幸せの守り人
「えっと、無理しなくていいって……」
作りかけのスマイルを維持しながら問いかけるが、二海は真剣な眼差しをこちらに向けるばかり。
いや、ちゃぶ台に置いていたアイドル“カノン”と花岡花音の境界線――眼鏡をそっと拾って差し出しながら、こう言ったのだ。
「言った通りだよ。
無理しなくていいんだ。
昨日みたいに、麻薬中毒の患者が麻薬キメてトリップしたような状態ならともかく――」
「――待って。
わたし、そんなことになってました?」
受け取った眼鏡を装着しながら、素で尋ねる。
「うん、してた」
素の回答。
「そんなキツイ状態に……」
「キツイ状態のカノンたんもすっごく可愛かったよ♡
……さておき、今の君はお仕事でアイドルをしているわけじゃない。
無理して笑顔になる必要も、笑顔を作る必要もないんだ」
一瞬だけ限界オタク特有の超高音早口トークになった後、元の真面目な顔を作り直す二海だ。
なんという落差の激しさ……まるで、瞬時に生まれ変わりしているかのようである。
そして、オタクモード時はともかく、真面目モード時の二海にかけられた言葉で思い出すのは、あの人が自分に告げた言葉の数々。
――笑顔だ。
――誰にでもお前と同じ笑顔ができると思うな。
――お前という存在は、何かに選ばれ天恵を与えられている。
――ならば、そうでない者に恵みを分け与える義務がある。
――大衆のための犠牲となれ……!
……思えば、あの人ほど間近で花音のことを見てきた人間もいないだろう。
だが、彼が見ていたのはあくまでもアイドル――“カノン”。
そして、皮肉にもアイドル“カノン”を熱烈に追いかけ続けてきた一ファンの方が、花岡花音の欲しい言葉を分かっているのだ。
「わたし……いいんですか?
もう、笑わなくても、いいんですか?」
どうして、こんなものが溢れてくるのだろう。
自分は、その気になれば、ミリ単位で表情筋を操れるように訓練されてきたはずだ。
涙腺もまた、完全な制御下にある。
だから、花音が「泣こう」と思わなければ、それは流れないはずなのに……。
自然と、熱いものが頬を伝っていたのであった。
「いいんだよ。
泣きたい時は泣いて、笑いたくなったら笑えばいい。
昨日も言っただろ?
カノンたんには、幸せなことにだけ触れていて欲しいって。
無理するっていうのは、絶対に幸せじゃない。
……って、俺自身が勤め先でだいぶ無理しちゃって、静養中だから余計にそう思うんだけどさ」
頬をかきながら、照れ笑いしてみせる二海だ。
なんだろう?
明らかに花音より五つ以上は年上だろう彼であるが、こうしていると、小学生の悪ガキみたいな印象を受ける。
「じゃあ、わたしたちって、逃げてきた者同士なんですね?」
「やっぱり、そうなんだ?」
「……はい」
ホットミルクを、一口すする。
菓子というよりはれっきとした料理であるこの『カノンたん(中略)ホットケーキ』だが、それでもケーキはケーキ。
ミルクとの相性は抜群で、ほっと染み渡るマリアージュであった。
「ある日、急に何かが切れてしまったんです。
それで、お仕事もレッスンも自分の立場そのものも、全部嫌になって……」
「そういう事情か……」
「気が付いたら、何日もかけて私服、現金、身分証のコピーやSIMを分散して移動し、単独で行動するのが自然なレッスンへの移動時に失踪決行。
移動手段は徒歩やタクシー、各種の交通機関をいくつも使い分け、住民票も動かさないまま、口が固い友達に借りてもらったこのアパートに潜伏していたんです」
「ビックリするくらい計画的なカノンたんも可愛いよ♡」
「この業界、そういう話も結構多いので、自然
に知恵が……」
「芸能界の闇を語るカノンたんもウルトララブリー♡
方法はさておくとして、とにかく、アイドルやるのが嫌になったわけだ?
なら、やっぱりさっきみたいなことをするものじゃない」
タキシード姿の二海が、そこら辺に置かれていたボックスティッシュから一枚取り出し、差し出してくる。
こういう時、本当のスパダリなら、スマートにセンスのよいハンカチでも取り出すものなのだろうが……。
その決まってなさが、かえって花音を安心させた。
「君は、たっぷりと今この時間を楽しむべきだ。
うん……“楽しい”をやるんだよ。
そんなになるまですり減った心は、そうでもしないと治らない」
「いいんですか?
それだと、わたし……アイドル、本当に辞めちゃうかもしれないですよ?」
「いいに決まってる」
即答。
一切の迷いなく、二海遠矢はそう言い切った。
「カノンたん。
俺さ……運よく君のライブに参戦できた時は、いつも後方彼氏面スタイルになってるんだ」
「後方彼氏面……?」
花音とて、トップアイドルグループのセンターだったのだ。
当然、その用語も意味も知っている。
ただ、腕組みしている二海の姿は、大勢いた観客たちの中に埋もれていて覚えがないのは、申し訳ないけど……。
そして、そんな話を今、この場で持ち出された意図は分からないけれど……。
「んで、たまたまその場で仲良くなったカノンたん推しの同志とライブ後に飲み行ったりして、それぞれの参戦スタイルの話になったわけよ。
それで、『どうして二海氏は後方彼氏面スタイルなのですかな? デュフフ』って聞かれて、考えた末に出した答えがあるんだ」
とてもどうでもいいところまで、おそらくは忠実に再現したのだろう二海が、花音の瞳を覗き込む。
何しろド近眼の花音なので、実用性重視のプライベート眼鏡はひどくレンズが分厚い。
そのため、向こうからはこちらの瞳が見えていないはずだが……なんだか、すごくドキリとさせられた。
「俺は、カノンたんが楽しそうにしている姿を見ていると、何よりも心が満たされるし、自然に満足してしまうんだ。
だから、ご満悦なラーメン屋の店主みたいに腕組みしてしまうんだよ」
料理は美味しいが、絶望的にポエムの才能がない二海である。
それでも、言いたいことは花音の心に深く刺さった。
「だから、推しには……カノンたんには、楽しくやっていてほしい。
たとえ歌っている姿が見れなくても、踊っている姿が見れなくても、この世界のどこかで推しが楽しくやっているのだと思えたら、きっと俺は立ち直れると思うんだ」
まるで、愛の――告白。
おかしいのは、二海本人はあくまで推し語りをしているつもりなのだろうということだ。
クスリと笑う自分に対し、二海が続ける。
「だから、俺に手伝いをさせてくれないか?
君が、楽しく快適な時間を過ごすための手伝いを」
「こちらこそ、よろしくお願いしましゅ――す」
実のところ、アイドルではない素の花音は他人と話すのが苦手で、よく噛んでしまう。
それでも、噛みながらも……間髪入れずに答えられた。
営業スマイルをするためではない。
心からの自分を見せるために、眼鏡を外す。
あるいは、ぼやけた世界の中に二海を閉じ込めないと、恥ずかしくて仕方ないからかもしれないが……。
「わたし、幸せになる手伝いを二海さんにしてもらいたい。
二海さんが、いいです」
「カノンたん……」
ぼやけた世界の二海が、ふと何かに気付く。
そして、自身の瞳を指差しながら、こう言ってきたのだ。
「目……」
「目?」
「いや、カラコンだと思ってたからさ。
ピンクのウィッグと合わせて、アイドルモードの武装なのかと」
「お、お爺ちゃんが海外の人だったから……」
相手がぼやけていても、瞳をじっと見られていれば分かる。
自身、赤くなっていると自覚している頬をかきながら、目を逸らした。
「そうか――綺麗だ」
「あうう……」
こんなの――反則。
ドラマで照れてる演技を求められた時も、ここまで顔は熱くならなかったのだから……。
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