心を与えるなど、決してあってはならないことなのだ。

 ゆえに、決意のお片付け! といっても、丁寧に収納するだけだから、小一時間で終わったけど。


 推しに押しつけがましくしない心構えの表れといえば、またそちらの話に戻るが……料理の選定もそうであった。

 正直、不足している栄養を補うという目的に沿うだけならば、もっとゴージャスに、スペシャルにする選択肢はいくらでもある。

 なんてったって、バラの花束仕入れに、車飛ばして場外市場まで行ってきたからな!

 エッグベネディクトやホテル風緑黄色野菜のサラダなど、朝食を高級路線で固めるのはそう難しくなかった。


 でも、それはしない。

 今回だけじゃない。

 今後も、だ。


 昨日、最初に俺の味噌汁をすすってカノンたんが浮かべた表情……。

 あんなにほっとした顔、そうそうないぜ?

 あれは、彼女が家庭的な温かさに飢えている証。


 大体、国民的アイドルグループ『ハニー・パレット(ハニパレ)』の絶対的エースにしてセンターだったカノンたんなのだ。

 俺ごとき庶民に連想できる豪華な食事など、食べ飽きていることだろう。

 こう……銀座で寿司とか、銀座で寿司とか、銀座で寿司とかさ!


 ゆえに、そっち方面で攻めても仕方ない。

 むしろ、偉い人を接待する嫌な記憶とか呼び覚まして、静かな充電期間を送っている彼女には逆効果かもしれなかった。


 だから、家庭的な料理を作る。

 そもそも、よそ行きの料理というか、過剰に豪華な食事というのは、どこか気を張るものだ。

 今の彼女に、余計な気は使わせたくない。

 推しを喜ばせたい一心で無駄に豪華なものを作り、愛想笑いを浮かべさせるなど決してあってはならないのであった。


 だから俺は、心の火を燃やして――ぶっ潰す。

 推しのために、この俺ができる最上級を用意したいと願ってしまう厄介ヲタクな自分の性根そのものを……!

 あ、だけどバラの花束は別腹ね。最初にちょっとお花送るくらいいいだろ。


 と、俺がそんなことを考えている間に、だ。

 カチャリ、カチャリと……フォークやナイフの音を奏でながら、カノンたんが『カノンたんの目覚めを温かく演出するハチミツ入りホットミルク』と『カノンたんの健康を心から祈って焼き上げたツナとミックスベジタブルのホットケーキ』を完食した。

 食べてる間、彼女が浮かべていた表情は、もう本当に幸せそうで……心の火にガンガン燃料が投下されてくる。


「……ごちそうさまでした」


 そして、丁寧に手を合わせての言葉。

 かつて『アイドル美食道』で魅せていたような、華やかさに満ちたキメ台詞とポーズではないけれど、心からの感謝に満ちたその言葉と所作が、4時起きの眠気を吹き飛ばした。


 ふっふ……。

 バラの仕入れと朝食の準備を終えてタキシードに着替え、朝7時からずっと玄関前でスタンバってたからな。

 玄関ドアの上にある電気メーターが動き出したのを確認し、でもいきなりだと迷惑になっちゃうかもしれないから、15分ほど間を置いて呼び鈴鳴らしたのである。

 これもまた、押しつけがましくしない完璧な気遣いであるといえるだろう。

 ……道行く人とかから怪訝な顔で見られていたのは、ここだけの秘密だ。


「お粗末様でした」


 と、ここまでがこの朝食を用意するにあたっての心構えと準備の話。

 その朝食も終わったので、これからについて切り出す。


「それで、カノンたん。

 君に幸せな隠居生活を送ってもらうにあたって、一つお願いしたいことがあるんだ」


「お願いしたいこと、ですか?」


 全身ピンクジャージで、畳の上に女の子座りしながら小首をかしげる眼鏡姿の黒髪カノンたん……。

 ふおおおおおっ⁉ あらためて見ると、最高に――(ハオ)

 フリフリの正統派アイドル衣装に身を包み、ステージの上でエネルギッシュなパフォーマンスを披露していた時とは、また別種の良さがある。

 体にピッタリとフィットしているジャージは、脱いだらうおっ……! すごっ……と評判なカノンたんのプロポーションが、脱がずとも明らかになっているし。


 だが、(ハオ)(ハオ)言っている場合ではない。

 今の彼女に感じているのは、いわゆる一つの――ギャップ萌え。

 ライジングにしてアルティメットなアイドルだったカノンたんが、プライベートではダルダル隙だらけな格好をしていることに、俺の脳味噌が謎のフェティシズムを感じているのだ。


 ただのカノンたん推しとして、遠く離れた所から応援している身分ならば、ただのご褒美と呼べる恰好。

 しかし、いざ彼女に寄り添い、幸福となる手助けをすると誓った身になってみれば、これは明らかな問題があった。

 そして、彼女を幸福にするということは、時に、彼女の意に反する行為をする覚悟も必要なのである。


「カノンたん。

 これは決して、悪意があっての提案ではないので、そのつもりで聞いてほしい」


「わ、分かりました。

 聞きましゅ……!」


 真剣な顔となり、グッと両拳を握る姿もラブリーなカノンたんだ。

 そんな彼女に、俺は心苦しく思いながらも……無情な宣告をしたのである。


「カノンたんのお部屋、掃除させて♡」




--




 Mission.


 |Clean up your idol’s filthy room《推しの汚部屋をどうにかせよ》.


 お読み頂きありがとうございます。

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